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”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(93)

2006年07月20日 22時34分12秒 | ビジネス
7月20日(木)雨一時曇
今日は久しぶりに東京に出張し、昔の若い部下達に会ってきました。現在作っている商品の説明を聞いてもらったのですが、しばらく見ないうちにみんな目に見えるように成長したなと実感しました。この子達を東京に送り出してよかったなと感じた日でもありました。昔そんなに勉強していたかなと思うくらいよく勉強しているし、勉強したことが自信につながって言うこともテキパキしています。やはり井の中で育てるより千尋の谷なのかもしれません。
我々団塊世代はコンピューターイノベーションの中で自信を失いかけているためどうしても若い人の教育に甘くなってしまっています。昨日の話も現在日本で生き残っている製造業は複数の要因を調整しながら一つの製品として完成させるようなものや職人的な技を要する製品であって、規格化された部品の組み合わせだけのデジタル家電のような製品はコスト競争に負けて苦戦を強いられていると言った話でした。そこで日本の強い部分を若い世代に継承していくためには、千尋の谷で鍛えてやることしかないのですが、どうも甘くなってしまう傾向ににあります。
今の若い世代は環境を作ればどんどん伸びる世代だと思います。ただこの環境を冷暖房完備にする必要はまったくなく千尋の谷でいいのだとつくづく思います。心のケアだけ見守るだけでいいのかもしれません。心が充実している時はより厳しく、心が疲れた時は気分転換させるマネージメントができていれば人は勝手に育っていくような気がします。
そして僕はこの年になっても彼らに教わることが多いのだけれども、今日も若い彼らに教わることがいくつかありました。僕の方がよっぽど井の中の蛙だったかもしれません。ちょっとくやしいけれど、まあ僕みたいな自分の思いだけで動き回る人のもとで巣立っていった子らが生き生きと一人前にやっているのを見るとうれしくなってしまいます。
現在僕が開発に携わっている商品は、どうなるかわかりませんがみんな一人一人が一人称で考え、質問し、自分の考えを発言してくれたことだけで大満足です。特に前回課長クラスで同じような説明をした時とまったく違ったのでよけいにそう思うのかもしれません。
人間と言う動物は役職が付くと、人目ばかり気にして本心を言わなくなります。特に自分に自信のない者ほど素直な質問とかしなくなってしまいます。それは課長なのにあんなことも知らないと言われるのが恐いからよけいそうなってしまうのでしょう。自分も昔経験ありますがもっと勇気を出して素直な気持ちでことにあたってみると、誰も馬鹿にすることもなければ、自分にとって知らなかったことが入ってくるものです。どんなに威張ってみても所詮はどこかで化けの皮ははがれるものです。だったらありのままの自分で素直に対処した方がいいに決まってます。我々は神様でもないのだから知らないことがあって当たり前だし、役職があるからといってすべてが勝っているわけではないのだから。ただ組織の中での役割や機能が違うだけなのですから。
ちょっと話がずれてしまいましたが、若い人達には日本のいい所は何なのかと言うことをよく分析して、よいところを継承する努力を続けてほしいものです。昨日は僕の思う分析を述べただけですが、一人一人が考えて自分のできる範囲のよい点を学ぶ姿勢がこれからの日本には一番必要なことだと思います。
きょうはこれでおしまいです。お付き合いいただきありがとうございました。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(92)

2006年07月19日 23時09分01秒 | ビジネス
7月19日(水)雨のち晴
さて今日はビジネス編戻るわけですが、別にテーマがある訳ではありません。そこで先週までこれからのビジネスと言うテーマでどちらかと言うと心構えのような話ばかりだったと思いますので日本のビジネスについて考えてみましょう。
日本のビジネスと言うとやっぱり世界に通用するのは製造業です。ところがこの製造業も最近特に中国製品に押されっぱなしです。ところが同じ製造業でも依然として世界のシェアを独占しているような物もあれば、価格面でとてもかなわなくなった製造業とあります。たとえば金型、工作機械、特殊電球・・・・などは相変わらず強いですよね。一方家電、IT製品、繊維製品などは次から次へと安い商品が出てきて国内企業は太刀打ちできない状況です。ではどうして価格が安くなって利益が出せない製品と安定的に利益が出せる製品があるのでしょうか?価格が安くなる商品は中国をはじめとするアジアで生産されるものばかりです。特にディジタル製品はもうアメリカや日本のような賃金水準の高い国では製品化できなくなってきています。家電製品やパソコンを分解してみるとその構造がよくわかると思いますがCPU・メモリ・HDD・・・各部品がそれぞれ規格化されていてそれらをどう組み合わせるかだけでいろいろな製品ができがっています。そしてそれぞれの部品は特殊な技術ですが組み立ててできあがった製品はすぐにまねすることができるものばかりです。一方日本がいまだに強い製品をみてみると金型のような職人技への依存度が高い製品や一つの機能を実現するのに複数のモジュール間の調整を必要とするものがほとんどです。要するに機能が単一で規格化されている部品の集合体である製品は中国にはかなわないけれども、複数の部品の調整によって一つの製品となるようなものは簡単にマネできないので安定的に利益を確保できるため日本の製品が市場から追い出されるまで至っていないと言うことだと思います。
と言うことは高度な技術で提供される部品レベルの物と複数の部品を使って一つの機能実現するための調整を必要とするような物がこれからの日本の企業の主力製品でありうると言うことになると思います。従ってこれからの企業にとっての戦略は製品の機能が複数の要因を組み合わせた調整ノウハウを持つ製品に作り上げて行くことであるし、企業で働く人はこの調整ノウハウをいかに引き継いでいくかが非常に重要になってきます。
最近団塊世代が抜けるとノウハウを持った人がいなくなってしまうと言った企業のことがよく話題にあがります。そして片やノウハウをマニュアル化してあるから大丈夫といった安易な考えも平気で横行しています。確かにある程度まではコンピュータに記憶させて実現できるかもしれませんが、人間の経験による感覚やノウハウはすべて言葉で表現できるようなものではないと思います。自分が長年の経験で得たノウハウはやっぱり経験しながら伝えていくしか方法がないような気がします。その点はスポーツの世界とまったく同じような気がします。ヨットでも舵を切るタイミングとセールを引くタイミングは潮の流れ・風の強さなど複数の要因の上に成立つ感覚を言葉で表すといってもとても無理なことです。要するに暗黙知は100%形式知にすることはできないと言うことです。
きょうはここまでです。ここまで読んでくれてありがとうございます。おやすみなさい。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(91)

2006年07月15日 07時57分09秒 | ビジネス
7月14日(金)晴時々曇
暑い一日でした。夏の気候と梅雨が入り混じった天気が続きますが、もうしばらくはしかたないでしょうね。昨日は久しぶりに午前様になってしまいましたので昨日の分を今朝書いてます。

前回はこれからの事業の話が「Return to Japanese Spirit」の話になってしまったのですが、要は何事も新しいフェーズで始まる時にはまず精神の持ち方がしっかりと出来ていないとダメだと言うことです。僕は現役時代によく言っていたのですが、仕事を進めていく上で能力があるとかないとかの前に、意欲があるかどうか・やり遂げる精神力を持っているかが一番重要です。古い言葉ですが「精神一到何事かならざらん」ですね。学力・能力より大事なことだと思います。ですからまずはもう一度ものの考え方をきちっとしましょうと言うことでした。

最近の政治や企業における仕事の進め方には、論理さえ通っていればなんでもいいと言ったかなりめちゃくちゃな理屈だけで、人間性を無視したことがまかりとおっています。これは誰でもが本当は違うんだけどなっと思いながら、論理に反論できないだけのために黙っていることが多くなっています。特にアメリカ型論理・中国型論理は黒を白にしてしまう理屈で面と向かって言えないようなことを平気で言ったりしています。彼らは単に自国の利益だけを追求しているだけなのに、理屈は世界平和のために・・・と言った反対できない理屈にしてしまう文化を太古の昔からやってきた民族です。なぜならそうしていかないと自分達が滅亡するしかなくなってしまう歴史を持っているからです。逆に日本と言う国は武士の情けを文化として持つ国です。強い者が弱いものを助けることが美徳とする文化ですから、グローバル化の中でやりあうには多分心を痛めることが多くなって来るのが当たり前なのです。
ただ正義を貫き通す精神と覚悟があれば、第三者がいずれはちゃんとジャッジしてくれるものだと思います。人間迷ったり、自分の気持ちに違和感を持ちながら行動する時が一番精神的に疲れるものです。この迷いを少なくしてくれるのが考え方です。武士道はその考え方の一つです。儒教では「仁」「義」「礼」「智」「信」の五常がその根底になるのですが、自分には武士道の6つの「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」の方がさらに日本人に合っているように思います。ただ封建社会で発達した考え方ですから現代風に解釈の修正が必要だと思いますが。

今週は癒し空間の必要性から心の持ち方の話になってしまいましたがこの話は今週で終わりにします。いよいよ今日から3連休です。明日からヨットで神島にクルージングに行く予定です。従って月曜の夜までお休みです。次回はヨット編を写真付きで書くことになりそうです。ではまた。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(90)

2006年07月13日 23時25分00秒 | ビジネス

7月13日(木)曇時々
昼には”かっ”と太陽が顔をだしたのですが、やっぱりまだのようです。首の手術あとの傷も癒え今日は無事治療終了となりました。今回大きくなりすぎて大げさになってしまいましたので、ついでに、
小さなぶちぶちをはさみでみんな取ってもらいました。なんと5ヶ所もです。いっぱいできているのは何かの病気ですかと医師に尋ねたところ「年だからね」ですと。僕はまだ気持ちは若いのですがと言うと「皮膚も年をとってくるとこんな風になるからね」周りで看護婦たちがゲラゲラ笑ってました。何はともあれ一応一安心です。

さて昨日は、物質的に豊かになった日本人のこれからにとって「癒し空間」の創出が必要だと言った話をしてきました。高度欲求レベルに達した我々は、これからの時代においては心のケアとなる「癒し空間」と言うキーワードをベースにビジネスの再構築をすべきだと言う内容だったと思います。高度な欲求には違いないでしょうが、欧米より日本にとって重要なキーワードになると思っています。なぜなら我々の遺伝子と違ったアメリカ型資本主義ベースのビジネス展開が今始まっているからです。論理さえ通れば何をしても良い、資本家が儲かればよいと言ったビジネスは日本古来の文化とはまったく異質のものであり、グローバル化などと言ってまともに戦ってもかなうわけありません。あげくに精神はボロボロになるに決まっていますから。

ここでちょっと横道にそれますが、日本は古来から独特の精神文化を育んできた国です。天皇を中心とする神道をベースに仏教・儒教を組み込んだ集大成の考え方が武士道だったのではないでしょうか。新渡戸稲造さんの「武士道」によれば、義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義を重んじた考え方になります。これら一つ一つの言葉を説明しだしたらきりがないので簡単に注釈することとします。

「義」は正義、人間としての正しい生き方や道理を言います。

「勇」は正義を貫く勇気・間違いを諌める勇気のことを言います。

「仁」は慈愛、寛容の心で暖かく見守るやさしさです。

「礼」は相手をいたわりこと、配慮の意味で単に形式的な振る舞いではありません。相手に不快な思いをさせないための礼節を言います。

「誠」は素直な心、正直でうそをつかないことを言います。

「名誉」は武士の目指す最高の目標であり、そのためには”武士は食わねど高楊枝”などと言われていました。要は世間から評価されることを言います。

「忠義」は正しい道に対して忠実であること。決して主君への忠誠心や親への孝行だけにとどまらず、主君が人の道にはずれれば切腹覚悟で諌めることが武士道の忠義です。ここの所は儒教の教えよりさらに高度な忠義です。

武士道は儒教の影響を強く受けていますが、さらに日本人流に咀嚼した上でもっと高い次元で人間の道を示している哲学だと僕は感じています。

このような古来の精神文化を復活させていくことが日本人らしさを取り戻し、心の平静を得る最善の方法のような気がしています。元々我々の先祖が創りだした精神であり、受け容れる素養が遺伝子的にも備わっていることですし、戦後アメリカ的個人主義にかぶれ、より戦闘的なビジネス感を植えつけられたことにより、遺伝子の不符合により生じた結果が「癒し空間」を求めるようになるのですから。そこで僕は「癒し空間ビジネス」には”Return to Japanese Spirit”が必要条件だと言いたいのです。「日本の精神に戻れ」アメリカが何を言おうと我々の心の故郷を今一度思い起こし、リニューアルすれば、これからの新しい社会の骨格ができあがってきます。そしてそれこそが我々日本人の安定した精神を育んでくれると自分は考えています。
それでは今日はこの辺でお開きとします。おやすみなさい。


しんさんのよもやま話…ビジネス編(89)

2006年07月12日 21時46分35秒 | ビジネス

7月12日(水)曇
今日も蒸し暑い一日でした。冷房低湿度のビル内での仕事に慣れてしまうと外にでるのが億劫になります。今まで営業活動で盆暮の時期はお客様のところを飛び回っていたことを思うと、よくできたなと思います。今行けと言われても多分慣れるまでに相当時間がかかるでしょう。人間は楽な暮らしを求めて進歩してきたけど、一度楽な暮らしを覚えてしまうと戻ることはなかなか難しくなってしまうものですね。でも苦あれば楽ありで、汗びっしょりになってヨットなど乗っていると風のなんとさわやかなことか。多分普段はなま暖かい風でもそんなときは至福の時間が得られます。このことはすべてのことに通ずることかもしれません。

と言うことで今日は「癒し空間ビジネス」を考えてみるのですが、癒されると言う実感を得るためにはやはり自分が行動すると言う行為があって始めて癒されるのだと自分は思っています。
健康ランドとかエステとかの癒しと言うのは、一時的な快楽を得られると言うだけであってないよりはましですが本当の心のケアになっているかどうかは極めて疑問です。それは単なる快楽であって心の底まで癒してくれるものではありません。その証拠に終わったとたんに心に余韻は残らないでしょう。その点自分が行動してかいた汗のさわやかな風の心地よさは、自分の達成感と重なって倍増された心地よさになります。そして現実のストレスを吹き飛ばすようなパワーを与えてくれます。基本的に人間の欲求はマズローの理論じゃないですけど、現代は何かの役に立っていると言う最上級の欲求が満たされた時本当の心の安らぎを与えられるのだと思います。そこで昨日書いたように、同じ目的を達成するためのグループ社会が今後できあがって来るのだと思います。
何かの役に立つと言う行為の対象は、最初は特定の人に対するものであったり、その場を共有した人達であったりするのかもしれません。ただいずれ特定の人から社会全体に対する貢献に近づいていくはずです。なぜならその方がもっと心地よく感じるからです。僕も人の役にたったと実感できるときはすごくうれしいし、もっとできたらと思います。お金もあればいいけど、いくらお金を出しても買えないものが心の充実感かもしれません。
僕の弟は毎年日本であまった服やタオルや学用品を重量制限いっぱいまで持ってカンボジアに行っています。カンボジアの子供たちにプレゼントするだけのためにです。自分で旅費を捻出して、カンボジアの子供たちが喜ぶものを集めて、秋になると会社を休んで行っています。僕にはなかなかマネできないかもしれないけど、政府のODAより現地の人達の役に立っている気がします。もしODAで拠出するお金があるのなら、このような活動をする人達の援助をした方が、もっとも効果的な貢献活動になるような気がします。これならNPO法人的なビジネスとしても成り立つのではないかと考えています。僕ももしチャンスがあれば一度今年は弟について行ってみようかと思っています。
ちょっと話はそれましたがこれからの時代が求めるものは人間としての心の満足感であり、そのためにはこの地球上の何かに貢献する活動・行為をしていくことが、結果としてビジネスになっていく社会が理想的な社会だと思います。もちろん今もそうですが今の日本の企業にはビジネスを通して社会に貢献するものが何なのかと言うことを見失ってしまっているのではないでしょうか?今までは物質的な豊かさを実現するために多くの企業が貢献してきたし、現に豊かな社会になりました。だけど物質的な豊かさを享受してみたら、もう一つ上位の「心の豊かさ」を社会が求めるようになってきたと言うことかもしれません。従って社会がまだそのレベルに到達していない海外の国への貿易で事業が成立っているだけで、日本と言う国の中でのビジネスの意義が薄れて来ていることを認識し直して、新しいコンセプトを創る時なのかもしれません。
多くの企業で国内需要は売上が伸びないけど海外が好調などと言ってますが、これは当たり前のことで、国内の方が海外の国々より早く人間の欲求レベルがあがったと言うだけのことだと思います。需要も違ってきた以上供給も変わるのがあたりまえのことです。
このことは日本と言う市場での話なので(いずれは世界共通になるかもしれませんが)あまりグローバル化とか気にせず独自にどんどん進めていけばいいような気がします。アメリカは関係ない話(ほんとは同じ問題をかかえているかもしれませんが)として日本的なスタイルを創っていくべきことかもしれません。いつもアメリカ発を受け入れることじゃなくて。アメリカは自分に先駆けて新しい進歩に動き出したら当然じゃまをするでしょうが。過去にもTRONチップのような動きに対してつぶしたのはアメリカでしょうから。もっともアメリカとしては自国の産業発展を考えれば当然のことですが。
話が横道ばかりですみません。これからの日本のビジネスの方向と進め方の私見を書いたつもりです。

今日はここまでとします。ここまで読んでいただいた方がいらっしゃいましたら、なんとお礼申し上げてよいか言葉がみつかりません。ほんとうにありがとうございます。

 


しんさんのよもやま話…ビジネス編(88)

2006年07月11日 22時37分45秒 | ビジネス
7月11日(火)雨のち曇
朝のうち雨が降ったのですがすぐやんでしまいましたね。なかなか梅雨明けにはなりそうもありません。今週末のクルージングも不安になってきました。海の日には本来梅雨が明けていると言う前提で祝日としたんじゃないのですかね。ここ数年毎年のように海の日は梅雨明け前のような気がします。

さて昨日の話はわかりにくかったと思いますが、ビジネスの発展の歴史とこれからのビジネスの方向性について話をしたつもりです。現在は情報社会の真っ只中ですが、コンピュータ技術の発展とともに、ビジネスにおける人間の役割もどんどん高度化しています。そして個人個人が事業主としての自覚を持ったビジネスライフを要求されるようになるでしょう。農耕社会から工業社会と集団的な文化を形成してきた日本人にとって、これからの狩猟民族的文化への対応にはかなり精神的ストレスが生じることは目に見えています。ただ現在のようなアメリカ型の資本主義が続く限りそうならざるを得ないと思います。そこでこれらの精神的ストレスを埋める「心のケア技術」が日本人等を中心とする農耕的文化を持つ国々でビジネスとして発展してくるのだろうと思います。
このビジネスの方向は企業活動とは別のグループ化が進むことにより、能力ベースの企業とはまったく異なるグループ社会に発展して行く可能性があります。職種や所属企業に関係ない社会貢献を目的としたグループ社会や趣味を中心としたグループ社会がいずれはビジネスとして成り立つことにより、新しい企業グループを形成するようになるかもしれません。少なくともその時にはアメリカ型資本主義の行き詰まりとセットかもしれませんが。

もうひとつはバイオ医療技術をベースにした「癒し空間」や「癒しエンタメ」と言ったビジネスの発展。この方向はアメリカ型資本主義と共存しそうです。ビジネスで稼いで心のケアにお金をかける社会です。差し引きすれば同じことかもしれませんが世の中の大勢がマネーを中心とした社会であるかぎり「癒し空間ビジネス」として高額所得者が集う場ができあがってくるでしょう。既にその傾向はエステサロンや健康ランドに見られます。これらのスケールをさらに大きくしてかつ豪華で高額な空間創造ビジネスが展開されるでしょう。アメリカ型資本主義の行き着くところは貧富の差をますます大きくする方向にしかいかないでしょうから。ただいずれこの癒し空間に集う人々がいずれ新しい社会を作って行くようになるかもしれません。自然環境そのものから生活様式まですべてを都会と隔離した桃源郷が出現するかもしれません。ただすべての人類が癒しを享受できるかどうかはむずかしそうです。何か新しい考え方が必要でしょうね。

いずれの方向にしても「心のケア技術」が進む方向は現在の国家・企業の枠組みを再構築した小さなグループ化からスタートし始めるのではないでしょうか。
その時既存の国家や企業はどう言う変遷をするのかと考えるとおもしろいですよね。多分アメリカと言う超巨大支配国がどうなるかによっておおきく方向は変わると思いますが、日本人は聖徳太子の時代から融合文化を創る天才ですから、ほどよい社会形成ができるといいのかもしれません。日本と言う国は2000年以上も天皇家を中心として存続している国です。これは神道という八百万の神を敬い祀る文化のなせるわざなのかもしれません。我々は太古の昔から自然の万物に感謝し祀ってきた民族です。天皇はその代表者にすぎません。だから僕らは万物の中に仏陀も組み込んでいるし、儒教も組み込むことができたのだと思います。僕らを取り巻くすべてのものが感謝の対象であるし、万物が自分の心の鏡であって、天皇家は代表者として我々の変わりに忘れることなく五穀豊穣を祈っていてくれる存在であり決して僕らを支配する存在ではないのです。日本の歴史をみれば常に別の勢力が支配して、天皇自身が戦争したことはまずないのですから。だから2000年以上も滅びることなく続いているのだと僕は思っています。
そんな国なので日本は敵対的ビジネスを本領とするアメリカ型ビジネス社会には決してならないだろうし、日本人の精神構造にマッチした融和の文化を形成していくだろうと思います。その結果として、価値基準がお金ではないグループ社会が誕生する可能性が高いような気が個人的にはしています。
今日はここまでです。だんだん現実ばなれした話になってきて自分でも勢いだけでかいてますのでもう少し熟慮が必要かもしれません。明日からは少し視点を変えてこれからの社会に適応していくための考察をしてみたいと思います。

しんさんのよもやま話…ビジネス編(87)

2006年07月10日 23時06分06秒 | ビジネス

7月10日(月)曇
さすがに暑くなりましたね。しかも湿度が高いので体がだるく感じます。こう言う時は現在の仕事のように会社内にいる方がいいですね。今まで外出することが多かった当時のことを考えると天国かもしれません。先々週より探していた名古屋の地酒「醸し人九平次」純米吟醸を売っている酒屋が娘の協力でやっと見つかりました。名古屋の地酒なのに名古屋であまり売られないのは新参だからでしょうかね。酒屋自体もデスカウントの酒屋ばかりで昔ながらの酒屋が消えているようです。今にこの種の銘柄指定のものはネット販売ばかりになってしまうのかもしれません。とりあえず今池まで行って買ってきました。全国の地酒が所狭しと置いてあったのでこれからは何かあったら利用できそうです。

さて今日の話ですが、先週これからの企業と社員のあり方とそのための「自分創り」の必要性と心構えのような話をしてきました。人類の歴史を考えれば狩猟社会では個人の技がすべてでした。それから農耕社会になって人々は平野部の農地に集まって集落を築き、皆で共同して作物を作り生活するようになりました。ここでは経験が物を言う長老支配の社会が形成されました。やがて科学技術の発見により天気等の自然環境に依存しない便利な道具が生産されるようになります。いわゆる工業社会の到来です。工業社会では生産ラインと言う畑で分業して従事するものとこれらの生産方式や生産計画や販売を担当する人たち(ホワイトカラー)が明確に分かれており、製品の市場が飽和するまでは非常にめぐまれた社会になっていました。ところがコンピュータが出現すると生産ライン従業者はコンピュータ制御のロボットにその大部分が取って代わり、あまった人たちは営業等のホワイトカラー的な仕事への職転を強いられました。それでも終身雇用・年功序列はかろうじて維持できていたのですが、コンピュータの発展は驚くほどのスピードでコストダウンされるとともに情報の収集・分析等ホワイトカラー的仕事も合理化できるようになってきました。いわゆる情報社会の到来です。情報社会ではコンピュータを駆使できる技と新しい仕事の種を発見できる人とそれを実現するための問題解決できる人とこれらを事業としてのしくみを企画できる人だけが必要であとはコンピュータと機械ロボットで十分な社会が到来したのです。
従ってこれからの会社の構成はキーテクノロジを持った社員とコンピュータシステムを持ち、臨時的作業ベースは委託や派遣でまかなう構造になるでしょう。と言うかバブル崩壊以降世の中は急速にその方向に向かっています。ですから人材も二層構造にならざるを得ません。従って作業ベースの人材には終身雇用・退職金などはありえないでしょうし、キーテクノロジを持つ人材にしてもキーテクノロジの変遷と共にいつまでも同じ企業の元でいられるかどうかは極めて不透明になってくるでしょう。こんな社会では働く個人個人は自分で事業をしているがごとく、自分の将来ビジョンを持ち、そのための投資を自分でして行く必要があります。近未来の社会ではこう言った傾向がますます強くなるでしょう。そこで今「自分創り」なのですが、こう言う社会は精神的ストレスが溜まり易く、しかも個人個人での解決が要求されるようになります。

そこでこれから重要になって来る事は「心のケア技術」です。既に感性ののするどい若者の中にはその兆候が犯罪等の形となって現れて来ています。
「心のケア技術」の向かう方向としては多分二つの方向が考えられます。ひとつは個人個人のつながりを形成していくための技術の発展の方向。今までは帰属企業内での仲間を中心としたつながりでしたが、これからはまったく所属や住んでいる所に関係ないネット型のつながりにより「心のケア」を目的としたグループ社会が築かれて行く事になりそうです。この時のトリガとなるキーワードとしてはいろいろありそうです。趣味を通じたもの、社会貢献を通じたもの、宗教的なもの・・・・・。
もうひとつの方向はバイオ医療技術の方向。精神のやすらぎをあたえる空間の創造やらエンターテイメントの革新的発展等の技術です。ここには人間に癒しを与えるロボットなどの技術も含んでくるでしょう。だんだんSF小説的になってきてしまいましたので今日はこの辺までとしておきます。

それではまた。


しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(86)

2006年07月08日 10時26分50秒 | ビジネス

7 月7日(金)曇
やっぱり午前様になってしまいました。昨日の話は8日土曜の朝書いています。実は昨日はフルノ電気にGPSアンテナを買いに行ったりでバタバタしながら、今度のクルージングメンバーの女性達と夜は楽しく飲ませていただきました。僕らぐらいの年齢になると若い女性達と会話ができるだけで何か年をとっていく実感を防止できるような気がするので、若い頃の恋愛感情とは違った楽しさがあります。付き合ってもらえるうちが花だからつい気前がよくなってしまいますがそれも働ける間のことかもしれません。

ところで今週は自分流哲学を持てる人になるために、自分創りのために必要と僕が思っていることを書いてきました。そしてそのための日々の行動における心構えとして誠実さの実践・どんなことがあってもやりとげると言うこと(達成感が人を成長させるし、仮にうまくいかないことも修羅場を切り抜けることによる人間としての充実が図られる。)を話してきました。あと補足的に23追加してとりあえず一区切りとします。

それでは第三番目の心構えとして、常識と言われていることを鵜呑みにしないこと。世の中には常識のうそがたくさんあります。素直な心で物事の本質を見抜く目を創る努力を自分なりにして行こうということです。常識は世の中の進展とともに日々変わって行くものです。だからそれが何のために常識となっているか本質を見ることが重要になってきます。世の中で革新と言われていることのほとんどが従来の常識を覆したものであることはみなさんも容易に想像がつくと思います。1月に本の紹介の中で「あたりまえのアダムス」と言う本の紹介をしましたが、まさにアダムスの心構えで物事を見ると言うことです。職場でよく先輩が、これこれはこう言う順番でやることに決まっている。これうちの常識だよなどと言われることが多いと思います。でも何のためにそういう順番になったのかを突き詰めてみると常識の本質が見えてきます。一番早く処理できる順番が常識だったとすると技術の進展で各工程の処理時間が変わってくるとボトルネックも変わって来ます。すると順番も変わってもあたりまえなのだけど、長く信じてやってきたことは人間はあまり考えませんから常識のうそを見抜けなくなるのが一般的です。特に自分会社じゃないからよけいそうなるのかもしれません。でもこれからの時代は多分そんな悠長には行かないと思います。だんだん長くなってしまいそうなので次に行きましょう。

第四に時間管理です。一日が24時間と言うのは世界共通の区切りで変えることはできませんが時間密度は変えられると言う事。忙しい忙しいと言っている人がよくいますが結構無駄な時間に思えることも第三者的にみれば思うことありませんか?自分は今結構暇なのであまり偉そうなことを言えませんが、時間の使い方は工夫次第だと僕は思っています。僕の趣味はヨットなのでヨットでできるだけゆっくりする時間を取りたいし、どんなに忙しくても自分の心を休める時間は削るつもりはありません。そうすると他の時間にしわ寄せが来てしまいますが、何とかやりくりできてしまいます。僕は前にもこのブログに書いたかもしれませんが「本」をかなり読みます。でも自分の時間には読書タイムと言う時間は存在しません。ただ通勤時間の10分は本を読んでいるのがほとんどですし、ひとりでコーヒーを飲んでいるときもほとんど読んでいます。この時間は一日の中では非常に短い時間ですが年間で見ると膨大な時間です。僕はここ二十年ぐらい続けているのであまり苦になりません。ただちょっと違うことは読み終わったあと必ず自分の頭の中を整理する意味で休みの日に共感したことや教えられたことをレポート用紙一枚程度にメモしてあります。だからこのブログを書く時、貞観政要に確かこんなことがあったなとうる覚えのこともパラパラと見て確認してかけるのであまり時間をかけずにブログもかけます。時間活用は「自分創り」のもっとも基本的な要件かもしれません。ただし自分のめざす目的が明確でないと設計できないかもしれません。人それぞれ趣味も違えば、めざすものも違いますがそれに会わせて時間設計を考えてみるといいんじゃないでしょうか?あまり何かを犠牲にしてやるような時間設計は長続きしません。どうしても何かを犠牲にする時は時間を区切ってやり通すことだと思います。
長く続けているとだんだん上達するのが時間活用術かもしれません。
今日は「自分創り」のための心構えの三番目と四番目の話をしました。まだ書けば書けますがだんだん似たような話になってしまいますのでここまでで一区切りとします。

今週はまとめて言ってしまえばすぐに終わるかもしれないことをながながとなってしまいました。でも結論だけで書くと誤解を生じたり理解してもらえないと思うとついつい長くなってしまいます。人に伝える文章と言うのは難しいものですね。半年ブログを書き続けながら実感として感じています。僕もまだまだ修行中の身ですから勘弁して下さい。でも死ぬまでずっと修行の身かもしれません。悟りを開いた時は死ぬ時かも知れませんので、浮世でいつまでももがき続けたいと思います。今日は昨日の分を書いて今日の話は休みでまた明日の夜書く予定です。ではまた。


しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(85)

2006年07月06日 23時47分55秒 | ビジネス
7月6日(木)曇
今日は朝、ヨットにつけてあるGPSプロッタのアンテナ部分が正常に受信できるかどうかを試験してもらいに先週船からはずしてきたアンテナをフルノ電機に持ち込んでお願いし、その足で今度は病院で先週切除手術をした首筋の抜糸をしてもらいました。僕の会社は朝が9時半始まりなので2時間の年休を取るとかなりのことができるなと今更ながら実感しました。今迄何十年も仕事をしてきたけど気がつかなかったのがほんとに今更ながら・・・って感じです。
GPSのアンテナは会社に連絡があってやっぱりダメでした。新品のアンテナを購入しなきゃならないようで1万円飛んでいってしまいます。新品を買うのに試験代も2千円取られるとのこと。前回本体の試験もしてもらった時にただだったのでまぁしかたないとあきらめてます。
ところで今日の話ですが、たとえ企業に所属するサラリーマンでも、これからは自分が自分の会社を経営している感覚で仕事をしていくことが要求される。そしてそのためには自分で物事を判断できる「自分創り」が大切だと言った話を今迄してきました。
今日は「自分創り」をして行く上での心構えと言うか大切なことを話してみたいと思います。と言っても僕がほんとに自分創りができているかどうかは自信がないので偉そうに話せるかどうかわかりませんが少なくとも自分が今まで心がけてきたことと思って下さい。
まず第一に誠実であること。頼まれたことはどんな小さなことでもちゃんとやること。自分でやれなくて人に頼んだ時でもちゃんと確認しておくこと。納期や面会時間を必ず守ること。もしも何らかの事情があって守れない時には自分のできる精一杯の誠意を行動で示すこと。これらのことは一回やったからと言ってどうなるわけでもありませんが、日々いつも実践していると信頼が生まれます。信頼ができると言うことは自分と言うブランドを創って行くことでもある訳です。僕はそんなに要領がいいわけでもないし、話もうまいわけでもないし、風貌もさえないし、あまり営業マンに向いている人間ではなかったけど二十年近く営業マネージャーをさせてもらった大きな要因はこのことだと思っています。おかげでよく訪問していたお客様にはかわいがっていただきました。もっとも受注お礼の挨拶程度に伺っていたところには自分の姿をみせることができないのでその評価はよくわからないお客様もいるとは思いますが。僕が過去に営業の仕事をやって来てよかったなと思うことはどこの勤務地でもお前さんには世話になったなと言っていただき、送別会やら餞別やらしていただいたお客様いたことです。ですからまず誠実さが「自分創り」の第一歩だと思っています。
次に「やりきること」一度取り組んだことは中途半端にしないこと。自分の思ったようになったかどうかは別として最後までやり抜くことは自分を成長させます。失敗しそうになると逃げてしまう人がサラリーマンには多いのですが、失敗もちゃんと自分の栄養になるのです。仮に逃げて出世していく人もいますがこれからの厳しい時代には通用しなくなるでしょう。なぜなら何にも修羅場を経験しないで本当に人の上にたてると思いますか?最後まで踏み止まってきちっと処理して初めてノウハウや知恵が生まれるものだと思います。確かに日本の企業は減点主義の人事評価をするところが多いのでうまく逃げて失敗をしない人が出世している事実もありますが、そんな企業は今に必ずつぶれるでしょう。ホンダ技研では新しい車の開発に積極的にチャレンジして一番みごとに失敗した人を社長が表彰するそうです。こんな風土が浜松の小さな町工場を世界のホンダにしていったのだと思います。減点主義の人事評価は何もしない人が一番いいと言うことになってしまい、結局誰もチャレンジしなくなってしまいます。そんな会社がこの競争の激しい社会でいつまでも存在すると思いますか?これからは失敗を恐れずに自分の信じたことをとにかくやりきることが自分を創ることになると思います。問題はこう言うことを理解してくれる上司がいるかどうかが大きいかもしれませんね。いずれ相互選択型の社会では自分創りができない企業には人が集まらなくなる時代がもうすぐそばにきていると僕は思っています。
今日はここまでにします。自分創りの心構えとして今日は2点をとりあげました。明日も引き続き3番目4番目の話をしていきたいと思います。ただし明日は七夕の会と言う飲み会があるのでひょっとするとあさってになってしまうかもしれませんがよろしく。ではまた。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(84)

2006年07月05日 22時00分04秒 | ビジネス
7月5日(水)雨のち曇
朝は久しぶりの雨でしたが、すぐに止んでしまったようです。この調子だとまた週末に天気が悪くなりそうです。今年は骨折で春を棒に振ったので週末にヨットに乗れないといつになったら乗れるのかわからなくなっています。
さて話は昨日に続いて自分株式会社の話を続けましょう。従来の終身雇用・年功序列社会の崩壊と共にこれからの企業と社員の関係は相互拘束型から相互選択型の関係になること。そしてそのような時代には自分創りがまず必要であること。そして自分創りは自分の哲学(自分の信じる道)を持つことの必要性などをこれまで話してきました。
そしてこの「自分創り」をして行く上で自分の信じる道を確認する方法として僕が取り組んできたことを今日は話してみたいと思います。もっとも僕が人に教えられるような人間でもないことは百も承知ですが、僕には自分なりの哲学を持っているつもりなので少しは言わせてもらいます。
自分の哲学だからと言って、自分勝手な感情のことを言っているのではありません。そうならないためにも「本」を読むことです。いろいろな本を読んで先人の考えや教えを受けながら自分が正しいと思う道を形成できるのではないでしょうか。少なくとも本により自分が共感した考え方は先人が信じてきたことなのですから、一人の自分勝手な考え方ではないはずです。ただし世界の誰もがみんな同じ考えになるわけでもないのです。キリストの教えを信じる人もいれば仏陀の教え・マホメッドの教え・孔子の教え・・・まぁ世の中にはいろいろな教えがあるのですから。
そこで自分はエッセイが中心ですがもう二十年近く本を読み続けています。しかもほとんどが通勤電車の中の10分程度の時間や喫茶店でのモーニングタイムぐらいでそのための時間はほとんどとったことありません。でも月に最低でも2冊程度は読めるものです。そして僕の場合は自分が著者に共感したところはシャーペンで印をつけておきます。そして読み終わった時にその印のところだけもう一度読み直しながらレポート用紙にメモをとっておきます。だいたい一冊にレポート用紙一枚、本によっては10枚ぐらいになるものもあります。こうしておくと一応ファイリングはしてありますが、二度読んで書くのでたいがい覚えてしまいます。ましてや自分の共感したことや自分が教えてもらったいい話だけですから自分の身に付きます。こんなふうにしてもう二十年たちますが未だに新しい発見や自分の行動の基準となる新しい考え方を教えられています。
従って今まで僕の書いていることは僕の考えですが、いろいろな著者の教えでもあるわけです。こうして自分はいつもその時点での自分の判断を持てるようになってきました。若い頃は自分の考えに自信がまったくありませんでした。でも今は自分の意見であるとともに先人の知恵でもあるので間違っているかもしれないけどある程度堂々と言える様になっています。自分の哲学を持つと言うことを実現する一つの方法です。あとはこれに経験を重ねながらそれなりの哲学ができあがってくるような気がします。あくまでも本を読んで自分なりの考えをまとめる段階は商品のプロトタイプのようなもので、実際にフィールドでテストを繰り返すように隣人や会社の中で行動することで自分なり哲学として完成して行くのだと思います。ただプロトタイプがなければ日常の経験も何の役にも立ちません。
僕に本を読む習慣をつけさせてくれた人は新入社員の頃の上司でしたが当時はSF小説や歴史上の人物の小説が中心だったような気がしますが、時間細切れ読書法にはエッセイが最適ですし、時代の流れが良くわかります。従って長い時間が取れる時には長編小説、通勤電車等短い時間活用にはエッセイと言う格好で本を読むことをお薦めします。
今日は自分の哲学を持つための一つの方法の話をしました。明日は自分創りのためのヒントとなる考え方について話してみたいと思います。もっとも僕もまだ自分創りができている人間じゃないので答えになっているかどうかは自信ありません。でも努力はしています。
それでは明日をお楽しみに!