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”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(83)

2006年07月04日 23時18分04秒 | ビジネス
7月4日晴
今日の朝の空をごらんになりましたか?あの青さは夏の空ですよね。一瞬梅雨が明けたのかと思ってしまいました。7月7日の七夕にあんな空だときっと星がきれいでしょうね。織姫と彦星の伝説のロマンに思いを馳せるかもしれません。織姫も彦星も働き者でしたが結婚するとあまりにも仲が良すぎて二人でいるばかりであまり働かなくなってしまったそうです。そこで怒った神様は二人を1年に1度だけ会えるようにしたとか。我が家をみればあまり仲良くないすれ違いばかりだけど、もう30年もいっしょにいるのだからまぁ何事も適度が一番かもしれません。

ところで今日は昨日の続きですが、これからの時代はたとえ企業に所属するサラリーマンであっても個人事業主として生きていく心構えが必要だろうと言った話までしました。その理由はすでに賢明なみなさんのことですから十分わかっていることだとは思いますがとりあえず復習しておきましょう。20世紀にはいってT型フォードの量産から世界は工業社会になり、同じものを大量に生産するために工場で働く人も同じぐらいのレベルの人を長く働いてもらうため終身雇用・年功序列・退職金といったしくみがどこでもとられてきました。そして会社に尽くすことが結果として自分や家族にとってもその恩恵を十分受けられました。ところが今から約50年前にコンピュータが出現し、世の中は序々に情報化社会に向かいます。情報化社会では今迄大勢の人手をかけていた仕事をコンピュータがもっと早くやってしまうようになりました。こうなってくると人間の仕事は知恵を出すことが中心となります。そしてあまり多くの人はいりません。従って企業も社員を囲い込んでおく必要性も限られた人だけとなってきます。そこで我々サラリーマンも限られた人材になるための技を要求されます。自分のできることを企業が必要としている間は企業は手放さないでしょうが、不要になればコスト削減のため、新たな技を身につけて残るか手放されるかどちらかになってしまいます。一方サラリーマンも自分の技を高く買ってくれるところがあればどこにでも行けるようになりました。すなわち企業と従業員の関係は相互拘束型から相互選択型に変わってきているということです。そこで我々従業員も個人事業主として自分の持てる技で給料(=売上)をもらう立場になると考えた方がよさそうです。もっとも現在の資本主義のあり方が変われば話はちょっと変わってきますが。

そこで個人事業主としての心構えとして大切なことは自分の経営戦略(哲学)を持つと言うことが極めて大切なことになってきます。相互選択型の時代ですから自分で判断して自分の責任で決断することが必要だからです。
そこで一昔前は「自分探し」なって言葉がはやりましたが今はそんな甘いことではなく、「自分創り」の時代です。自分を創って行く上でやはり自分流の哲学を持つと言うことがまず最初に考えなくてはならないと思います。
それではどう自分を創って言ったらいいのでしょうか?この正解はありませんが方法論としての参考意見はまた別途述べることにします。その前に一言だけ言っておきたいことがあります。

世の中には変えられるものと変えられない物があります。変えられない物をいくら考えてもあまり意味がありません。でも変えられる物は一杯考えるべきです。たとえば過去と未来、過去はどんなにくやしがったり後悔しても変えることはできません。逆に未来は自分の行動や努力によって変えることができます。とかく我々は過去を見てぼやいてしまいがちですが、過去を客観的にみて「だから将来どうする」と言った思考だけ考えることが大切だと思います。また生理反応や感情は変えられませんが思考や行動は変えられます。世の中には生理的に相性が悪い事だってありますが、思考を変えることににより反面教師になると思えば苦ではなくなります。そして行動を変えることにによりいやな思いもさけられるものです。自分も昔営業をしていた時にどうも苦手なお客様もいました。でもその人に言われることをがまんできるかどうか天に試されているのだと思うことにより、我慢もできるし、よく聞いていると本当は全然思っていたのと違う人だったと言ったことがよくありました。
人を変えることはできないけれども自分を変える事は思考や行動を変えることにより容易にできるものなのです。そのことをまず頭に入れておいてください。
自分が変えられるものを変えていくことが「自分創り」には必要ですから。

ここでも誤解を与えそうなのでちょっと注釈しておくと、物事の本質まで変えろと言っているわけではなく、あくまでも自分が正しいと思う判断基準を持つために先輩や本から学び自分が違っていたと思うことだけ変えていけばいいわけで、あまり自分の判断基準は変えるべきではないと思っています。まさにその判断基準こそが自分流の哲学なのですから。
長くなってしまったので今日はここまでです。
明日は自分流哲学を創る上での一つの方法論を経験に基づいて話してみたいと思います。
それではまたあした。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(82)

2006年07月03日 23時24分47秒 | ビジネス
7月3日(月)曇
今日はこの前書いたブログの内容で精神を集中して物事を解決するための方法論として宗教の話をとりあげたところ安易すぎると言うご指摘をいただきましたので少し注釈をします。僕の言ったことは何も念仏をとなえながら事にあたると言う安易な意味でとりあげたのではなく、修羅場で自分の力を発揮するためには自分の信じた道を貫き通すことであり、そのためには自分の哲学を作る必要があると言うことです。自分の哲学を作っていく上で、宗教は一つの生き方の見本のようなものなので手っ取り早く身に付ける方法として勉強しておくとよいと言うつもりでとりあげました。
我々日本人には古来から神道・仏教・儒教と言う三つの宗教の教えが混在して基本的な考え方ができています。これらの教えの中には我々が生きていく上でいろいろな困難に立ち向かう心のあり方を教えてくれています。自分の哲学を作ると言っても無から有は生まれません。親・友人・知人からの影響・本からの影響・宗教からの影響等を受けながら人生の中で自分の哲学を自分で作っていくことになります。自分の信じる道(哲学)があれば人間迷うことなく精神力を発揮できると思います。
そう言う意味で「日本の三大宗教」河出書房新社、夢文庫、と言う本が最近出ています。日本人として基本的な宗教のことをこの機会に知っておくのもいいと思います。
前置きが長くなってしまいましたので今日の話は手短にします。
前回事業を起こすのに必要なことを書きましたが、これからの時代はたとえ企業に所属するサラリーマンであっても個人事業主としての心構えを確立することが重要だと僕は思っています。少なくとも年功序列の崩壊・終身雇用の崩壊に見られるように大企業に就職したからと言って定年までいられる時代は既に終わったので、自分の力を自分で磨くことが必要ですし、会社のためだけに滅私奉公することもなくなってくると思います。自分がもし会社を経営する立場ならまず同じ仕事をする仲間(=社員)がいっしょにずっと仕事できるようにすることを最優先に考えたいと思うけど現実はまず株主最優先にどんどんなっていくだろうと思います。なぜなら経営者が資本を持っていないからです。経営者と言えどもみんなサラリーマンですから資本家の言うことを聞かないと自分がやめることになっちゃいますからね。そうなると従業員は自分のことは自分で守るために自分の力を蓄えることになっていきます。ただ個人的には小さくても自分達で資本を持って同じ仕事をする仲間のための仕事をしてみたいものです。世の中の流れとはちょっと違いますがそんな企業が増えてくると、次の発展が期待できるような気がします。
そこで個人事業主として企業の中でやっていくために必要なことを書いてみたいと思いますが今日はもうここまでにして、この続きはまた明日書いてみます。それではまた。


しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(81)

2006年07月01日 21時04分17秒 | ビジネス
7月1日(土)曇
雨が降ると言われながらなかなか降らない天気が続きます。どうせなら早く梅雨前線が北に行って夏空になってほしいものですが、南に前線が停滞したままのようです。
さて昨日は事業を始める時に何を商売のネタにするかと言うことについては誰もが考えることですが、もう一つ商売が軌道に乗るまでの収入確保策が考えられているかどうかが大切だと言う話をしました。もっともあんまり考えすぎてなにもできないよりは走りながら考えていくことかもしれません。自分もそうですが崖っぷち頑張っている時はいい結果が出やすいけど、まぁいいやと言う気持ちでやっているとそんな結果しかでないものです。
この崖っぷちで頑張る時の精神状態には二通りのタイプがあって、どちらかにより結果は大きく異なってしまいます。同じ崖っぷちでも、自分のできる最善をただひたすら追い続ける精神状態の時は必ず物事は好転してくるものです。かたや崖っぷちであれもこれもと欲張って一生懸命手を出す時にはまったくすべてがうまくいきませんあれもこれもと考えられるかもしれないけれども自分は今何を懸命にやったら自分の人生に悔いを残さないかと考えられるかどうかが運命の分かれ道のような気がします。
こうなったら自分の信じる道をただひたすらゴールめざして走るだけの時には想像以上の集中力が発揮でき、それゆえ解決の糸口がみえてくることが多いのです。逆に崖っぷちまできても自分のやろうとすることに集中できずいわゆるパニック状態で周りが気になったりしている時は何をやってもダメです。こんな時はもうジタバタせずに、あとは天の神様だけが知っていることだとあきらめて悔いのないあり方だけをひたすら追及することだと思います。
これは仕事だけでなく、何事でもいっしょだと思います。ヨットレースでもゴルフでも、最後は自分の精神力の戦いだと言えます。もっとも僕のゴルフは勝負ではなくて単に楽しければいいと言うものなので、常に目一杯すぎてスコアメイクなんかまったく考えてないのでうまくならないのだと思います。最近ヨットも昔のような勝負に夢中になることがなくなっていかに自然と調和できるかだけが判断基準になっています。ただスポーツの世界も日々トレーニングしているのであるし、最後は精神の持ち方を集中できるかどうかだけでしょう。
それではどうしたら集中力を発揮できるかと言えば、持って生まれた性格によるところが多いような気がします。ただこれも心のケアによってかなり変える事ができると思っています。太古の昔から宗教が栄えていたのは一番簡単な心のケアの方法だからでしょう。日本人はあまり宗教観を出さないよう戦後教育されてきました。そしてそのためにわけのわからないオームのようなものに行ってしまう人が出てきたのだと思います。仏教だろうが神道だろうが儒教だろうが道教だろうがかまいませんがもっと心を磨くための宗教を勉強すべきだと思います。
自分の信じる神とともにひたすら努力することができれば精神は安定するはずです。別に宗教と言うといやだと思う人がいれば、そんな人は自分流の哲学を作ると言うことです。自分の生き方を持てればそれは宗教を持ったのと同じように自分の行動に迷いがなくなると思います。
勝負の世界でのタブーは自分自身が迷うことだと思います。
それではまたあした。あしたはヨットに行ってきます。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(80)

2006年06月30日 23時46分14秒 | ビジネス
6月30日(金)曇
朝病院に寄って昨日の手術の経過を見てもらいましたが、傷口もきれいになっていると言うことで一応一安心しました。手術を担当した先生は休診で代わりの女医の先生が言っていたので、他人の目で傷口がきれいだと言うことはまぁ成功だと判断できるのかな。
ところでしばらく休養してましたが、またぼちぼちビジネス編を再開しようかと思います。多分原点となる基本的考え方は2月3月ごろののものと変わりないでしょうけどいろいろ視点をかえながら話を展開していきます。
そこで今日は新規ビジネスを起こすのに必要なこととなぜ僕が自分でビジネスを始められないのかを考えてみたいと思います。まず新しいビジネスを始めるためには何をビジネスにするかと言うことが最初に誰もが考えることです。一番いいのは世の中にない新しい発明品をビジネスにすればいいのですが、そんなに簡単にできるわけがありませんから大概の場合新しい商材を元に付加価値を付ける必要があります。そこで付加価値の付け方として、僕は4種類のポイントがあると思っています。
①商材そのものの機能を特定のニーズに限定したカスタマイズ
②商材そのものの機能とプラス別の機能を組み合わせることによる新たな複合機能を実現する
③デザインとか形状を変える
④販売の方法や料金回収の方法を新しいしくみにする。
これ以外にもあるかもしれませんがこの4つの方向から商材を再構成することにより新たな付加価値を生み出すことが可能だと考えています。
これで何をビジネスにしたいかを作り出すことは誰でもできますが、これだけでは事業としては成立しないだろうと僕は考えています。自分もここまでなら過去にいくつか考えてきました。これにもう一つ大事な要素が事業には必要だと考えてます。そしてそれがいつも障害にになって事業に踏み切れないことが多いのです。この要素がないままITベンチャーが10年ぐらい前に事業を起こしましたがいずれも企業として存続している所はほとんどないと言ってもよいでしょう。その要素と言うのはベースロードとなる収入確保策です。新しい商品が世の中に普及していくにはかなり時間がかかります。よっぽど大きな資金源があるのならいいでしょうが大抵はあるわけないので、新しい商品を売れるものにしていく時間を食いつなぐための手段を考えておく必要があるだろうと思っています。これは別にかかるコスト以上にというのではなく、かかるコストのすくなくとも半分程度の収入確保策を意味しています。特にパートナーチャネルを使って販売していこうと考えれば特にリスク軽減の収入策をセットで提供するような事業化が必要だと自分は思っています。実は世の中には売れるようになるまでに挫折してしまうものがいっぱいあります。特にベンチャー企業の商品にはそのような傾向が非常に強いような気がしています。
昔ITベンチャーのお世話をしていた時期がありましたが、ベンチャー同士の交流会は何回か開催したのですがこれは今思うに、大失敗でした。ベンチャー同士が連携なんかできるわけがありません。ほんとうは大企業とベンチャーの交流が事業化には必須だと今は思っています。それは長続きさせるための栄養補給の役割を大企業がになう必要があると思っているからです。行政は環境を提供することばかりですが、新しい商材で道を切り開くための収入確保策までは考えてくれないし、大企業も自らは考えてくれません。従って事業化をするベンチャービジネスには商品となる商材の開発とそれを軌道にのせるまでの収入確保策が必要だと思います。
きょうはビジネスを新たに起こすために必要なことは単に商品開発だけではないと言う話でした。多分バブル時代の多角化やITバブル時代のベンチャーの事業の動向を追ってみれば僕の言っていることも少しは賛同してもらえるのではないでしょうか。
それではまた。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(79)

2006年06月01日 22時18分28秒 | ビジネス
6月1日(木)晴れのち曇
今日から6月と言うことで衣替えの時期になりました。僕は今週から背広も夏服に変えたところですが、わが社では今日からクールビズにはいりました。クールビズにふさわしい暑い日になりましたが、折角夏服にしたばかりなのでしばらくは今のスタイルで頑張ってみようと思います。
ところでこのブログも僕の心といっしょで息切れ状態になってきました。今は精神力を試されているような状態ですが、相変わらず本だけは読み続けています。別に何かに役立つ訳でもないでしょうけど、明治の人達の生き方を知りながら僕のような人間でも何かヒントになることがあるかもしれないともがいています。
高橋是清の話も一応読み終わりましたが、日銀総裁、大蔵大臣になってから2.26事件で暗殺されるまでの話よりは横浜正金銀行時代の話の方がおもしろく感じました。派閥でがんじがらめになってどうにもならない銀行へ乗り込んで様々な改革を実践していく姿は読み物なのでよけいかっこいい話になります。ただそれは彼の力だけでなく、彼の味方がいたと言う幸運もあったように思います。成功する人に共通する点は、どんなに孤立した状態であっても、常に信じる正義の道に影ながら味方してくれる人がいることも事実のようです。もっとも人生の運・不運はひょっとしてそう言う味方ができる行動をとれたかどうかなのかもしれません。歴史に名を残す人はみなどこかに味方がいたと言うことです。
つくづく人間一人では生きられない動物だと思います。ただ、だからどう生きるかにはかなり違いが出て来るような気がします。自分は不器用な生き方しかできないので人に教えることはできないけど、最後は自分一人で死んでいくことを考えれば、あまり人をあてにしてもしょうがないと割り切ろうとしています。あとは天のみぞ知るです。多分迷いなく生き抜けるかどうかかもしれません。ただここが人間のおもしろいところでそう言いながら弱さゆえに悩む繰り返しの自分がいます。いくつになっても仏の道はまだ遠く、餓鬼道・阿修羅道をさまよい続けるのが人間かもしれません。ここから自分自身を脱出させることができた時にまた一歩前進するのでしょう。
ただ考えようによっては仏の道を求めてさまよっている間は生きている証なのかもしれません。だからすべてを受け入れて、あるがままに生きていくことが人の道なのかもしれません。要するに悩みや苦悩もあるがままに受け止めて、それでも自分の道を自然体で歩き続けることが理想的な生き方だと思います。
なんか変な話になってしまいましたので今日はこの辺で終わりにします。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(78)

2006年05月30日 23時30分18秒 | ビジネス

5月30日(火)晴れ
最近少し天気がよくなりましたが、春が雨が多すぎて田舎ではお茶の出来高が去年の半分ぐらいと言っています。みんなにいっぱいあげたいところですがなかなかうまく行かないものです。
このブログも何とか半年は持ちそうなところまできたのですが、続けることのむずかしさを痛感しています。僕はごく平凡な人生を歩んできたのであまりおもしろい話がないのに、なんとか自分の失敗を中心に書いてきました。そしてビジネスライフの後半の18年を書こうと思っていたのですが、まだ書くのは早すぎるかなと思っているのでなかなか後半を始めないでいます。1月、2月頃に僕が経験により学んだことはかなり書いてきたので、なまなましいところしか残っていないかもしょれません。そんなわけで、もう少し違う話を続けることにしました。
現在僕は江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した人達の伝記を読み漁っています。吉田松陰、高杉晋作、大隈重信、岩崎弥太郎などです。そして今高橋是清について読んでいるところです。伝記と言うとどうしても戦国時代の武将の話が多く過去には織田信長、豊臣秀吉、徳川家康から始まって蒲生氏郷、藤堂高虎、伊達政宗、武田信玄、上杉謙信などを読んできました。戦国時代は現実離れした部分と近代日本の原型を形作ったおもしろさの中に、生き方の教訓が詰まっていました。要するに混沌の中から這い出る時代ですからいろいろな人物像があって、生き方も様々、生死も様々。それと同じことが江戸末期から明治初期にも起こっていたと考えて読んで見ると、おもしろいと思います。さすがにすぐに刀を振り回す時代とは違いますが、かなり混乱の時代だったと言うことがよくわかります。歴史は簡単に明治を賛美したがりますが、そんなに簡単にことが運んだとは言えないようです。大隈重信と言うと早稲田大学の創始者と言うことはみんな知っているけど、どうしてそうしたのかには彼の思いを実現するために若者の教育が必要だった事情も知ってみると今の時代にも参考になることが多いです。三菱創業の岩崎弥太郎も単純に三菱を作ったわけでもなく彼の苦悩と坂本竜馬から学んだヒントがあったからこそなのです。現在読んでいる高橋是清にしても単純に日銀総裁や大蔵大臣になったわけではないことがよくわかります。今の日本は丁度次の歴史への転換期かもしれませんが、ほんとうの転換期はもう少し先のような気がします。少なくとも転換期としての評論はあっても、具体的な行動を共にする同志のようなものがあるわけでもなく、若い人達が激論を戦わせるに至っていないのが理由です。僕達年寄りが国を憂えても何も起こりません。歴史が動く時は熱心に議論する若者達が目に見えるようになってから、新しい時代のコンセプトが生まれてくるような気がします。そう言う意味で「国家の品格」のような本から若い人達が真剣に考え、勉強する空気が出て来るまではこの国はゆで蛙状態が続くのかもしれません。そのままゆで上がらないように願うばかりです。もっと国語と歴史を勉強することから始まるのかもしれませんね。
今日はこの辺で。明日は飲んでくる予定なのでひょっとするとお休みかもしれません。
それではまた。


しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(77)

2006年05月25日 23時53分51秒 | ビジネス

5月25日(木)晴
昨日の晩は若い美女3人と年寄り組3人で飲んで、今日のランチはまたまた若い美女と僕ら年寄り組2人で食事をして、いい気分ですが、しょうもない年寄りに昔の職場の上下関係だけで付き合ってくれるこの若い子達はみんな美人でやさしい子たちです。昨日都合で参加できなかった子達も同じように美人でやさしい子達です。

リタイアしたら雲のように消えるのが男の生き方と思っていた自分が、いつまでたっても未練がましく、みんなに迷惑かけてごめんなさいです。仕事が暇になって一種の寂しさを感じている自分にとっては若い人達と話をすることで元気をもらっているのかもしれません。ありがたいことです。もっともそれができるのも、僕と言うより相棒にしていただいているTさんの力かもしれませんね。
飲んだり食べたりしながら「国家の品格」を読めとか「スローライフ」を読めとか言っているこのおじさん達に付き合うのも大変かもしれませんが、暇な時はこれからも付き合ってくださいね。

ところで昨日も、今日も最近ブログに書いている内容と同じようなことを若い女性を相手に話しているのには自分はかなり意味があると真面目に思っているのです。でもいやがられるだろなとも思っているのですが。
僕たち団塊の世代は戦後教育の中で自分達の親から受けた日本人の伝統を子供に伝えることなく来てしまったと、この年になって反省しています。(僕だけかもしれませんが。)このままアメリカ的論理や効率至上主義だけでこれからの子供たちが育っていくとしたら、日本人は歴史からなくなってしまうだろうと言う危機感をみんなが感じているのではないでしょうか。そうでなければ「国家の品格」があんなにベストセラーになるわけないですよ。そのことを若い母親候補生がしっかり認識していてほしいし、そう言う認識を持った母親の子供たちの育成をお手伝いできるのは我々世代じゃないでしょうか。なぜなら日本人の伝統に唯一接している世代なのですから。
この世代が地上から消えたときになにも残していかなかったら、民族としてのアイデンティティはなくなってしまうのでしょう。まぁ中国系民族の中に組み入れられてインディアンかアイヌのような存在になっているかもしれませんね。僕は政治家でも学者でもなんでもないただの人だけど、日本人が日本人として生き残って行くためには、我々世代が生きている今が最後のチャンスなのかもしれません。
我々は多かれ少なかれ自然の中で育てらることにより学んできました。そして自然に対する好奇心と行動が、創造力を生み新しい知識を生んできたのだと思います。最近日本の子供の学力が世界の中でどんどん落ちてきていると聞きます。でも当たり前です。塾へ通い知識を覚えるだけの学力がいいわけありません。自然の中で好奇心が引き起こす発見や考える力のトレーニングができていない頭がよくなるわけがありません。きわめて当たり前のことです。既存の知識をいっぱい詰め込んでも、知識が零れ落ちることはあっても増やすことはできないのですから。ところが自然の中で遊ぶことによって知らず知らずに考える力がついて知識を増やすすべを覚えるのです。だから問題を解決する想像力を持った子と覚えた知識だけの子と学力を比較すれば結果は測定する必要もないくらい明白ですよね。なんでそんなことが今の世の中わかんないのか僕には不思議です。ただわかっているけどみんながやっていることがいつも正しくて、少数意見を実践していくことはどんなに正しいことであっても難しいのもよくわかります。赤信号みんなで渡れば怖くないと言うやつですね。自由と言いながら、日本人はとかく大衆と違った行動をとるとみんなでいじめるような悪い性癖があります。だからその他大勢と違いを際立たせずに、正しい行動をとっていく処世術がテクニックとして必要かもしれません。

この種の教育を目指した取り組みが全国で細々と試行されている話が新聞等で紹介されていますが、なかなか大きな流れににはならないようです。10年後20年後にしか結果の見えない話ですから、哲学がないと続けることができないでしょう。理屈がなくてもいいものはいい、ダメはダメと言える哲学(武士道?)を今一度思い起こすことが結局一番必要のような気がします。
また長たらしくなってしまいました。ここまで読んでいただきありがとうございました。
それではおやすみなさい。


しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(76)

2006年05月23日 22時01分26秒 | ビジネス
5月23日(火)
先週末からこのブログも少しトーンが変わったと思います。今まで読んでいただいた人に何か役立つことをとか読んでいただく人におもしろかったと言っていただけるようにとの思いを文章にしてきました。単なる一方的な思いだけで半年近く続けて来てきて、かなり僕自身の感情はオブラートしてきたが、少し僕の感情のようなものを出して書いてみました。その点で結構好き嫌いが明確になってしまうかもしれません。でもビジネスライフ(後半編)の前の一休みとして今週は雑感的に書いてみようと思っていますので悪しからずご了承願います。
と言うことで今日は社会環境保護の話をテーマに書いてみたいと思います。現在日本のいたるところで環境に対する取り組みがなされています。大部分がNPOによるものではないか思います。僕の以前在籍していた会社もご他聞にもれず、社会貢献部門を設置し、寄付をしたり・植林をしたりしています。それはそれでいいことだと思いますが、自分には社会的体裁を保つだけのためのものでしかないように感じています。東京一極集中に見られるように都市部への集中と過疎の過疎化が進むだけで田舎の自然はなくなっていくばかりです。かと言って田舎で家族を養おうにも収入の道がかぎられてしまい、誰も豊かな自然を守る活動なんかできないのが現実です。最近静岡県で過疎の村と企業が提携して、過疎の自然環境を残していく取り組みが試みられているという記事をみました。どの程度の提携なのかよくわかりませんが非常におもしろい試みだと思います。企業活動の一環としていろいろな過疎対策のアイデアが創出されるとともに、そんな活動を子供達にも体験させていくことが日本人の情緒を養ってくれることにもなるような気がします。最近町で遊ぶ子供をみたことないとよく言われます。誘拐だ、殺人だとまぁいろいろあるからわからないわけでもありませんが、僕達の子供のころを思うと情緒がなくてあたりまえかもしれません。我々の子供の頃は町の広場で”めんこ”をしたり、川で魚とりをしたり、山に薬草や山菜をとりにいったり四季を通してやることがいっぱいあって放課後が忙しかったけど、自然とともに生きている実感を養ってもらえたと思います。そんな日本人のアイデンティティである情緒を養いながら日本の豊かな自然の恵みを守る活動が実現できたらすばらしいなと考えています。東証1部上場企業だけでも1500社近くあります。それらの会社の社会貢献事業としてそれぞれが特定の過疎地と提携して、農業・漁業を通じて豊かな自然環境保護と日本人の情緒を養成する場として活用できたらおもしろいなと思った次第です。働き過ぎと言われる日本ですが福利厚生の一環として、1~2週間の休暇と家族で暮らせる場所と農作業や環境保護活動等のカリキュラムが準備でき企業から派遣された家族がそれぞれ貢献活動をするといった制度ができたらおもしろいと思います。まさにプチスローライフが実現できます。きっと徴兵制なんかよりずっと品格のある国家の生き方が実現します。そして日本人の失われつつある情緒の復活・伝統的文化や生活基礎技術の習得も同時に実現できるのです。
多分企業側からはこのグローバル化の時代に何を寝言を言っているのかとお叱りを受けそうですし、行かされる社員も子供の勉強が遅れるとかいろいろ物議をかもすアイデアかもしれませんが、徴兵制のある国では2年3年自由のないことを考えれば義務化してもメリットが多いと僕は思うのですがみなさんはどう思われますか? 
またとりとめもない話をしてしまいましたが、半分本気で考えてしまいました。
今日はこの辺で終わりです。バイバイ

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(75)

2006年05月22日 22時53分19秒 | ビジネス
5月22日(月)晴
昨日横浜でFRPの講習を受講して、講師の会長さんの話を聞きながら彼のビジネスに対する姿勢に心地よい感動を受けました。81才と言う年齢から考えると会社の経営は社長にまかせて、道楽として僕らのような趣味が高じて自分で修理をする人達を相手に教えているだけだけど、結果として僕らからの注文によるビジネスになっている点で、これからのリタイア世代にも参考になる生き方だと思った次第です。
僕に教えるものがあるのかと言われるとはなはだ心もとないですが、少なくとも我々世代には後世にに伝えたい日本の文化や技術を持っているように思っています。ただそれらを教わりたいと思う人がいるかが問題かもしれません。今の日本から消えつつある伝統的なものはいっぱいあります。農業、煮物料理(スローフード)、哲学(心の持ち方)、サバイバルの衣食住などもっと基礎教養として持っていてもいいような気がします。現代はあまりにも専門家に委ねられすぎて何でもお金で解決する傾向が強いけど、日本の将来を考えるともう少しオールラウンドに生活していくための知恵をみんなが持っていることが重要だと思います。確かに効率的な社会とはちょっと違うけど、元々それぞれが持っていた無駄な知識が新しい変革に対応していくポテンシャルを築いているのだと考えるのが素直だと思います。アメリカが推し進めるグローバル化は理屈の上では極めて論理的だけど、それぞれの国がアメリカを中心としたシステムの部品化となるだけで、時代と共に不要な部品は捨てられるだけのことでしょう。ただ捨てられた時に自給自足で国を立て直すだけのポテンシャルを持っているかどうかが、日本と言う国の将来を決定付けてしまいます。だから僕らは少々効率無視で無駄な生活知識を持ちながら生きていくスローライフが必要な時期にきたのだと思います。世の中に加速しっぱなしで走り続けるものは何一つありません。今まで効率重視で突っ走ってきた日本なのだから、少しスピードを緩めながら次へのポテンシャルを蓄える教育も必要だなと痛切に感じています。
自分もサラリーマンとしてあくせくやってきた一員で、偉そうなことを言える立場ではありませんが我々は子供の頃に田舎で自給自足に近い生活をしてきた経験を持っています。それに引き替え、うちの娘のように都会で生まれて都会で育ち、お金の流通だけで生活している世代は僕らが都会で効率重視のシステムで働いた産物であり、責任は僕らにあるのだから、これからのリタイア世代が罪滅ぼしに田舎の感性を養うブレーキ役も引き受けるべきでしょう。多分僕らの年代の方には共感していただけると思うけど、若い世代の人がどれほどそんなことの必要性を認めてくれるのかさっぱりわからない。でも田舎の感性を教える年寄り世代とその必要性を感じる若い世代のコラボレーションがこの日本の中で湧きあがってくることができたらいいなと考えています。
ビジネスそのものではありませんが、そんな中で結果として新しいビジネスが発展するような気がします。昔に比べて自営業がどんどん少なくなって、資本力のある企業の傘下でしか成立たない時代ですが、効率重視の結果だと思えばスローライフは自営業復活のシナリオなのかもしれません。地に足の着いた日本になるために、アメリカのグローバル化戦略から少し距離をおいた生き方を、一方で始めておきたいものです。
とりとめのない話になりましたがたまにはいいでしょう。今日はこの辺で。

しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(74)

2006年05月19日 23時18分34秒 | ビジネス

5月19日(金)曇(東京)
今日は朝から東京出張で池袋の展示会と有楽町のセミナーと走り回っていたのでさすがに疲れちゃいました。帰りの途中静岡あたりですごい雨が降ってましたけど、名古屋の天気はどうだったんでしょうかね?ほんとは最初今日はGOLFの予定だったんだけど、骨折後の回復がいまいちのため急遽取り止めにして、一日空いたのでこの機会に情報収集をと東京に行ってきました。もう少しゆっくり昔の仲間とも会って話したりしたかったのですが、明日は歯医者と整形外科に行く予定だしあさってはまた横浜にFRPの講習会に行かなければならないので今回は誰とも会わずに、自分のほしい情報だけの収集でした。
そう言えば皆さんは”国家の品格”と言う本をもう読まれましたか?僕は先週読み終わったと言うか一ヶ月ぐらい読んでは戻りゆっくり読んでいました。と言うのも自分の思っていることを代弁してくれているような気がしたからです。特に最近反対できないような論理で物事が規則化されていく世の中の風潮に、おかしいと思っていたからかもしれません。以前にも書いたかもしれませんが、道徳教育が廃れて、欧米流の論理だけで物事を判断しがちですが、論理は出発点すなわち前提条件が異なるとまったく違った答えが出て来るものです。「国家の品格」はその点をかなり明快に証明してくれています。そして物事を見る感性(情緒)の大切さを必死に訴えているように思います。著者が言うように理屈なんかなくたってダメはダメなのです。その基準の根源には日本人としての道徳(武士道、儒教、仏教)があるのです。商売でも僕はやっていい商売とやってはいけない商売があると思っています。儲かればなんでもいいと言うのは長続きしないし、長続きしないビジネスはお客様に迷惑をかけるだけです。お客様だけならまだしも社会環境や国家の存続にすら影響することだって考えられます。それを僕達は”お天道様が見ている”と思うことによって自制していたのに、今では欧米流の論理だけを都合よくとって、理屈は通っているけど内心おかしいと思うことが堂々まかりとおっています。今一度原点に戻って日本人としての生き方を見つめ直すことがあってもいいように思います。
最近僕は腹の立つことが多くあります。特にコンプライアンスとかセキュリティについては過剰反応としかいいようのない規則ばかり作っています。そして少しでも異議を言おうものなら悪人になってしまいますが、アメリカという国は多国籍民族国家であり、基本的に性悪説国家です。だから法家のごとく規制、規制で統治していかざるを得なくなっているだけだと思います。そして法家が栄えた国は中国では”秦”ですが、過去の歴史では強力な国家になることはなるけど長続きしない国家でもあります。もっと日本史・国語の教育を充実して、人を大切にする心をベースにして”法”は作るべきだと思います。要は結果に対する罰はきびしくてもよいけど、手段についてはバカな規制は作らないということでしょう。今養老孟司さんの”こまった人”(中公新書)を読んでいるのですが、僕には彼も同じような感覚の持主のような気がします。但し養老さんは皮肉るだけであまり中味に立ち入らない傍観者的スタイルを貫いているので、やっぱり賢い先生だなとは思いますが。
それにしても「国家の品格」を書いた藤原さんも「こまった人」を書いている養老さんも理科系の人なのですが、肝心の文系の人たちって欧米至上主義の人しかいないのかなぁ。
まぁ僕もよくわからないけど、最近何か変だなぁと思うのは僕だけかもしれないのでもうこの話はやめましょう。ただ「国家の品格」の中で藤原さんがおっしゃっているように、直接世の中に役に立たない仕事をいっぱいやっている国は世界から尊敬され、国家として長く存続するというのは正解のような気がします。安ければ何でもいい、とかお金さえあれば何をしてもいいと言ったことにならない日本人でありたいと僕は思う。人生にはお金に変えられない自然や日本的美があることを知ってもらいたいのだけど無理なことかもしれません。人間の歴史は廃墟にならなきゃわからない歴史でしょうから。そう言えば人間ほど歴史に学ばない動物もないんですよね。そのくせ歴史の書物はいっぱいあるのはどうしてなのかな?ではおやすみなさい。