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”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2023年11月26日 23時41分56秒 | Weblog
11月26日(日) 晴

 いよいよ冬がやってきた

急にサムかくなりました。昨日御殿場から名古屋に戻りましたが、御殿場の田舎はめっきり寒くなりました。まぁ寒いのは結構つらいのですがこの時期の富士山は自分が一番好きな景色になります。雪が薄く全体に積もって来る富士は美しいと思います。

一応灯油を買っておいたので次回田舎に行っても大丈夫です。もっとも給湯器が壊れてしまったようなので次回は買い替えなければならないようです。最近田舎の家では屋根の修理をしたばかりで、今度は給湯器とまぁいろいろ不具合が多くなって大変です。
田舎の畑は大根、里芋を収穫し、トマト・ナス・ピーマンを片付け、ブルーベリーの下草刈りと礼肥をし、レモンをビニールハウスで覆いました。もっともレモンは御殿場では寒すぎて冬を越せないようで毎年枯れてしまいますが春にはまた若葉が出てくる状態で実を付けません。
さて今週は元の会社のゴルフコンペと友人達とのゴルフが予定されています。本当は練習をしておきたかったのですが残念ながらぶっつけ本番になりそうです。まぁ飛ばそうと思わず、ゆっくり楽しむゴルフができればいいなと思います。


しんさんのよもやま話

2023年11月22日 22時22分29秒 | Weblog
11月22日(水) 晴

 再び御殿場に

今日は科学館で来年1月に予定されている小学3年生の出前授業の準備でした。まぁ内容は磁石の反発を活用した工作を実施しながら磁石の性質を学習すると言った内容です。今まで小学1年生のゴムを活用した工作や小学2年生の虹の工作が中心でしたが、今回は小学3年生の工作になります。一応昨年一度説明したことのある内容ですが忘れてしまったこともあって、思い出しながら材料を準備してきました。まぁ実際の授業より材料の準備の方が結構大変です。今回は約140人分の材料をメンバーで手分けをしながら2時間かけて何とか準備が完了しました。図らずも自分が説明役になってしまいましたが、昨年使った説明用の物を見直してやるつもりです。まぁその前(12月)に小学2年生の授業も担当することになっているので、そちらの準備もしなければなりませんが、こちらも昨年使った物の見直しで臨むことにしています。
まぁいろいろやることはあるのですが明日から御殿場の田舎に行ってきます。今回は分納している固定資産税の支払いや農作物(大根、里芋、生姜)の収穫と夏野菜(茄子、ピーマン、トマト)の片付け、ブルーベリーの下草刈りと礼肥などをしてくるつもりです。畑の作業はこれ以外にもいろいろあるのですが次に行く機会にやることになりそうです。まぁ畑の作業はやりだすとキリがありません。現在田舎の畑には来年の春に収穫する玉葱、空豆、キヌサヤ、大蒜などが既に植えられています。それにまだ収穫できそうにない白菜、キャベツ、ブロッコリーがあってこちらはうまくできているのか様子を見てくる予定です。まぁ多品種少量生産なのでそれぞれの世話に結構手間がかかりますがこれも結構おもしろいと勝手に思っています。

しんさんのよもやま話

2023年11月21日 22時49分43秒 | Weblog
11月21日(火) 晴

 ホモサピエンスその3

少し落ち着いたと前回のブログで書きましたが、中々そうは行きませんでした。ことの発端は自転車が紛失してしまったこと。まぁ買い替えようと思っていた自転車なのですが、まさかあんなボロの自転車が盗難にあうとは考えにくいのでですがどういったことか紛失してしまったのです。まぁそれは良いとしても新たな自転車を購入しなくてはなりません。そのため自転車屋巡りをして以前と同じような自転車を探していました。また田舎の屋根の修理代等の臨時支出などもあったことから保有している外貨預金を一部円に換える手続きをしていました。まぁ10年も前に外貨に換えていたので円安の現在ではかなり差益があります。さらにそれに加えて病院に行ったりでかなり慌ただしくなってしまいました。
そして明日は科学館で小学校への出前授業の準備に行きます。明後日からは御殿場の田舎に行く予定です。そんな訳で相変わらずドタバタしています。本当は来週のゴルフコンペに備えて練習もしたかったのですが、どうもぶっつけ本番になりそうです。
さて今日はその後のホモサピエンスの話をしてみます。ホモサピエンスが他の人類を絶滅させたり、当時の大型生物を絶滅に追い込んだことは以前述べましたがホモサピエンスの狩猟採集民がどうして農耕民となっていったのか?それによって生態系はどうなったのか?そしてそれから先にはどうなっていくのか?こんな疑問にどう答えますか。まず狩猟採集民のホモサピエンスと農耕民のホモサピエンスが長い間共存していたことは容易に想像がつくと思います。そして狩猟採集民のホモサピエンスはかなり広範囲を家族単位で移動しながら生活していました。そのためたくさん子供を持つことはできなかったと思われます。それに対し定住生活の農耕民は子供をたくさん持つことができたことが一つの要因です。そして農作業の特性から家族間での共同作業、共通の認識を持つ必要性があったと考えられます。共通の認識とは想像上の神とか神の化身となった人物を崇拝することや共通の外敵(畑を狙う動物など)に対処することなどが考えられます。そんな共通の認識によって家族間のつながりがより大きな組織化を可能としました。そのため数の少ない狩猟採集民はより辺鄙な所に追いやられ衰退していったと思います。また農耕民にとって外敵となる生態系は衰退し、農耕民に役立つ犬、猫、ヤギ、羊、鶏、牛、馬などが家畜化されていったことにより生態系もどんどん変わっていったと思われます。そして現在もそのことは絶滅危惧種となって続いています。
まぁその結果地球上にはほとんどが農耕民のホモサピエンスとなってきた訳ですが彼らをつなぎ留めている神とか神の化身の人物はすべて共通ではありません。したがってホモサピエンスが信じる崇拝者(物)の違いがお互いを殺しあう戦争を引き起こしました。そしてこれは現在も地球上のいたる所で起こっていることです。まぁ時代が経つにつれ科学と言う知恵によって戦い方はずいぶんと変わりましたが相変わらず同じことを繰り返しているのが現在です。
ではこの先ホモサピエンスはどうなっていくのでしょうか?その答えは狩猟採集民から農耕民に変わっていったことと同じことが起こるのかもしれません。つまりより大きな共通の認識を持った人類に変わっていくのかもしれません。そしてそれは科学のさらなる進展によって起こる事なのかもしれません。ひょっとするとクローン化されていくのかもしれませんが現代の我々には想像もつかないことなのでこの辺でこの話は終わりにします。

しんさんのよもやま話

2023年11月19日 22時47分47秒 | Weblog
11月19日(日) 晴

 やっと落ち着いた日

今週も慌ただしく過ぎた一週間でしたが、昨日の科学館でのモノづくり工房を終えて一段落です。今月の科学工作の発案、世話人を引き受けたのはいいのですが毎週4人のボランティアで実施するため16人の担当がいる中で準備会にも参加してもらえなかった人が3人もいたのです。まぁ前日の夜に欠席の連絡をいただいた人には担当出ないボランティアさんに代役をお願いし、昨日は退会したと言う人の代わりに自分が出ることなりました。まぁもう一人のボランティアさんには科学館から何とか連絡を取ってもらい一応出席となったことで来週は自分が出なくても良くなった。そんな訳で今月の科学館での工作の実施には苦労したのですが自分が2回参加するだけで何とか済みました。もっとも何かあれば世話人として来週も行くことになるかもしれませんが一応目途が立ってやっと落ち着きました。まぁ2回も参加した科学工作では子供たちが自分で作った工作がどの子もうまく動いて喜んでくれたのが幸いでした。
今週は家族の病院への送迎やら田舎での支払い、同窓ゴルフコンペ、科学館と毎日がドタバタでしたがこれで少し落ち着きました。
まぁ自分は忙しく動き回る性分なので少し落ち着くとまた余計な予定を入れそうですがここ2,3日はゆっくりしようと思います。


しんさんのよもやま話

2023年11月18日 06時47分19秒 | Weblog
11月18日(土) 曇

 ホモサピエンスその2

昨晩、御殿場の田舎から名古屋に戻って来ました。今回の田舎では修理が終わった屋根の代金の支払い、高校時代の仲間とのゴルフコンペ、畑のサトイモ、ダイコン、ショーガの収穫と慌ただしく過ごした3日間でした。屋根の修理代金の支払いに行った先では御殿場でも熊が捕獲されたことが話題となっていました。まぁ最近どこでも熊の出没があることとは言え困ったことです。
ゴルフコンペはハンデに恵まれた結果なんと優勝してしまいました。まぁいつもブービー争いをしている自分がどうしたことでしょう?不思議なことにスタート直後の1番ホールでバンカーで3打も打って9と言う最悪のスタートだったのが幸いしたようで、次からは気負うこともなく淡々と打っていたらパー2つ、ボギー4つとなぜか好スコアとなって久々にハーフ49でした。もっとも後半はダブルボギーペースになってしまいましたが大叩きしたホールがほとんど隠しホールでハンデがたくさんになった結果でした。まぁ二度とはないラッキーなラウンドでしたが素直に嬉しい。
そして今日は午後から科学館で子供たちを相手に科学工作をしてきます。
ところで前回のホモサピエンスの補足ですが我々人類は狩猟採集民としてアフリカ、ユーラシア、オーストラリア、南北アメリカと狩猟を続けながら拡散していった訳ですが、その間にネアンデルタール人、ホモエレクトス人を絶滅に追いやっただけでなく、それぞれの大陸に生存していた固有生物も絶滅に追いやっていったようです。その痕跡はオーストラリア大陸にホモサピエンスが上陸した2万5千年前以前に生息していたディプロトドン、フクロライオンと言った固有の生物の化石は人類の到達した時期以後は発見されていないと言う事実やアメリカ大陸にホモサピエンスが到達した1万6千年前に生息していたサーベルタイガー、オオナマケモノ、アメリカライオンと言った固有生物も時期を同じくして絶滅した(それ以後の化石が出土されない)と言う事実から我々人類(ホモサピエンス)が最初に地球上の生態系を大きく変えたことになる。もっとも数千万年に絶滅した恐竜時代以後のことになりますが。
まぁ我々人類はその後、狩猟採取民から農耕民に変わっていくことによって再度生態系を変えるような絶滅危惧種を生み出しただろうし、そして科学による発展を遂げている現代においても新たな絶滅危惧種を生み出している。まぁこれが良いか悪いかは判断できませんが我々が良かれと思って生み出していく世界はいずれ我々と家畜化できた動物以外はいなくなってしまうかもしれません。まぁその頃自分は存在していないでしょうがいずれ我々人類も恐竜時代のように忽然と消えるのかもしれません。


しんさんのよもやま話

2023年11月13日 23時27分42秒 | Weblog
11月13日(月) 曇時々晴

 ホモ・サピエンス

今日は急に寒くなりました。遂にセーターを出すほどになり、これからの備えとして灯油も購入してきました。
ところで今日はちょっとした疑問について考えてみました。我々地球上の人間はすべてホモ・サピエンスと種と言われています。およそ15万年前に我々の祖先は東アフリカに存在していたようですが、その頃人類と言われる種にはネアンデルタール人やホモ・エレクトスと言われる種などが既に存在していました。その当時の人類は石器を使い火を使う特殊な生物として存在していたはずです。そして他の生物(サルなどの哺乳類)と同じように家族単位の群れとなって狩猟採集をしていました。その頃のホモ・サピエンスはネアンデルタール人やホモ・エレクトス人とほとんど変わらない特徴を持っていたと思われますが、その8万年後の約7万年前に世界中でネアンデルタール人やホモ・エレクトス人を凌駕し始めて約3万年前にはホモ・サピエンスだけが生き残り他の種の人類は絶滅してしまいます。どうして同じ特徴を持った人類の中でホモ・サピエンスだけが生き残ったのでしょうか?これは大きな疑問です。
まぁ宇宙人に知恵を付けられたとかいろいろなことが言われていますが、最近の学説では同じように持っている脳の使い方が少し違ってきたことが大きな原因のようです。まぁ遠い祖先となるサルやチンパンジーなどが家族単位の群れを形成して、群れを守るために戦い、群れを維持するために食糧を確保してきたのと同じように人類も群れを守ることが本能だったはずです。ところがホモ・サピエンスは当初はそうだったかもしれませんが、何万年もの間に崇拝する神のような物を想像するようになったことが生き残る大きな原因になったようです。家族単位で独立に行動していたネアンデルタール人やホモ・エレクトス人に対しホモ・サピエンスは群れの間で共通に崇拝する神のような想像物を仲介としてより大きな組織を作ることができたから家族単位の少数の群れに対して優位となり、狩猟採集ができる場所をどんどん広げることができたのに対し他の人類は不毛の地に追いやられてしまった。そして絶滅するしかなかったのかもしれません。まぁ一部に混血の考えもありますが現代のDNAの解析結果からはほとんど違う結果となっているようです。
まぁつまらない話を長々と書いてしまいました。暇人のたわごとでした。
さて今週は御殿場の田舎に行く予定です。

しんさんのよもやま話

2023年11月10日 23時34分26秒 | Weblog
11月10日(金) 雨

 落ち着かない日々

11月の初めは科学館や御殿場の田舎といろいろの行事が続きバタバタの日々が続いたが今週は少し落ち着くと思っていたが中々そうはいかない。まぁ少し落ち着くと思っていたけど次から次へと考え事が起こって来る。田舎の屋根の修理の問題、田舎の菩提寺の奉仕作業の問題、科学館の小学校出張授業の準備と今月の科学館の科学工作のメンバー確保の問題、まぁ他にもいろいろ考えることがある。来週以降ゴルフの予定が3回も入っているけど練習もままならない。今月の手帳はほぼ予定が入っている。その中で御殿場の田舎に行かなければならないがあまり日数が取れず畑の作業はほとんどできない状態だ。もっともほとんどが片付けや草刈りが中心になるのでどうしても後回しにしてきたツケが来た感じ。そして常に動き回るようになぜかなってしまっている。
まぁ年中こんな感じで過ぎているのでこれが自分の生き方なのかもしれない。
そんな中で今週は束の間の週末になりそうです。


しんさんのよもやま話

2023年11月06日 15時32分47秒 | Weblog
11月6日(月) 晴のち雨

 秋の収穫

4日の科学館のモノづくり指導をした後、新幹線で御殿場の田舎に。途中沼津で御殿場線の発車時間を待って、軽く夕食を摂り田舎の家には午後8時過ぎに着きました。そして翌日は早朝に畑に出てキヌサヤの種蒔きをして、午前10時には昨年亡くなった末弟の一周忌法要に出かけました。法要、墓参の後昼食を親戚一同で摂り午後2時には田舎の家に戻りました。とりあえず急ぎ家の片付けをして午後4時過ぎには名古屋に戻ることにしました。まぁ畑に出ればやることはたくさんあるのですが、急ぐ必要のない作業であることと火曜には科学館の出張授業で小学校に行く準備があるためすぐに戻ることにしたのです。

さて話は変わりますが北東北の城巡りに出かける前に畑のサツマイモ、サトイモを収穫しました。

サツマイモは今年初めて作りましたが結構うまくできました。紅あずまと紅はるかの2種を作ったのですがどちらも結構上手にできたと自画自賛。サトイモはとりあえず半分ほど収穫して、後は食べ終わる頃にまた収穫しようと思っています。サツマイモは泥付きのまま干して旅行から帰るまで陰干し、一方サトイモは水洗いしてから陰干しにしました。特にサツマイモはこうすることによって甘みが増すのだそうです。
まぁ旅行から戻ると段ボールに詰めて友人たちに送ったり、自宅に持ち帰りました。こうして1週間以上にわたる田舎滞在と旅行を終えて車で戻ったのですが、たまたま旅行から帰った日は静岡はかなりの雨が降ったようです。まぁ自分は雨に濡れずに田舎の家に戻れたのがラッキーでした。
そんなため富士は雪でかなり覆われていました。まぁこのくらい雪が積もると富士はその美しさが際立ちます。

寒くなればなるほど富士は綺麗に見えますが、あまり寒くても困ります。まぁ中々思ったようにはならないのが世の常です。


しんさんのよもやま話

2023年11月04日 10時21分11秒 | Weblog
11月4日(土) 晴

 北東北城巡りの旅最終日

今日は午後から科学館で科学工作の本番。そして終わり次第、新幹線の三島経由で御殿場の田舎の家に行きます。翌日午前に弟の一周忌法要のためです。
まぁそんな訳でバタバタですが北東北城巡りの旅第四日目(最終日)の模様を書いて今回の旅の終わりとします。
前日の夜は八戸の賑やかな飲み屋街を堪能して、同行のK氏は最後、前後不覚状態のようでした。もっとも翌朝はいつも通り全員元気に朝食バイキング。
この日は八戸駅から新幹線で盛岡駅に行き、東北本線に乗り換え平泉に向かいました。


平泉は平日だったせいか意外と閑散としていました。食事処も少ないようで毛越寺近くの蕎麦屋で昼食。このあとは同行の2人とは別行動で私は中尊寺に向かいました。バスで中尊寺前で下車してすぐに武蔵坊弁慶の墓碑があります。

さてここからの参道は長い長い上り坂が続きます。同行の2人がパスした理由がよくわかりました。まぁ自分は初めて中尊寺や金色堂を訪れるのでそんな訳には行きません。汗にまみれながら何とか中尊寺にたどり着きました。

中尊寺から更に大日堂やいくつかのお堂があって、一番奥に金色堂がありました。金色堂は撮影禁止なので金色に輝く華麗な堂内を見せることはできませんがやはり一度は見る価値のあるお堂でした。奥州藤原氏の栄華が偲ばれます。
この御堂の中には初代藤原清衡や2代3代のご遺体が安置されているそうです。
金色堂の近くには松尾芭蕉の像もありました。
「五月雨の降残してや光堂」奥の細道の一句が。

これからまだ毛越寺に行かなければならないため帰りが参拝客をごぼう抜きです。毛越寺で同行の二人と合流し、休憩中の二人を残し急ぎ毛越寺を参拝しました。まず毛越寺山門で拝観料を支払い中に入ります。

そして毛越寺の本堂

その脇を抜けると大きな池のある庭園に出ます。

この庭園は一度見たかった庭園でした。実はもう少しこじんまりした庭園を想像していましたがその広さに驚きました。まぁどこか平安時代の名残を残した庭園のように感じました。
まぁこれで今回の旅で見学するところはすべて予定通りでした。私の旅の素案をより具体的にスケジュール化したK本氏に感謝です。
帰りは一ノ関から東北新幹線で一路東京へ。途中大宮で今回同行してくれた二人と別れ私は御殿場の田舎に戻ります。途中東海道線で列車の緊急停止ボタンが押された列車があったようで停車してしまうと言うハプニングがありましたが、平塚駅で停車中の先行列車に乗り移り何とか予定通り御殿場線に乗り換えできました。田舎の家に着いたのは午後10時、さすがに疲れて夕食の駅弁深川めしは翌朝にして休むことにしました。
まぁ翌日は田舎の畑の作物(サツマイモ、サトイモ)の整理やらいろいろの農作業をしてきました。

しんさんのよもやま話

2023年11月03日 23時30分12秒 | Weblog
11月3日(祝・金) 晴

 北東北城巡りの旅第三日(2)

今日も慌ただしく一日が終わろうとしています。明日は科学館で子供達と科学工作をする予定です。一応準備は終わっているのですが私が提案した工作なのでもしもに備え材料や完成品などを準備しました。また科学館が終わった後は御殿場の田舎に新幹線で行きます。日曜日の午前中に弟の一周忌の法要に参加するためです。そのためお供えも購入してきました。まぁそんな訳で結構ドタバタです。

さて今日は北東北城巡りの旅第三日目の後半です。弘前から新青森に出て新幹線で八戸に行きました。

新幹線の八戸駅は八戸の中心街からかなり離れています。バスでとりあえず中心街のホテルにチェックインして、その後軽装になり根城跡に行きました。
根城は鎌倉後期の南北朝時代に南朝の政庁として南部師行公が築城した城になります。まぁこの時代から南部一族は東北地方の勢力者として君臨することになります。第一日目に訪問した盛岡城も南部氏でしたね。

根城はすごく広いです。政庁跡にたどり着く前に広い敷地(今はただの芝生ですが)があります。

そして堀跡も。

さらに広い芝生の敷地を抜けてやっと政庁跡の入口に着きます。
政庁跡には正殿の他いろいろな建物が再現されていますがすべて柵で囲まれて外からは何も見ることができません。

まぁこの柵の中に入ると平屋の大きな正殿があります。

この正殿の中に入るといろいろな居室が当時を忍ばせる形で再現されています。


他の居室もすべて当時を再現した状態になっていました。まぁこれだけ整備された城跡も珍しいと思います。
正殿以外にも鍛冶場、厩、貯蔵庫などなどかなりたくさんの建物があって中を見ることができます。
そんな訳で根城はまぁ一般的な城とは少し違いますが南北朝時代の政庁跡として一番整備されているのではないでしょうか。
根城巡りの後は八戸の中心街で今回の城巡り完了の打ち上げとして飲み屋街を飲み歩きました。まぁ八戸の飲み屋街は多分全国有数の飲み屋街だと思います。小さな屋台のような飲み屋があれほど集積した街は自分は見たことはありません。
そして最終日は平泉の中尊寺、毛越寺を巡り御殿場に戻ることになりますがそれはまた別途ととします。