西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

直木賞作家・坂東眞砂子さんが亡くなる

2014-01-27 | 奈良の思い出(助教授時代)
夕方のテレビニュースで坂東眞砂子さんが舌癌で高知の病院で亡くなったと言う。享年55歳だ。高知県出身、昭和55年(1980年)奈良女子大学家政学部住居学科卒、高口(恭行)ゼミ出身。私は昭和49年(1974年)に赴任、坂東さんは、僕の講義は聞いていた。学生時代から印象が型破りだった。

でも普通に住居学関係に就職したが、おさまりきらずイタリアに留学、イタリア時代から住居関係の小文を書いて日本の雑誌などに採用されていたようだが、帰国して認められて長文の小説(ホラー小説)を書いてやがて『山姥(やまんば)』で直木賞を受けた。新潟県(越後)の民話を取材し、方言も勉強して書いている。また、住居学出身の強みを活かしたというか、空間表現にも他の作家に比べユニークさがあると当時思った。奈良女子大出身の直木賞受章は初めてだったと言える。

ゼミ指導教官だった高口さん(現・一心寺長老)に聞いたところでは、坂東さんから恩師に毎作送って来ていたという。高口さんも細かくコメントしていたようだ。

一時期、イタリアに住んでいた時のことか、南の島にパートナーと住んでいた時か忘れたが、子猫を崖から落としていることを書いて、猫ファンからブーイングがあったこともある。

しかし、多くの人を小説で楽しませ、現代では「短く太い」人生を力強く駆け抜けたと言えるだろう。ご冥福をお祈りしたい。

上野邦一さん講義「ラオス、カンボジア、ベトナムでの発掘調査ー現地調査の泣き笑いそして感動ー」に参加

2014-01-27 | 地域居住学


第65回けいはんな市民雑学大学で上野邦一さん(市民教授、奈良女子大特任教授)の表題の講義に市民学生として参加して頭を少し使った。

先週の土曜日の「市民雑学大学」で、上野邦一さんのラオス、カンボジア、ベトナムでの発掘調査の「歴史」を聞いたのだ。今後、それらの国々での考古学、建築史学の歴史が本格的に前進、開花する時には上野さんの足跡は大きく記録されることだろう。

上野さんのいいところは、「進んでいる」日本から指導に行っても決して「上から目線」ではなく、国情に応じた付き合い方をしていることだ。そりゃそうだろう、電気や水道が末端に未だきていない所で、まず生活し、生き延びねばならないわけだから・・・。

第二に、「変だな」とか「こりゃ何だ」とか思うことを頭や心に留め置いて粘り強く追及している。単に発掘技術を「移転」しているだけでなく、考古学、建築史学にも一石を投じている。例えば、現在、石造のの遺構が主に残っているのだが、小屋部分が失われている一方で瓦が多く出土している。「これはどういうことか」と頭を働かせて、木造技術の国からきた強みも生かし、「ひょっとして木造の小屋組みの上に瓦を葺いていたのではないか」という仮説を思いつき、色々な痕跡と建築構造の全体構想から、屋根から小屋組み、本体から土台の全体像をくみ上げてみてしまう。現地の人が思ってみなかったことだったろう。

こういう仮説は、インドシナ半島全体の建築史を明らかにしていく上では大きな足掛かりになるだろう。

上野さんの講義にはかなり多く「グーグル」の上空からの写真が使われていた。溝や塀の基礎などが「上」からは良く分かり、敷地全体の外枠に接近できる、まあ「一次接近の方法の一つ」と思った。

上野さんが「上空から見た全体像はスケッチできるが、地上からの視点での全体像は描くのは難しい」と言われた。窓、戸、軒などは崩れてしまっており、木造とすれば朽ちて分からなくなっているからだ。

全体を聞いていて、日本の国土研が編み出した調査の三原則ー(1)現地住民のために調査する。住民主義。(2)必ず現地に行って生で見て聞いて調査する。現地主義。(3)一つの分野で調査するのではなく出来れば地域に関する多くの分野で調査し、議論して全体像に迫る。総合主義。-を思い出していた。
.


墓の問題

2014-01-27 | 地域居住学
今朝のテレビ「あさイチ」では「”夫の墓”に入りたいですか」という特集をやっていた。1500人ほどへのアンケート調査では「入りたくない」が約60%で「へー」と思った。主な理由は、「見ず知らずの夫の”先祖代々”と一緒に入りたくない」「見ず知らずの遠い土地の墓は嫌だ」「今も嫌いになっている夫とは一緒に入りたくない」・・・。

まあ、「そんなに嫌いなら、我慢せずに離婚したらいいのに、」とも思うが、子どものことなど色々あって離婚できないのだ、と言う。で、「今、我慢しているのに死後まで更に我慢したくない」とのことだ。又、最近、ペットまで一緒に、ということも出てきているが「お寺」管理の墓では無理のようだ。

又、少子化に対応して(?)両家墓とか、更に一人とか色々な組み合わせメンバーによる集合墓も増えてきているようだ。散骨とか樹木葬というのも出てきている。新井 満さんのように「千の風になって」という考え方もある。

まあ考えてみると、地球は過去の生きとし生けるものの大きなお墓とすれば、気も落ち着くかもしれない。今「伝統的」と考えられている墓石を立て「○○家の墓」というのは、庶民レベルでは実際には明治以降の旧民法時代の産物で、今後はもっと自由に考えていいのかもしれない。

私の場合も、色々考えて方向を決めておきたい、と思っている。