夕方のテレビニュースで坂東眞砂子さんが舌癌で高知の病院で亡くなったと言う。享年55歳だ。高知県出身、昭和55年(1980年)奈良女子大学家政学部住居学科卒、高口(恭行)ゼミ出身。私は昭和49年(1974年)に赴任、坂東さんは、僕の講義は聞いていた。学生時代から印象が型破りだった。
でも普通に住居学関係に就職したが、おさまりきらずイタリアに留学、イタリア時代から住居関係の小文を書いて日本の雑誌などに採用されていたようだが、帰国して認められて長文の小説(ホラー小説)を書いてやがて『山姥(やまんば)』で直木賞を受けた。新潟県(越後)の民話を取材し、方言も勉強して書いている。また、住居学出身の強みを活かしたというか、空間表現にも他の作家に比べユニークさがあると当時思った。奈良女子大出身の直木賞受章は初めてだったと言える。
ゼミ指導教官だった高口さん(現・一心寺長老)に聞いたところでは、坂東さんから恩師に毎作送って来ていたという。高口さんも細かくコメントしていたようだ。
一時期、イタリアに住んでいた時のことか、南の島にパートナーと住んでいた時か忘れたが、子猫を崖から落としていることを書いて、猫ファンからブーイングがあったこともある。
しかし、多くの人を小説で楽しませ、現代では「短く太い」人生を力強く駆け抜けたと言えるだろう。ご冥福をお祈りしたい。
でも普通に住居学関係に就職したが、おさまりきらずイタリアに留学、イタリア時代から住居関係の小文を書いて日本の雑誌などに採用されていたようだが、帰国して認められて長文の小説(ホラー小説)を書いてやがて『山姥(やまんば)』で直木賞を受けた。新潟県(越後)の民話を取材し、方言も勉強して書いている。また、住居学出身の強みを活かしたというか、空間表現にも他の作家に比べユニークさがあると当時思った。奈良女子大出身の直木賞受章は初めてだったと言える。
ゼミ指導教官だった高口さん(現・一心寺長老)に聞いたところでは、坂東さんから恩師に毎作送って来ていたという。高口さんも細かくコメントしていたようだ。
一時期、イタリアに住んでいた時のことか、南の島にパートナーと住んでいた時か忘れたが、子猫を崖から落としていることを書いて、猫ファンからブーイングがあったこともある。
しかし、多くの人を小説で楽しませ、現代では「短く太い」人生を力強く駆け抜けたと言えるだろう。ご冥福をお祈りしたい。