ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2015.10.18 今日も色々あり過ぎて・・・

2015-10-18 23:18:03 | 日記
 今日は母が退院する日だ。
 約束通りの時間に病室に入ると、大方の荷物はまとめてあり、着替えも済ませている模様だった。
 食事が始まってからまたも下痢が続いているとのこと。退院して本当に大丈夫?という言葉をぐっと飲みこんで片付けを仕上げる。
 看護師さんに退院の手続きの確認をすると、今日は正確な計算が出来ないので、とりあえず今日出来る手続きだけ済ませてください、とのこと。部屋で少しお待ちくださいと言われたが、日曜日ということで人手が足りないのか、待てど暮らせどそれっきりである。
 夫は、ここで待っていても仕方がないから、と一足早く実家に行って空気の入れ替えをしてくれるとのことで、有り難くお願いした。
 母の様子を訊くと、一昨日から食事が出たが、やはり食べるとすぐに下痢が始まるようで、怖くて食べられないと言う。それに加えて夜眠れないとのこと。それでは回復が見込めないので、下痢止めの処方をお願いにナースステーションへ出向くが、主治医のT先生に確認してからということで、その後延々と1時間以上待つことになる。
 結局、薬(タイケルブの副作用の下痢を止めるために処方されて酷い目にあった、魔のロペミンである!)を受け取って、タクシーを呼んで病院を出られたのは到着後2時間以上経過してからだった。

 帰宅すると、夫がお風呂の掃除も掃除機かけも終えてくれていた。かたじけない・・・である。
 薬も飲まなければならないし、とりあえず3人でありあわせの昼食。その間に洗濯機を回し、再入院した日に届いてそのままだった介護ベッドのベッドメイキング。いいお天気なので、洗濯物もすぐに乾きそうだ。
 当分宅配のお弁当は要らない、自分のペースで食べたいものを食べるからというので、夫と2人でスーパーまで買い出しに。消化の良さそうなもの、目先の変わった簡単に食べられそうなものを選んで帰宅。一つずつ説明して冷蔵庫に納め、お茶をしてから自宅を後にした。

 再び電車とバスを乗り継いで、今度は父のショートステイ先の施設へ移動する。
 施設に向かうシャトルバスの中で、携帯に着信があったのに気づく。ほどなくして再度電話が鳴った。11年に渡り再発治療を頑張ってこられたKさんのご主人からだった。
 今朝Kさんが亡くなられたとのこと。1月末にお目にかかって以来、ご本人とは連絡がとれずにいたが、一度ご主人から、状況は厳しいとのご連絡を頂いていた。ショックで言葉が出ない。
 ファックスでお別れの儀式の詳細をお送り頂けるという。すぐに他の仲間にLINEで連絡をする。ああ、今年になってから何人の患者仲間を喪ったのだろう。

 さて、今日の父との面会にあたり、至上命題は「母は独りでも決して寂しくない。体調が落ち着くまでゆっくり静養したい。それまでは帰宅されても今までのように面倒がみられないので、今の施設で頑張ってほしいと言っている」ということをきちんと理解してもらうことだ。
 部屋に入ると、いつものソファでじっと座っているのは同じだったが、今日はテレビがついていた。ほどなくしてヘルパーさんがお茶とおしぼりを運んでくださる。
 母が2回目の退院をしたことを報告し、状況を話す。夫が噛んで含めるように何度も同じことを説明するが、全くもって噛みあわない。「あと2週間はここにいるのね」と言いながらも次の瞬間、「荷物を鞄に入れるのを手伝ってくれないか」と言う。「(母は)自分の顔を見れば元気になるし、自分のことは自分でやるから」とも。
 母の思いとは随分温度差があるのを感じる。母ががんになって可哀想だ、がんは大変だ、と繰り返すが、私がまさにその再発転移がんで治療中であることはすっかり忘れている。何度同じ説明をしても、また同じことを訊かれ、嗚呼、この徒労感たるや如何せん・・・である。
 それでも夫は辛抱強く繰り返し説明をしてくれる。実の子である私よりもずっと客観的かつ論理的であることに、下を向く。血のつながる親子だと、こういう時に期待やら失望やらが交錯して感情的になってしまい、冷静な対応が難しい。

 今日も父と夕食を共にしてきた。そこでも今後のことを色々話してみるが、ここ1,2日のこと、2週間先のこと、それよりもっと先のことが、一つ一つ説明した時にはわかっても、すぐにゴッチャになってしまう。
 一体どのくらい理解してくれているものか、と徒労感に襲われる。
 2時間ほどいただろうか。母の退院とその後のケア、再発仲間の訃報、父のトンチンカンな状況・・・心がオーバーフローしている。

 こうして色々あり過ぎた日曜日も終わり、明日からまた新しい1週間が始まる。水曜日は3週間ぶりの治療日だ。そしてKさんのお通夜も水曜日、告別式は木曜日だという。
 とにかく体調管理をしながら、なんとか無事に過ごせますように。

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2015.10.17 寝ても寝ても・・・眠い

2015-10-17 22:22:38 | 日記
 昨夜は夕食後、リビングでうたた寝すること3時間近く。痺れを切らせた夫からいい加減に!と起こされ、正体不明で入浴してそのままベッドへなだれ込んだ。
 ようやくの土曜日。予報通りお天気は悪いし、とにかくひたすら眠い。明け方お手洗に起きたが、迷うことなく二度寝。午前中は気分転換にヨガにでも行ってリフレッシュするつもりで予約を入れていたのだけれど、それさえもキャンセル。
 空腹に耐えかねて起き出した夫がブランチを用意してくれたが、こちらは、お腹を満たすことよりももう少し惰眠を貪っていたかった。
 昨日のうたた寝から今日の二度寝を合計すれば、12時間以上寝た計算になるか。それでも眠い。そして頭が重く、痛い。気圧の所為もあるだろうが、胸痛もある。手足の痺れと痛みは酷く悪化していないにせよ、相変わらず手袋なしでは過ごせない。

 家事を済ませて、夫が若い頃ご一緒した仕事仲間のお食事会に同行させてもらった。明日は大学のホームカミングデーで校友会音楽祭。当初、ここ数年続けているOB・OG合唱の小さなステージに乗る予定で、例年のように前泊するホテルも予約した。お食事会の会場が近かったので、そちらに出席してからホテルに移動するとちょうどいいね、ということになっていた。
 しかし、今回の母の入院・手術が決まった段階で練習に出られないことが分かり、出演は諦めたのでホテルはキャンセル。お食事会もギリギリまで出席出来るかどうか・・・という状況だったが、夫にちょっとは気分転換した方がいいよ、と背中を押され、ずうずうしくも特別参加。

 かつて息子が保育園児だった時にも、家族揃って参加させて頂いたことがあった。15年以上ぶりでお目にかかった先輩の皆様は皆、お忙しくしておられ、とてもお元気だ。こうして、何十年も前にご一緒した職場の方たちとコンスタントに繋がる会があるのは羨ましい限りだ。やはり面倒見のいい幹事役の方のおかげなのだろう。
 今回、夫がお世話になった先輩のおひとりが、部位は違えど私と同じ病でかなりお辛い体調とのことで、出席が叶わなかった。お話しを伺いながら、とても他人事ではなく気持ちが沈んでしまった。
 皆でその方にお見舞いの寄せ書きを贈ろうということになったが、私はどうしても書くことが出来ず、どうか痛みが少しでも和らいで、心穏やかに過ごせますようにという思いを込めて、夫の文章の隣に名前を添えた。

 お腹も一杯で無事に帰宅。明日は母の退院に付き添った後、父の施設へ報告がてら梯子する予定だ。沢山眠り、食事の支度からも解放されて、おかげさまで大分元気になった。
 また、明日は両親に優しく出来ますように。
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2015.10.16 ロボットの時代はすぐ身近に!

2015-10-16 20:49:24 | 日記
 毎日新聞のネット記事が目に留まった。以下、転載させて頂く。

 ※  ※  ※(転載開始)

九大病院:抗がん剤、全自動でロボットが調製(毎日新聞2015年10月16日12時22分(最終更新10月16日13時02分)

 九州大病院(福岡市東区)は15日、腕が2本あるヒト型ロボットで調製した抗がん剤の臨床投与を始めたと発表した。抗がん剤は、がん細胞だけでなく正常な細胞にも影響する。揮発性の高い薬を薬剤師が吸い込むと危険性があり、ゴーグルやマスク、手袋などを装着している。ロボットの利用により、医療従事者の安全性が確保されるという。
 九大病院によると、安川電機(北九州市八幡西区)などと協力し、人間と同じような関節が7個ずつある腕2本をつけ、スムーズな調製を可能にした。
 調製後は輸血用の袋に入れて患者に投与する。他にもロボットを利用している病院はあるが、九大病院のロボットは(1)調製した抗がん剤を袋に入れる(2)袋の外側に付着した抗がん剤を洗浄する(3)袋のキャップをロボットが締める−−のが特徴で、フルオート化は世界で初めて。
 先月から投与を始めた。九大病院薬剤部の渡辺裕之副部長は「半年から1年後に本格運用し、1日200件の調製のうち半数をロボットが担うようにしたい」と話した。【馬原浩】

(転載終了)※   ※   ※

 8年近くにわたり抗がん剤治療を続けている身としては、看護師さんや薬剤師さんたち医療従事者の方々にとって、抗がん剤投与は本当に大変な仕事だと実感している。
 マスクをし、ゴーグルをかけ、ビニール手袋を嵌め、身体がすっぽり隠れるエプロンを着て点滴パックを扱っていても、被爆が皆無ということはないのだろうな、と常々心配に思っていた。
 特に妊娠出産前の女性にとっては、とてもリスキーなことだろうな、と申し訳なく感じていた。

 抗がん剤は、私たちがん患者だからこそ投与できる薬だ。健康な人に投与したら奏功どころかほんの数回で死に至るとも聞いたことがある。
 その仕事をロボットに任せることが出来るなら、こちらとしても安心だ。今までずっと看護師さんや薬剤師さんたちに対して、えもいわれぬ負い目を感じていたのだから。
 前立腺がんの手術ロボット・ダヴィンチもしかり。21世紀になって早15年。子どもの頃には夢だとばかり思っていたロボットの時代は、ごくごく身近になってきている。
 そんな風景をこの目で見ることが出来てなんとも嬉しいことだ。もちろん人間の手にかなわない部分も多々あるのだろうけれど、ロボットが出来ることはロボットに任せられる、そんな時代は実はすぐそこにやってきているのだ、と明るい気持ちになった。

 ようやく金曜日。今週は4日間勤務だったにも関わらず、出足からのドタバタで本当に長かった。この3週間、土日もろくに休めていない。ハードな1ヶ月になるだろうと自分なりに覚悟はしていたものの、情けないけれど早くも青息吐息な私である。

 昨夜の母からの電話によれば、今日から食事提供が再開され、退院許可が出た模様。とはいえ、今日は雨降りで11月中旬並みという寒さだし、明日土曜日も雨の予報。今度こそ逆戻りなどということがないように、ここは大事をとって日曜日に退院してもらう算段である。本人はすっかり明日には退院するつもりでいたようで、そのことを伝えるといきなり声がトーンダウンしていたけれど・・・。
 帰りたいと直談判してきた父はといえば、あの後なんとか変わりなく過ごしている模様だ。せめてあと半月は頑張ってもらわなくては。

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2015.10.14 嵐のような一夜が明けて

2015-10-14 20:59:18 | 日記
 週明けの怒涛のような一日が終わり、今朝。
 疲れ過ぎていた所為なのか、興奮しているのか、頭が冴えて寝付きが悪いことこの上なかった。

 今朝も身体が重いが、とりあえず習慣になった朝の8分ヨガに救われている。
 出勤してすぐ上司に事情を話し、今日も夕方早退させて頂いて母の病院へ向かった。相変わらず点滴に繋がれ絶食中ではあったが、昨日土気色だった顔色は幾分生気が戻ってきており、ほっとした。

 さすがに今回の入院騒ぎで、自分にも携帯が必要だということが身に沁みたようで、退院して落ち着いたら一番簡単なモデルを買うそうだ。(そもそも、かつて携帯電話を持ってもらったことがあるのだが、父は使わないからといって勝手に解約してしまったのだ。)
 もはや一人で外に出ることはない父はさておき、今回の直腸がん手術の後遺症をうまくコントロールできるようになれば、また一人で外出することも出来るようになる筈だから、母が出先で連絡手段を持っていることは絶対に必要だ。

 昨日の打ち合わせの最中に、介護認定の調査員さんの訪問日時の連絡があった。当初17日退院の予定と申請していたから、担当者は当然病院でのヒアリングだと思っていた模様。
 それがもう退院してきたものだから、急遽自宅へ来て頂くように調整したのだ。ところが、その状況が昨日の再入院で二転三転して、結局、明日ケアマネSさんが同席の上、病室で状況確認して頂くことになった。
 明日は朝から夕方まで会議とその準備で、どうしても休むことができない。ケアマネSさんが連絡先を買って出てくださり、父も母も娘も、こんなにもお世話になり本当に足を向けて眠れないほどである。

 かつて調査や広報という形で数年間福祉の仕事に関わったことがあったが、今回のことで現場の大変さを身をもって経験した。
 支えてくれる方たちの献身的な対応で救われている人がどれほどいることか。なんとも有難いことである。

 さて、先月、誕生日を迎えた夫に誕生日のプレゼントとしてオーダーしたスーツが昨日仕上がった。
 昨日は出張先から直帰で実家に寄ってくれたため、ターミナル駅の百貨店には立ち寄ることが出来なかったのだが、今日改めて受け取りに行ってきた夫。
 せっかく仕立てるのだから、とかなり凝ってステッチを入れたり、銀ボタンにしたり、裏地で遊んでみたり・・・。内心ちょっと気障なんじゃないの、と思ったけれど、嬉しそうにファッションショーをして見せてくれた。

 今回の両親のドタバタで、夫には本当に支えてもらっている。これからも助けを借りて乗り切っていくことを考えれば、このくらいで喜んでくれるならお安い御用!と思う私である。


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2015.10.13 前途多難・・・まさかの再入院

2015-10-13 23:11:28 | 日記
 3連休明けの出勤日。新聞休刊日とあって何やら朝の時間の流れがのんびりしている。朝の8分ヨガをして心穏やかに出勤。
 今日も定例会議を終えた後、午後休暇を頂いて実家へ。ケアマネSさんと家事支援サービスの会社の方がみえることになっている。

 お昼も摂れず、とりあえずパンだけ買って職場を出る。実家に着いて目を疑った。庭に大量の洗濯物がはためいているではないか。洗濯は今日私がやるということにしていたのに・・・。呼び鈴を押すと、一昨日は随分元気に見えた母がヨレヨレで這うようにして玄関に出てくる。
 一体どうしたのと訊くと、昨夕私が電話を入れた後から酷い下痢に見舞われ、一睡も出来なかったという。怖くて昨夕から飲まず食わずだったらしい。顔色は悪いし脱水一歩手前ではないか。
 そうしてちょっと喋っている間にも、ヨロヨロとお手洗に駆け込む。洗濯をせざるを得なかった事態に納得する。着替えさせて洗濯機を回し、買ってきたパンを頬張っているうちに、約束の時間となりお2人がいらした。

 母はソファに座っていることすら出来ず、横になったまま。ちょっと具合が悪くて・・・と事情を話し、至急介護ベッドを入れて頂くようにお願いする。最短で2時間半後に、と言って頂き胸をなでおろす。退院日に入れておくように手配出来たのに、大丈夫だから要らないと母が言ったのだから、本当に困ったものだ。
 寝室はお手洗から一番離れた部屋だ。ベッドを入れる部屋はすぐ隣がお手洗なので、最初からこちらで寝ていれば失敗を繰り返すこともなかったのに・・・と思うが、後の祭。
 家事支援サービスの契約等の打ち合わせをするが、依然として母の具合が悪い。このまま脱水が進んでは、と病院に電話を入れて診察をお願いする。とはいえ、2時間後には介護ベッドが届くので、その設置が終わってから向かうことに。主治医のT先生が診てくださることになり、ほっとする。

 お2人が帰った後、母が食べられそうなものやアイソトニック飲料等の買い出しに出かける。今日のお昼に届いたお弁当も手つかずで、ダイニングテーブルに置かれたままだ。
 買い物から戻ってほどなくすると、夫から電話が入る。事情を話すと、近くに出張に来ており、直帰出来るので実家に寄ると言ってくれた。
 時間通りに介護サービス会社の方たちが到着。ここでも説明を受けつつ契約書を交わし、介護ベッドの設置が始まる。設置が終わった頃、夫が到着して留守番してくれると言い、タクシーを呼んで病院の時間外受付へ。
 母は歩くのもやっとで車椅子をお借りしたいほど。受付手続の後、救急外来待合に案内され、長椅子に横になって検温、血圧測定の後、ようやく救急室のベッドに横にならせて頂けた。ほどなくしてT先生がみえ、「どうしたの?なんで?」とおっしゃる。お腹を触診され、「大事ではないと思いますが、脱水なので点滴で3日ほど入院しましょう」と言われ、緊急再入院となった。

 点滴に繋がれ、母はまた病人に逆戻りである。3日前に退院した部屋と同じ部屋しか空きがないとのこと、ベッドのまま運ばれる。トホホである。あまりのスピード退院だったけれど、こういうオマケがついてくることになるとは・・・。
 夫に連絡し、最低限の手続きだけして、荷物を取りに戻る。実家といっても離れて四半世紀以上。どこに何があるのかもとんとわからない。先日退院した時に持ち帰ったグッズは全て元の位置に戻しているから、さあ大変。あれこれ開けてなんとか最低限のものを詰める。あぁ、退院後の段取りも全てやり直しになってしまった・・・。

 その後、夕方に届いたお弁当を夫が、昼に手つかずだった昼食を私がかきこむ。このまま取り置きは出来ないし、何より腹がへっては戦は出来ぬ、である。実家のテーブルで、母に届いた高齢者向きの宅配弁当を食べる夫と私・・・なんだか侘しくなってくる。それでも夫が一緒にいてくれたので、有り難かった。独りだったら、本当に情けなかっただろうな、と感謝である。
 再び病院に戻り、入院手続きをしてから病室に行き、母の着替えを手伝う。ナースステーションの看護師さんたちに「また戻ってきましたが、よろしくお願いします」とご挨拶し、もろもろの片付けを終えて、「今度は無理せずちゃんと治るまで退院はしないように」と言い置いて、シュンとする母の病室を後にした。
 とりあえず入院してくれたので、自宅で独り干からびることもないだろうから、安心ではある。

 バスと電車を乗り継ぎ、疲労困憊して帰宅した。こういう事態は決して想定外とは言えないのだろうけれど、いやはや週初めから、正直参った。

 とにかく自分の体調管理だけはきちんとしなくては、と思いつつも哀しいかな、両親に振り回されているのが実態だ。介護は一にも二にも体力なのだ、と思う。気力はあっても身体がついていかないのでは、役に立たない。色々な専門家の力を借りつつ何とか乗り切らなくてはならないのだけれど・・・。嗚呼、前途多難・・・である。
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