ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2015.10.24ヨガリトリートフォローアップクラス最終回、宝物の時間に感謝

2015-10-24 23:04:50 | ヨガ
 今日は、7月に参加した“奇跡のヨガリトリート”フォローアップクラスの最終回。
 両親のことはあったが、今日の卒業だけは是非・・・と参加を願い、無事実現した。

 お天気は予報どおり、少し動くと汗ばむほどの快晴だ。ここ1か月、心身ともに色々大変だったけれど、今日の卒業の日を心待ちにしてきた。朝のうちに洗濯と掃除を済ませ、早めに昼食を摂って家を出た。

 受付を済ませ、まずは前回、前々回同様に心を洗う効果がある「キールタン・メディテーション」のクラスに参加。リトリートのメンバーが9人、それ以外の方が今日はかなり大勢参加されており、フロアにはヨガマットがぎっしり。
 ヨガの生みの親がシヴァ神で、その息子がガネーシャ。踊るシヴァ神をナタラージャといい、幸運や美を象徴する女神がラクシャミー、インストラクターSさんが神様の小さなフィギュアを見せながら分かり易く説明される。
 ヨガの前にまず唱えるというガーセトリーマントラを唱えた後、12曲から成る舌を噛みそうに長い歌、自分の中の“師”を呼び起こす歌、自分の中の“愛”を呼び起こす歌を歌う。自然に身体が揺れ出して気持ちが解放されていく。沢山の方たちの声と自分の声が重なり、共鳴し合い、歌い終わって静かになった後もその余韻を楽しむ。今日もあっという間に1時間が過ぎた。

 休憩の後、8月、9月と続き今日が最終回のフォローアップクラスが始まる。残念ながら4人が欠席で10人の参加だ。「この前のクラスでずっと座っていた人が多いので、まずは少し身体を動かしましょう」といつもと趣向が違うスタート。前後、左右、捻りの動きを行った後、完全呼吸法から瞑想に入っていく。まず運動、次に呼吸、最後に瞑想をする流れで心をニュートラルに出来ると、とても安定したいい状態になることのおさらいだ。
 続いてこの3か月を振り返り、自分に起こった変化をじっくり思い出すというワーク。この3ヵ月に起きた嬉しい変化について、5分間を頂いてそれぞれが書き起こす。そしてお隣とペアになってシェアしあう。更にこの3ヵ月でどんなに考え方の癖(悩み癖、落ち込み癖など)が変わったのか、嬉しいことはなぜ起こったのか、それぞれが更に自分に問いかけながら深めていく。
 皆の変化を聞きながら、凄いなと思う。S先生も短期間で何故皆が変わることが出来たのかとても興味があるとおっしゃる。なんとなく自分で感じていたことを整理して書き出し、言葉にしてみると定着することを実感する。そして、自分が経験していなくとも、皆の話を聞きながらそれぞれの分まで追体験しているような錯覚にも陥る。
 幸福感を持続させるためには、週に1度15分間でよいので感謝していることを書くとよいという。これを2か月(8回)続けたところ、9か月間いい気分が持続したという研究結果もあるそうだ。
 最後に、良い方向に変わったことで感謝していることについて、各々が2分間でまとめる。皆がこのリトリートに参加出来たこと、こうしてフォローアップクラスがあり、自分が変わったことや感じたことを口に出して確認し、皆とシェアするタイミングがあったこと、これからもし帰りたくなったら戻ってくる場所があることに感謝している、という声があがった。
 小さな輪になり、隣の人と手を合わせ、それぞれが順に自らの土台である家族、応援してくれる周りの友人たち、そして自分に対して感謝の言葉を言っていく。隣の人への感謝を心に思い、それを受け止めながら12分間の瞑想が終わった。
 気付けば、予定時間よりも大分オーバーしている。外は真っ暗になり、予定時間を30分過ぎている。S先生の「卒業おめでとうございます!」の声がかかった。

 では、皆で卒業写真を撮りましょうとS先生。そこですかさず、受付にいらした事務局Mさんもお呼びして、リトリート第一期生からお二人へのプレゼント贈呈式になった。
 皆で撮った写真を16冊限定の素敵なアルバムに仕上げたのだ。アルバム製作委員会が自発的に発足し、色々お骨折りくださって出来たサプライズプレゼント。私達も今日初めてその素晴らしい出来上がりを見て、本当にびっくり。私達卒業生14人とS先生、Mさんだけの16冊のアルバム。こんな宝物が他にあるだろうか。S先生もMさんも「わあ、凄い、どうやって作ったの?嬉しい!」と喜んでくださり、皆でやった!という感じ。
 興奮しながら皆が頁をめくる。7月の3泊4日、8月から10月までの3回のフォローアップで、実質僅か7日間しか逢っていない私達。それなのにこんなに安心して心を開き、色々話すことが出来る間柄になれた、文字通り“奇跡の”リトリートだ。その時に誓ったこと、皆の前で宣言したことで私にも確実に嬉しい変化が起こっていることを実感している。
 今日の参加者10名とお2人を囲んで自動シャッターで記念写真撮影。撮り終わったら、予定終了時間より1時間も経過していた。

 幸せで素敵な1日を噛みしめながら、昨年のリトリートでもご一緒したIさんとKさんと駅まで急いだ。また必ずお逢いしましょう!とお別れして。
 すっかりボーッとした私は、スタジオに日傘を置いてきてしまった。乗換駅で気付いたがもう戻る元気もなく、次回またスタジオに伺う時まで保管して頂くように連絡した。

 ああ、いい土曜日だった。
 明日はまた両親のところを訪れる予定である。
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2015.10.23 ようやくの週末に想うこと

2015-10-23 23:09:55 | 日記
 一日がかりの治療後、夕方からKさんのお別れに伺った水曜日。重々承知はしていたが、体力的にちょっと無謀な行動だった。昨日はどうしようもなく疲れ果て、身体が重かった。
 なんとか仕事には行ったが、帰宅後はだるくて何もする気が出ない。頂き物やら夫が買ってきてくれたお惣菜で適当な夕食を済ませた後、早々に入浴。夕食後にサインバルタを1錠飲み、就寝前にもう1錠飲むため、その間隔をある程度を空けたかったので、ベッドで横になりながら眠らないように1時間ほどTVをつけていたが、半分は意識不明。
 もうダメだ、と普段より2時間ほど早く残りの1錠を飲み、そのまま爆睡。珍しく夜中に目を覚ますこともなく朝を迎えた。

 そして、ようやくの金曜日。日曜日に母が2度目の退院をして初めての週末だ。
 初回の退院を報告した途端、すっかり帰宅したくてたまらなくなった父を、これ以上待たせておくのも限界かと感じている。施設からJR駅までのシャトルバスに乗れば、あとは駅から路線バスに乗るだけで自宅に帰れることも分かってしまった。もしかすると、脱走という強硬手段に出るやもしれない、という不安もある。施設からの着信があるたびに、かつて息子の急病で保育園から電話がかかってきたのを彷彿とさせるドキドキ感だ。実に心臓に悪い。

 母の身体のことを思えばあと2週間は休ませてあげたいから、正直、父には施設でもう少し頑張ってほしい。けれど、施設のOさんとお話したところ、どんなアクティビティに誘おうが、何を言おうが「今は(妻が)心配でそういう気持ちになれない」との一点張り。ひたすら何もせずひねもす部屋でじっとしているという。首に縄をつけて引っ張り出すわけにもいかず、個室から出るのは3度の食事と週3回の入浴だけ。先月末に入所してから4週間、近くを散歩するどころか一度も外の空気を吸っていないというのだ。
 父とはなかなか会話が噛み合わないと感じることも増えている。このまま惚けてしまうのではないかという心配もあり、11月1日にいったんショートステイを終了して、退所することを決めた。もとの環境に戻れば元通りになる場合と、そうではない場合があるらしい。人それぞれ、だそうだ。
 そのことを母にも伝え、せめてあと1週間余りマイペースで過ごせるうちに、なんとか体調を整えておいて欲しいと願っている。

 今日は夫が宴会のため、母と一緒に夕食を摂ろうと夕方早退して、実家へ出向いた。
 相変わらず排便コントロールには難儀をしているようだ。下痢が続いたと思えば今度は便秘。下剤を飲んだり、下痢止めを飲んだり、私の抗がん剤の副作用コントロールと同様、うまくその二つが融合して快便になれるというわけではない。
 つくづく、人として生きていくうえで、三度三度美味しく食事が摂れて、自然に排泄ができるということは、とても幸せで感謝しなければならないことなのだと思う。
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2015.10.21 採血後診察・ランマーク12回目、カドサイラ(T-DM1) 12回目(減量2回目)

2015-10-21 23:57:15 | 治療日記
 今月初めての通院日。
 最寄駅でも乗換駅でも電車は順調。本日のお伴は湊かなえさんの「境遇」(双葉文庫)。手に取った時、あれ、このお話、確かドラマで視た記憶が・・・と思いつつ読み始め、先を、先をと手袋をした指先がもどかしいほど“一気読み必至のノンストップミステリー”は帯の通り。
 あっという間に病院最寄駅に到着。午後からは快晴になるというが、曇天でちょっと肌寒いようなはっきりしないお天気だ。
 予定通りに病院到着。少し並んで自動再来受付機にIDカードを通し、採血受付番号を取る。待ち時間7分とあったが、すぐに中待合に。今日の担当は初めてお見かけする女性。丁寧な応対でいい感じ、と思うと案の定針を刺すのもとてもお上手で、ほんのチクリとも感じない。今日は幸先がいい。抜針も実にお見事だった。
 
 止血しながら腫瘍内科へ移動する。今月初めてなので保険証チェックを済ませ、待合スペースへ移動。既にかなり混雑している。いつもの定位置が埋まっており、ちょっと迷って別の席に座り、読書を続ける。1時間半ほど待ち1冊目を読み終わる。解説をTV局のプロデューサーが書いていて、創立記念ドラマのための書き下ろし小説だったことを知る。事件の鍵となる絵本も特別収録されており、興味を誘った。切りのいいタイミングで「中待合へどうぞ」に番号が灯る。血圧測定は119-72、脈拍は99。
 中待合で15分ほど待って、先生がお顔を出された。「さて、痺れと痛みはどうですか」と問われ、「この3週間家のことで忙しかったこともありますが、(カドサイラを)減量したことで特に軽快しているとは感じません。ただ、悪化はしていないので、サインバルタも漢方も効いていると思います。」とお答えする。
 「眠気の方は?」との問いには「サインバルタを夕食後2錠でなく、夕食後1錠、就寝前1錠にしたことで、不眠が治りました。うまいタイミングで薬の効き目が切れない時間に飲めると、痛みも大分和らぐ感じです。それ以外は疲れた時、気圧の変動がある時には胸痛が出ること、相変わらず涙目の為目の周りがグジュグジュして赤く爛れていること、便秘が気になります。」と言う。「うーん、色々ありますね。思い切って1度休薬してみましょうか」と言われるが、やはり不安なので出来れば減量で続けたいと応える。
 先生がおっしゃるには、肝機能や血小板の低下で減量することはあっても、痺れでは減量ではなく休薬するのが普通なのだそうだ。1回休んで良くなったら元の量に戻す、もしくは良くなり具合で減らしたまま続けるか、だというが、これまでの経験から痺れは1回休んだところで急には軽減されない。タキソテールの痺れが取れるまで数年かかったし、ナベルビンでの痺れがとれないうちにECを始めたことで、痺れがますます取れにくくなり、今回も間にタイケルブを挟んでも痺れが取れたわけではなかった。
 軽減されるまで待っていて無治療の期間が長くなってしまうのはやはり心配だ。今の痺れのレベルがキープされるならなんとか我慢できるが、更に酷くなったら階段の上り下りが怖いし、歩いていて転倒するのも困るので休薬して様子を見ることにした。
 前回のCTから4か月が経過しているので、そろそろ撮影しましょうか、と次々回6週間後に結果が聞けるように、来月末造影CTの予約が入った。診察室での検温は6度7分。
 採血の結果、腫瘍マーカーCA15-3は次回測定ということで、それ以外の値は特に問題なしとのこと。ほっと胸をなでおろした。
 ということで、予定通り治療続行である。3週間分のデノタスチュアブルとサインバルタ、ブシと牛車腎気丸の漢方も続行。ヒルドイド軟膏2本にローション2本を加え、便秘予防のため追加でマグラックスを頓服で処方して頂いた。
 母の病理結果もご報告し、御礼を言って席を立った。

 化学療法室へ移動し、夫やお友達に報告LINEやメール。15分ほどで声がかかり、窓側の一番端のリクライニング椅子に案内された。ポートの針刺しを待っていると、ほどなくしてOkさんが刺してくださる。今日は幸先がいいので、とリラックスして臨んだが、ズシンと痛む。逆血は問題なく、それから30分程待って薬が届く。
 いつものとおり最初に生食でチューブを満たした後、1時間10分ほどで140mgに減量したカドサイラ(T-DM1)の2回目の投与。最後に15分の生食で流して終了だ。
 2冊目は林真理子さんの「女文士」(集英社文庫)。業を背負った一人の女の物語という帯。裏表紙には“かつて文壇に欲に取り憑かれた魔性の女がいた。最後は壮絶な痛みに苦しみ病死(子宮がん)した作家・眞杉静枝の生涯を描く傑作評伝”とある。林さんの本を久し振りに読んだが、その描写の残酷なまでの巧さに唸りつつ読み耽る。“40歳で脂の乗り切った彼女が描き切った「痛い女」”と、解説で編集者の中瀬ゆかりさんが書いておられるとおり。
 終了後の血圧は112-63。抜針はKrさん。残念ながら強い衝撃。痛くて暫し深呼吸を繰り返すほど。珍しく出血も止まらなかった。止血のため強くポートを押されるとこれまた痛い。憔悴したところでさらにとどめのランマーク注射。ゆっくりお喋りをしながら・・・とお願いしたが、長い時間右腕が重くだるくなった。
 会計も混んでおり、15分程待つ。採血、点滴、注射の3割負担で約13万円の支払。
 薬局へ移動すると、前回同様座る場所がないほど混雑。今日もまた薬が増えた。順番を抜かれつつ小一時間して名前を呼ばれた。用意したエコバックはパンパン。5,000円ほどでこちらもカード払い。

 本日の病院と薬局の滞在時間は合わせて6時間強。ランチタイムはとうに終わり、駅近くのホテルでアフタヌーンティーを遅いお昼に。その後Kさんのお通夜に向かったが、そのことは後日書くことにしたい。
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2015.10.20 想い出は突然に・・・

2015-10-20 23:08:48 | 日記
 我が家(殊に私)の写真好きはかなりの筋金入り。毎年、息子の誕生日に写真館で記念写真を撮るのがお約束になっているのは以前もこのブログで書いた。
 紙焼きの写真を全てアルバムにしていたら今に家の床が抜ける!と夫に脅され、デジカメに替え、外付けHDDに保管し始めてからもうどのくらいになるだろうか。

 2か月前だったろうか。PCを立ち上げた時に、突然聞いたことのない音がし始めた。何の音かはわからない。ピーピーピーピーと鳴り続けている。PCを消すとその音は消える。けれど、PC自体はどこも不具合がない。
 ようやくその音がHDDから出ているものだと解って、さて、アクセスをしようと思うと認識しなくなっている。
 ここ15年近くの全ての画像である。CD-ROMに落とした分もあったけれど、デジカメの性能アップとともに画像サイズがどんどん大きくなっていて、1年分の写真が膨大なファイルサイズになり、夫がコピーするのに音を上げ、ろくにバックアップをとっていなかったのが運のつき。
 
 大型家電店にデータ復旧の見積もりを頼んだところ、少なくとも50万円はかかると言われ、しかも復旧出来るかどうかも定かではないとのつれない返事。1万円のHDDの不具合の修理に50万円!?それでも想い出はプライスレス!ということで、とりあえず復旧をお願いしてみようということになった。
 ところが、4,5日経ったところで「物理的損傷があり修復不可能。」との回答。
 それでも諦め切れずに、夫がネットで探してここならば、と藁にもすがる思いでお願いした会社からも、無情にも「復旧不可」の返事。それと同時に、障害媒体の処置について、自身で処理する(障害媒体の返却)か、データ消去サービスを利用する(無料処置)かを選択してください、という通知が来た。
 「修復不可能であることは分かりましたが、家族の思い出が詰まったものなので、このまま廃棄するには忍びないものがあり、とりあえず手元で保管したいと考えます。恐れ入りますが、料金着払いでご返送頂くようお願い申し上げます。」と返信したところ、その翌日にはHDDが返送されてきた。
 ああ、息子の結婚式(するかどうかわからないけれど)に使う予定だった可愛かった写真も、数々の行事や再発後初めて3人で行った5年前の台湾旅行も、両親と最後(多分)の旅行である3年前のヴェトナム、それ以外の日常のすべての写真もオジャンである。悲しすぎる・・・。

 考えてみれば、1万円そこそこのHDD一つにそんな大事なものを全てお任せしていたのが甘かったといえば甘かったのだろう。
 いろいろ調べてみると、HDDなるものは4,5年で壊れても不思議ではないもののようである。これに懲りて、早速メーカーを替えて3種類のHDDを買い込み、バックアップを取る体制にした。これからはしっかりチェックをしていかなければ、と深く反省。

 磁性体が剥離しているとのことで、夫は諦めムードになっているが、それでも「他の会社にも聞いてみようよ、もしかしたら生き返るかも・・・」と、まだウジウジしている私である。

 帰宅すると今月2回目のお花が届いていた。大輪の薔薇は濃淡のピンクが3本、黄色と深紅が1本ずつ、可愛らしい薄紫のアスターが2本、白いオーニソガラムが2本。花言葉はそれぞれ「愛らしい」、「信ずる恋」、「潔白」だという。バラ色の人生を思わせるゴージャスな花束である。
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2015.10.19 紙一重のいのちの重みを改めて想う

2015-10-19 21:46:20 | 日記
 新しい1週間が始まった。今週も安定した秋晴れが続くという。いい季節である。
 今日は定例会議の時間が前倒しになり、朝一番に。冒頭、上司から「悲しいお知らせがあります」と思いも寄らぬ職員の急逝が告げられた。
 本当に突然の訃報である。まだ30歳になったかならないかの若手職員なのだ。グループウエアで彼のスケジュールを見れば、今日の予定は勿論のこと年明けのイベントの予定まで入力されている。
 参加メンバーの間に戦慄と動揺が走る。なぜ?と。事故に遭ったのか、それとも自死だったのか・・・と皆が思ったようだった。

 後で漏れ聞くことによると、趣味でランニングをしており、昨日はその大会だったそうだ。そこで倒れ、救急車で運ばれたがそのまま還らぬ人になったという。
 直接仕事上で深い繋がりがあったわけではないけれど、同僚の部下だったこともあり、話はよく聞いていたし、研修発表などを聞かせてもらってバイタリティ溢れる若者だと感じていた。一見線は細く見えたけれど、精神的にはタフだったようだ。昇任してハードな職場に異動し、毎晩のように遅くまで仕事をしていたとも聞く。やればやるほど仕事が面白くなる時期でもあったのだろう。もしかしたら若い身体、自分の健康を過信していたものかもしれない。不調の兆候は全くなかったのだろうか。

 息子が通う大学の卒業生ということで、何か一方的にご縁も感じていた。
 突然、若い命が途切れたことで遺されたご家族の気持ちを思うと、胸が潰れそうになる。金曜日に一緒に仕事をして、月曜日にその訃報を聞くと、職場の誰が予想しただろう。

 こうして病とともに治療を続けながらまだ生かして頂いている身としては、とても複雑な思いだ。
 昨日の患者仲間の訃報に続き、今日は職場の若い職員の訃報。いのちの重さは本当に紙一重なのだ、という紛れもない事実を突きつけられた思いだ。

 生と死は紙一重、与えられた命を大切にせずに何としよう。
 生かされている限り、細く長くしぶとく精一杯生きなければならない、と改めて思うのである。
 
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