ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2015.10.12 娘の心、父知らず

2015-10-12 17:16:01 | 日記
 連休3日目。秋晴れの気持ち良いお天気だ。昨日一昨日と終日出ずっぱりだったせいもあり、身体が重くなかなか起きられない。ベッドで朝の連続テレビ小説を視た後、トロリと二度寝をしてしまう。

 溜まっていた家事を片付け、さて、久し振りにヨガにでも行ってリフレッシュしようかと思った矢先、スマホの緑色のランプに気が付く。従姉からのLINEだ。
 見れば、ご主人と2人で父の面会に行ってくださったとのこと。申し訳なくも有難い。が、その続きを読んで、のけぞった。
 「奥様が退院したので、家に帰りたいとおっしゃっているのですが・・・。」と受付で言われたという。確かに昨日、夫と2人で母の退院報告をした。そして、母の体調が戻るまで引き続きこの施設でお世話になることを、繰り返し説明して納得してもらった筈だった。どうしてそういうことになるのだろう。
 その場では「分かりました。当分こちらでお世話になります」と確かに言っていた父。従姉によると、父は「妻が一人で寂しい思いをしているから明日家に帰ることにした。(従姉夫婦が)今日来てくれてよかった。明日ならすれ違いになるところだった。」とのこと。
 従姉は何とフォローすれば良いか迷った末、「連休中でケアマネさんもお休みだし、色々手続きもあるから明日急には無理かもしれませんよ・・・。」と言ってくれたとのこと。施設の方たちは、父の気が変わるように対応しておきますと言ってくれたそうな。

 それにしても昨日、母は退院はしたもののまだ家事などとても出来る状況ではない、と伝えて納得し、11月に帰る時には荷造りが大変なので迎えをお願いします、と言っていた。それなのに、この変わり方は一体どうしたことだろう。

 施設に電話を入れたところ、「普段穏やかな方だし、声を荒げたり、暴れたりなどということはありませんでしたが、帰りたいとおっしゃったのも初めてのことで、『それは出来ませんよ』とお話ししました」とのこと。仲が良くなったという入居者の方たちも、父がそんなことを言うのは初めてで心配してくださっているという。
 施設の方たちにとっては、こうしたトラブルも日常茶飯事のことなのだろうし、色々な方が入居しているわけだから対処の仕方には慣れておられる。全幅の信頼を置いてお願いしており、仕事もあり、母のケアもあり、なかなか伺えなく申し訳ないが、どうかよろしくお願いいたします、と電話口で深々と頭を下げながら、受話器を置いた。

 その後遅いお昼を摂っていると、ほどなくして携帯が鳴った。番号表示されているのは施設の番号。出ると父からだ。「どうしたの」と言うと、「明日家に帰りたいんだけれど・・・」と。ああ、まだ全く納得していなかったのだ。色々説明し、父が家に帰って誰が2人の面倒を見ることが出来るのか、食事や洗濯等は一体どうするのかと一つ一つ訊く。そして昨日の説明を繰り返すと、やっと「わかりました」と返事をして、電話が切れた。

 明日は午後から休みを頂いて、母の介護のことでケアマネさんやヘルパーさんとの打ち合わせで実家に行かなければならない。父が寂しいであろうことは判らないわけではない。母のことを心配していることもよく判る。確かに入院以来ほぼ毎日のように母のところに行くばかりで、父のことはすっかり施設にお任せ状態で、夫と合わせても4度訪ねただけ。申し訳ないとは思っていたけれど、事情は分かってくれているものとばかり思っていた。甘かった。

 こうした生活が始まってまだ2週間ちょっと。思いもよらなかったことが起こるにつれ、この先どうなるのかと不安も生じてくる。
 兎にも角にも一日も早く母が元気になって、元の生活に戻れることを願うのみである。
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2015.10.11 今日も梯子・・・やっぱり切ない

2015-10-11 22:10:24 | 日記
 今日は朝一番で美容院を予約していた。肌寒く雨降りということで、薄いニットの上にレインコートを着込み、長傘で出かけた。1か月半ぶりのサロンは何やらメンバーがガラリと変わっていてびっくり。最近、人事異動がやけに激しく落ち着かない。フロントもアシスタントも見たことのない人ばかり。

 その後、夫と合流してバスで実家に向かう。簡単にランチを済ませ、母の退院祝いにハロウィンアレンジの花や実をたっぷり使った寄せ植え籠を選ぶ。綺麗にラッピングして頂き、メッセージカードも添えると一層素敵な贈り物になった。
 パジャマ姿で出てきた母は、昨日より心なしかお腹を庇う前傾姿勢が和らいでいるように見える。話をする声も小さくかすれていたのが、少しハリが出てきているように聞こえる。
 こうして一日一日、焦らずゆっくり元気になっていってほしいものである。お昼に配達されたお弁当もなんとか食べ終えた様子。病院食よりは美味しいとのことで、ほっとする。
 お茶を飲みながら話をしているうちに夕方に。外は青空が見えてお天気になりそうかと思うとまたはっきりしない曇り空に戻っている。明後日また来るからね、と言ってバスを乗り継いで今度は父の施設へ向かう。

 父の部屋に入ると、先週同様、一人ソファに座ってテレビもつけずにじっとしていた。2週間前の入所時にはとても綺麗だった花瓶の花もすっかり枯れてしまっている。母が昨日退院したことを報告し、まだ自分の身の回りのことをするにも助けがいる状態なので、もうしばらくここで頑張ってくれるように話すが、なかなか話が噛みあわない。
 どこまで分かっているのか、はぐらかしているのかイマイチよく分からない。自分が言いたいことを一方的に繰り返す感じで、合間々々に「すみませんねえ」と何度も言われると、詮無きこと、とため息が漏れてしまう。
 退院して自宅に戻った母の写真を見せたりしているうちに夕食の時間になる。歩行器を押しながら歩く父と食堂に向かい、同じテーブルの女性お2人とご挨拶する。話し相手が出来たから大丈夫とも言うけれど、食事の時以外の時間、一体何をして過ごしているのだろうと思うと、なんとも言葉にならない。
 今日は、先日夫が差し入れたお菓子を頂いて美味しかったと言っていたけれど、持っていった塗り絵をしているふうでもないし、雑誌を読んでいる感じでもない。檜のお風呂は気に入っているようだけれど、一人で外に散歩に行くことも叶わず、さぞかし長い一日を送っているのだろうと思う。所内で行われる俳句会に参加してみたけれど、つまらなかったそうだ。
 母が快復してくれるまではここで頑張ってもらうしかないのだが、それでも面会に行く度に、夫も私も口数が少なくなって帰りのバスに乗り込む。
 これから2人がますます歳を重ねていくにつれて、今の状況がうんと好転するということは期待出来ないだろう。頭では解っていても、なかなか気持ちがついていかない。
 明日がまだお休みで良かった・・・と思う面会梯子の日曜日の夜である。

 一つ嬉しかったのは、合唱コンクール地区大会で息子の所属する合唱団が去年に続き金賞を獲得したということ。残念ながら全国大会出場は逃したというが、充分立派なことである。明日の祝日は通常授業だというから、打ち上げで羽目を外し過ぎないように、と心配する母である。

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2015.10.10 母、無事退院~自宅の威力に勝るものなし

2015-10-10 22:55:38 | 日記
 ようやく土曜日。昨夜は職場のイベントを無事終え、帰宅後は早めに就寝したが、なかなか疲れが取れない。今朝はベッドの中で朝の連続テレビ小説・・・、とのんびり土曜日を決め込む訳にもいかず、通常より若干遅めに起きて、ちゃっちゃと出かける支度だ。
 今日は予定通り母が退院出来ることになった。当初は私一人でと思っていたが、思いのほか荷物が増えており夫にも同行してもらうことに。電車とバスを乗り継いで約束の時間ぴったりに病室に到着する。

 帰宅する気満々で支度を済ませ、首を長くして待っているに違いないと、眠い中頑張って行ったのだけれど、母はパジャマのままベッドで読書中。拍子抜けである。土曜日ともあれば、寝坊助の私たち夫婦はもっとゆっくり到着すると踏んでいたようだ。
 とりあえず、母が着替えている間に休日受付で支払を済ませる。差額ベッド代が殆どで、手術等の治療費は後期高齢者だけあって1割負担。申し訳ない位である。
 荷物整理を手伝い、看護師さんから退院後の注意点を伺い、荷物をまとめてお世話になった部屋を後にする。僅か13日間の入院、術後11日目のスピード退院である。がんの手術というより、かつての盲腸の手術というレベルだろうか。
 10年以上前のことになるが、私は初発手術時に19日間、両側卵巣嚢腫と子宮筋腫の手術入院で11日間の入院だったから、82歳の母がどれだけ上手に手術をして頂き、その後もいかに順調に快復したかを物語っている。
 ナースステーションで看護師さんたち、主治医のT先生にも3人でご挨拶。退院後の注意事項を見ると、薬もなし、入浴もOK、食事も普通でOKとある。もし傷口の痒みや発赤が酷くなったら受診すること、体力が落ちているので、日常生活をしながら無理せずゆっくり快復を待ちましょうとのことだった。
 
 タクシーで自宅へ向かう。母にとってはおよそ2週間ぶりの我が家である。まずは閉めっきりだった全ての窓を開け放して空気の入れ替え。布団を敷き、いつでも横になれるように整え、洗濯機を回す。部屋中のカレンダーを9月から10月に替えて、止まっていた時間を動かし始める。
 留守の間をお願いしていたお向かいのお宅に、とりあえず只今帰宅しました、とご挨拶に伺う。数十年ぶりにお目にかかったのだけれど、奥様は殆ど変わっておられない。こんなに早く退院出来て私もとても嬉しいです、と喜んで頂く。
 母はソファに横になりながらも、私と夫が動き回るのでなんだか落ち着かない様子だ。とりえず洗濯物を干して、夫と2人で買い出しに出かける。昼食の後、入浴を手伝ってから休ませようという算段だったのだが、戻ると、一人でもう入浴した、とのこと。大丈夫だったのか、とびっくり。「やはり家はいい」のだそうだ。2週間ぶりの湯船での入浴、さぞ気持ち良かったのだろうけれど、体力が落ちている中、一人で入浴したとはこれまた随分大胆なことだ。

 入院中は食事が拙くて、と行く度に嘆いていたし、一度たりともパンが出なかったというので、あれこれ美味しそうなサンドイッチやデニッシュ等を色々買い求め、熱い紅茶を淹れて3人で頂く。紅茶を飲んだのも2週間ぶりだそうだ。向かいの奥様から頂いた果物を頂く。果物も久しぶりとのこと。
 さすがに疲れたのかお茶を飲んだ後、夫はリビングのソファでうたた寝。母も横になってくれればよいのに、なんとなくダイニングテーブルの自分の椅子から離れようとしない。
 病院のベッドにパジャマ姿でいた時には病人以外の何物でもなかったのに、今はなんだかあまりに普通である。やはり自宅のチカラに勝るものはないのだ、と改めて思う。

 デイサービスセンターのケアマネSさんの精力的なコーディネィトのおかげで、今日の夕飯から宅配のお弁当が届けられることになった。夕方届いたのを確認して早めに休むように、と実家を後にした。今日は間に合わなかったけれど、週明けには介護用のベッドも届けてもらえそうだ。
 明日も母の様子を見に行き、その様子を報告しがてら父の施設に面会に行く予定である。
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2015.10.8 疲れているのは隠せない

2015-10-08 19:56:25 | 日記
 昨日は朝から母の病院へ。月曜日に訪れた時は傷口も綺麗だったのだが、翌日から傷口の周りが痒くてたまらず、眠れなかったので睡眠薬を処方してもらったらしい。見ると赤くぷっくり腫れている。これはちょっと・・・、ということで、朝、先生がいらして組織を取られたようだ。看護師さんからはなるべくマメにシャワーを浴びてくださいと言われたが、一人で浴びるのはまだ自信がないようで、日曜日に浴びたっきりだという。せめて今日は私がいるうちに、とシャワーチェアを借りてきて介助。さっぱりして気持ち良かったというので、明日以降どうしても不安なら看護師さんにヘルプをお願いするように、と話す。
 まあ、大きな手術をしたわけだから、そう簡単には退院させてもらえないね、ということなのだが、これまでとても順調だっただけにちょっと落ち込んだ様子の母だった。
 午後から職場に戻って久しぶりに残業して帰宅した。夫が夕食当番を引き受けてくれているのが本当に有難い。

 そして今日は定例の東京横断会議。秋晴れで雲一つない青空だけれど、さすがに朝晩の冷え込みがきつくなってきた。寒いと胸痛が気になる。起きてパジャマのままでうろうろしていると、風邪をひいてしまいそう。早くもインフルエンザが流行り出したという。来月早々に予防接種は予約したけれど、心してうがい手洗いを励行しなくては。
 いつもは、電車で座席を確保すれば貴重な読書タイム開始なのだが、やはり疲れが溜まっているのか短編を2つ読んだところで眠気に勝てず、本を閉じて舟を漕いでしまった。
 乗換駅のお手洗いで鏡の向こうを見ると、なんとも冴えないおばさんが映っている。他でもない私なのだが、顔色は悪いし、化粧ノリも悪く目の下には隠すことができないクマがクッキリである。疲れているのは隠せない。ヨガで鍛えているなどと威勢のいいことを言ってみたところで、やはり哀しいかな、体力が落ちているのは否めない。隠しようもなく病を抱えた54歳なのだなあ、と改めて厳しい現実を突きつけられた感じでしょんぼり。

 会議から戻り、残り時間でなんとか仕事を片付け定時に帰宅。
 とにかくあと1日、明日の夕方のイベントを乗り切れば3連休だ。土曜日に予定通り母の退院が叶えばその付添いと、翌日の父の面会で2日間は潰れてしまうけれど、なんとかラスト1日だけは自分のメンテのために確保したいものである。
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2015.10.7 どんな人も誰かを支え、そして誰かに支えてもらっている

2015-10-07 20:39:05 | 日記
 先日、村木次官の退任の記事を転載させて頂いたが、もうひとつ別の記事を以下にご紹介したい。10月1日の読売新聞の記事である。

※   ※   ※(転載開始)

誇り持てる仕事させてもらった…村木次官が退任(2015年10月01日 22時08分)

 郵便不正事件で無罪が確定し、2013年7月から厚生労働次官を務めていた村木厚子さん(59)が1日、退任した。
 「誇りを持てる仕事をさせてもらった」と振り返り、事件については「誰でも突然、支えが必要になると実感した」と述べた。
 村木さんは、厚生労働省雇用均等・児童家庭局長だった09年6月に同事件で逮捕されて1年余り休職したが、10年9月に無罪が確定。復職し、内閣府の政策統括官などを務めた後、同省の事務方トップの次官に就任した。同省の女性次官は、旧労働省時代も含めて村木さんが2人目だった。
 同省で記者会見した村木さんは「ある日突然、拘置所の中で裁判を闘うためにプロの助けが必要になった。自分は支える側にいると思っていたが、間違った優越感だった」と述懐。「病気でも介護でも失職でも、大きな困難に遭遇した人にはプロや身近な人の支えが必要だと分かった」と語った。
 自身の今後については「白紙」という。

(転載終了)※    ※    ※

 同じ会見を記事にしても、書き手により随分印象が異なる記事になるものだと改めて思う。もちろんどちらがどうの、ということではないけれど、切り取る言葉によって響き方は違う。
 ニュートラルな読み手であれば、特に問題はないのだろうけれど、最初からフィルターがかかった見方をすれば、こうした記事から受ける情報も随分変わって伝わるのではないだろうか。
 この記事で私の心に強く響いたのは「自分は支える側にいると思っていたが、間違った優越感だった」というくだりだ。あれほどの方もそんなことを思われたのだ、と。

 人のために、という使命感を持って元気で働いている時は、誰だって自分が支える側の人間であることを疑いはしないだろう。それが仕事をする上での気概であるとも思う。
 けれど、生身の人間であれば、長い人生を通じて常に支える側の立場にだけ居続ける、ということはとても難しいのも事実なのではないか。
 どんな形であれ、生きているということは生かされているということ。期せずして弱い立場、人から支えてもらわなければならない立場になった時にも、支えてもらっているだけではなく、必ずやその存在が他の誰かを支えているのだと信じたい。

 人という字は、2人の人が支えあっていることを表した象形文字である、と聞いたことがある。
 人として社会で生きていく以上、もたれあうのではなく支えあう、一方的に誰かを支えているのではなく、必ずや誰かに支えてもらっている、そして小さな力、微々たる力であるかもしれないけれど、人を支えさせて頂いている、ということを肝に銘じて、これからも生きていきたいと思うのである。

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