ここでも何度かご紹介させて頂いている読売新聞・医療サイトyomiDr.の勝俣先生の連載。
今日もそうそう!と頷くこと満載だったので、長文ではあるが、以下転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
がん診療の誤解を解く 腫瘍内科医Dr.勝俣の視点
がん報道に思うこと ~がんは闘うものではない~(2016年2月8日)
メディアのがん報道の特徴
がんは国民病です。日本人の2人に1人はがんになる時代。毎日のように、有名人の誰かが、がんになったことや、がんで亡くなったことが報道されています。
メディアのがん報道と言えば、多くが次の2通りに分けられるのではないでしょうか。
「○○をして、がんを克服した」
「末期がんで壮絶な死をとげた」
すなわち、がんについて、治すこと、亡くなることの2通りのイメージのみしか伝えようとしないのです。
確かに二元論で、治るか、治らないかと伝えることは聞き手にとってはわかりやすいのですが、この二元論がさまざまな偏見を生み出し、結局、患者さん、ひいては国民に悪影響を及ぼしているように思うのです。
このような報道を見ていて、そろそろいい加減にしてほしいと思う医療者は、私だけではないと思います。
メディアのがん報道は偏ったものばかりが目につきます。
「最新のがん治療」
「がんを克服する食事」
「私はこうやって、がんを克服した」
「がんを治すための免疫をつけるには?」
などなど、がんを克服するための報道。
一方、がんで亡くなった方の報道では、
「がんと闘い壮絶死」
「末期がん壮絶な闘病」
など、いったんがんで亡くなると、とことん視聴者の同情を誘うように、「かわいそうな人」にしたがるようです。
がんと共存できることを報道しないメディア
がんは、現代では、国民病と呼ばれるくらいありふれた病気です。身内ががんになった経験は誰しもお持ちではないでしょうか。
私の祖父は白血病でした。2人の叔母が乳がんで、叔父は昨年、肺がんで手術をしました。
がんになることは特別なことでなく、身の周りにがんになる人が普通にいる時代です。このような時代ですから、がんに対して、正しい知識を持ち、自分に対しても、がんになった方に対しても適切な対応をしてほしいと思います。
がんという病気は、治るか、治らないですぐに死んでしまうか、という単純な病気でもありません。
進行の遅いがん、進行の速いがん、手術が有効ながん、手術が有効でないがん、放射線が有効ながん、放射線が有効でないがん、抗がん剤が有効ながん、抗がん剤が有効でないがん、放射線と抗がん剤を組み合わせると有効ながん、などなど。
色々ながんの種類があり、色々な治療法があり、複雑に組み合わされます。
また、このように治療法が進歩したことによって、がんになったら、すぐに死んでしまうようなことはなくなりました。
がんは生活の一部となり、がんになりながらも、治療をやりながら、いかにうまく共存をしていくか、という時代になったのです。
「共存するがん患者さん」をメディアは報道したがらない傾向にあります。
なぜ、がんとの共存を報道しないのか?ということを、あるメディア関係者にお聞きしましたら、
「がんと共存するのは、絵にならない」
と言うのです。
視聴率がそんなに気になるのでしょうか?
がんと共存して頑張っている患者さんは、報道する価値がないというのでしょうか?
これでは、あまりにも患者さんを馬鹿にしているというか、あまりにも偏重報道であるように思います。
偏った抗がん剤報道
抗がん剤報道も偏ったものばかりです。
抗がん剤治療は、よっぽど副作用が激しくて恐ろしいモノ、とのイメージを植え付けたいのでしょう。
がん患者さんを題材にしたドラマや映画では、抗がん剤はたいてい悪者となり、抗がん剤でゲーゲー吐いている映像となります。
前回の、「抗がん剤は通院でやりましょう(その1 制吐剤の進歩)」でもお話ししたように、現代では抗がん剤で吐くことがほとんどなくなった時代なのに、です。
俳優の今井雅之さんは、昨年5月28日に大腸がんで亡くなりました。その際の報道は、
「『末期がん』告白…闘病ですっかりやつれ、舞台降板に悔し涙」
「末期がん公表・闘病の俳優、今井雅之さん死去…無念「病には勝てなかった。本当に悔しい」
昨年9月24日に胆管がんで亡くなった女優の川島なお美さんの報道では、
「抗がん剤より女優を選んだ最期」
などとやはり抗がん剤が悪者になったような誤解を与える報道になっています。
2011年4月に亡くなった元キャンディーズで女優の田中好子さんは、その19年前に乳がんを発症して以来、再発を繰り返していたようですが、その都度治療を受けられ、お仕事を続けていたそうです。ただ、乳がんが再発したことは、公にはされませんでした。周囲の人に病状が知らされたのは、亡くなる1か月くらい前になります。再発したことを公言されなかった理由は色々あるとは思いますが、再発を公言することで、仕事の依頼が減ることを危惧したこともあるのではないでしょうか。
田中さんの例でもわかるように、がんが再発しても、すぐに亡くなってしまうわけではありません。がんの治療をしながらでも、仕事を続けることができます。
一般に、転移のある進行がん患者さんで、本当に具合が悪くなって、日常生活もできなくなるのは、亡くなる2週間くらい前からになります(※)。
私の患者さんも、がんが全身に転移をした方で、亡くなる2週間前までテニスを楽しんでいた患者さんがいました。
また、36歳で乳がんの手術を受け、4年後に再発した患者さんの例をお話しします。再発後に紹介され、私が診たときは、ほぼ全身の骨すべて、すなわち、頭蓋骨から、背骨の全域に至るまでにがんが転移していました。骨転移による痛みがありましたが、痛み止めを処方し、すぐに、ホルモン療法(抗がん剤の一種)を始めました。その後、化学療法(いわゆる抗がん剤のこと、殺細胞薬とも言います)も使いながら、全身の骨転移から5年後には、ほぼがんがすべて消えるところまで制御できました。
現在では、彼女は60歳になりますが、がんの転移が再度ぶり返し、再びホルモン療法を開始していますが、事務のお仕事もされながら、通院し治療を受けています。これまで、がんの治療のために入院したことは一度もありません。彼女は、乳がんが再発してから、現在に至るまで、実に、20年間がんと共存していることになります。最初の再発の際に、小学生だったお子さんも既に、成人しています。もちろん、普段の彼女は、旅行に行ったり、お酒を飲んだり、普通の人と変わらない生活を過ごしていらっしゃいます。
彼女は、私の患者さんの中でも最も長く共存している患者さんの一人です。すべての患者さんが、彼女のように、非常に長く共存できると言えるわけではありませんが、転移のある進行がんであっても、通院治療ができ、抗がん剤を使いながら仕事もでき、生活の質を保つことができる時代になっているということです。
がんは闘うものではない
ジャーナリストの竹田圭吾さんが、今年1月10日に膵臓がんで亡くなられたことが報道されました。彼の生前のツイッターでのつぶやきが、現代のがん医療の現状を的確に伝えており、誰もががんになる現代に生きる私たちにとって、大変参考になると思いましたので、紹介させていただきたいて、終わりにしたいと思います。
がんというのは、必ずしも『襲われて』『闘う』ものではないと思う。自分の中に住みついたものを、なだめすかしながら、なんとか抑えながら生活の質を維持していく、がんとはそういうものだということを、検診の段階から少しでもイメージしておくことも大事ではないかと。2015年9月29日 22:31
(むしろ共存していくものと?)昔と違って、毎年のように新しい治療法が出てきているので、そういう付き合い方ができるようになっている。がんが見つかったら生き方の中で何を優先しようかな、と(気楽に)検診の段階から思い浮かべておくのが大事ではないかと、自分の体験からはおもいます2015年9月29日 22:38
進行がん、難治がん、再発・転移がんの場合などはとくに、「告白」「闘病」といった言葉に装飾されつつ、こちらとあちらに境界線がきっぱりと引かれてしまうけれど、自分の体験からすると、それほど単純なものではない。治療が辛いのは確かだけど、がんになってよかったと感じることもいくつかある。2015年9月29日 22:46
参考文献
※ 恒藤 暁(1999)最新緩和医療学.大阪,最新医学社,20.
(転載終了)※ ※ ※
本当にそうだ。どこを取り上げさせていただこうか、と思いつつ全部になりそうなので、ちょっと反省しながら・・・。
「○○をして、がんを克服した」、「末期がんで壮絶な死をとげた」という、がんについて“完治”もしくは“死”という2通りのイメージのみしか伝えようとしない報道については常々苦々しく思ってきた。だからゴマメの歯軋りに違いないけれど、こうしてチマチマと6年半近く駄文を綴っている。けれど、これが私の穿った見方ではなく、先生もこう感じておられたのだと思うと、ちょっと溜飲が下がる感じだ。そう、「共存するがん患者」をメディアは報道したがらない傾向にある、ということを。
この病気はそんなに単純なものではない、と思う。十人十色どころか、患者さんの数だけの症例がある。まさしく人それぞれなのに、ひたすら問題を単純に歪曲化して煽る。
もちろん、中には、○○をしてがんを克服する方も数多くいらっしゃるのかもしれないけれど、こと再発進行がんはそう簡単なものではないと思う。いや、百歩譲ってもし○○で克服することが出来たら、今の標準治療はいったい何なのだろう。
そして、すぐに 「がんと闘い壮絶死」、「末期がん壮絶な闘病」-とひたすら紋切り型に“壮絶”という言葉を使いたがる無神経さ。言葉を操る人たちがこんなに安易に言葉を選んでいいのだろうか、と凡人の私は憤る。
おそらく実際にがんと共存されている沢山の患者さんたちは、自分たちはひとまずその壮絶な闘病からは安全な別の岸にいるマスコミの方たちの優越感に辟易しているのではなかろうか。
ここでも何度も書いているけれど、治療法が格段に進歩したことによって、がんになったら、即、死んでしまうようなことはなくなっている。現に私は再発治療を8年続けており、今もごく普通にフルタイムで働いている。私にとってもはやこの病気は生活の一部であり、治療を続けながら趣味も決して諦めていない。いかにうまく共存をしていくかを日々心がけてここまてやってきた。
けれど、先生がおっしゃるとおり、「共存するがん患者」をメディアは報道したがらない。この「がんと共存するのは、絵にならない」という言葉にメディアの姿勢が凝縮されていると思う。
いや、上等ではないか。絵にならなくて結構、それが一番なのだと思う。これは捨て台詞でもやせ我慢でもない。彼らにとって絵になるというのは、先生が書いておられるとおり抗がん剤でゲーゲー吐いている映像、ヨレヨレの患者像だけなのだろう。今やきちんとコントロールすればそんなことは全くないのに。
そして、私のように今はカツラの世話にもならず、見た目では患者とは思えない患者には用がないといわれれば、こちらも願い下げである。普通の生活が送れることは、絵にはならないかもしれないけれど、それが今の私にとって何よりも尊いのだから。けれど、「絵になる報道」が果たして正しい報道であるのか、世の中の人たちに正しい情報を発するというマスコミの使命はいったいどこへ行ったのか、と言いたい。
もちろん、全てのジャーナリストがそうだ、と言うつもりはない。地道に取材を重ねて、きちんと実態を明らかにし、真実を伝えようと努める記者さんがおられることも知っている。しかし、その努力が私たちの目に触れる機会はごく少ないのが現実ではないだろうか。
メディアで喜ばれるいわゆるお涙頂戴もののドラマ等は、若くて美しい女性なり、年若い青少年なり、本当なら輝かしい未来が待っているのにもかかわらず、がんという病気のためにそれが奪われた可愛そうな患者さんが主人公である。
これこそ絵になって有難いものなのだろう。だから、私のように50代で美しくもない普通の中年女性が日々がんと共存している状況など報道に値しないのだろう。けれど、それは日々がんと共存している患者さんたちへの冒瀆ではなかろうかと哀しく思う。
当然のことながら私を報道して頂きたいなどと言っている訳ではない。そんなことで穏やかな日常を壊されたくない。けれど、こういう患者たちに光を当てずして、今のがん時代を報道していると思っているなら大間違いだ、と言いたい。
5年近く前に亡くなった女優の田中好子さんの訃報は私たち乳がん患者たちの間を瞬く間に駆け回り、大きなショックを与えた。けれど、冷静に考えれば彼女は19年前に乳がんを発症して以来、再発を繰り返しながらも治療を受けられ、仕事を続けていたわけだ。再発したことは、公にはされていなかったから、皆あんなに急に亡くなってしまうなんて、と大きなショックを受けたのだけれど、もし公表されていたら、このうえない大きな励ましになっただろう、と今でも思う。
あんなに輝いて女優の仕事をされていながら、再発治療を続けておられたということを一人でも多くの人がもっと早く知っていたら・・・と残念でならない。もちろん、女優という職業から熟慮の末の選択であっただろうし、マスコミに紋切り型な扱いをされることが嫌だったのだろう、ということもよく理解できるのだけれど。
このことも何度も書いているが、最後の経過は早いのがこの病気の特徴だ。だから、先生も書いておられるとおり、“一般に、転移のある進行がん患者さんで、本当に具合が悪くなって、日常生活もできなくなるのは、亡くなる2週間くらい前からになります(※)。”なのだ。
だからこそ、その2週間くらい前を迎える前にきちんと準備をしておかなければならない、とも思っている。それについてはまた後日、改めて書きたい。
先生の患者さんで、36歳で乳がんの手術を受け、4年後に再発した患者さんの例を拝読し、また心を強くした。この方はほぼ全身の骨にがんが転移していたというが、ホルモン療法、化学療法で全身の骨転移から5年後には、ほぼがんがすべて消えるところまで制御できたという。現在では還暦になられたとのこと。
私はこの方のように骨転移だけではないし、今まで色々な薬を使いつつも、すべて画像上がんが消えるという状態にはなったことがないので、20年もの長期間頑張れるかどうかは神のみぞ知るである。
それにしても実に凄いことである。8年の共存でもう十分頑張ったなどと言ってはいられないではないか。そう、間違いなく今は転移のある進行がんでも何年にも渡って、一人で通院治療ができ、抗がん剤を使いながら毎日仕事も出来、生活の質を保つことができる時代になっているのである。
そして、これも何度か書いているのだけれど、がんは決して闘うものではないと思っている。壮絶な闘病ではなく、穏やかな共存のイメージだ。竹田さんが言っておられるとおり、自分の中にある自分の細胞をなんとかコントロールしながらQOLをなるべく落とさないようにしていきたい。私は人間が出来ていないので、辛い治療は確かに辛かったから、もう一度同じことを喜んでやるとは決して言えないし、がんになって良かった、などと手放しで言うことも出来ないけれど、それでも病気と付き合う上で手に入れたもの、気付かせてもらったことは決して少なくない。
結局、またも延々と長くなってしまった。先生のこの文章を読んで、一人でも多くの方々に今の現実を知って頂きたい、正しい報道を通して、がんと共存する多くの患者に力を与えてほしい、と心から願うのである。
今日もそうそう!と頷くこと満載だったので、長文ではあるが、以下転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
がん診療の誤解を解く 腫瘍内科医Dr.勝俣の視点
がん報道に思うこと ~がんは闘うものではない~(2016年2月8日)
メディアのがん報道の特徴
がんは国民病です。日本人の2人に1人はがんになる時代。毎日のように、有名人の誰かが、がんになったことや、がんで亡くなったことが報道されています。
メディアのがん報道と言えば、多くが次の2通りに分けられるのではないでしょうか。
「○○をして、がんを克服した」
「末期がんで壮絶な死をとげた」
すなわち、がんについて、治すこと、亡くなることの2通りのイメージのみしか伝えようとしないのです。
確かに二元論で、治るか、治らないかと伝えることは聞き手にとってはわかりやすいのですが、この二元論がさまざまな偏見を生み出し、結局、患者さん、ひいては国民に悪影響を及ぼしているように思うのです。
このような報道を見ていて、そろそろいい加減にしてほしいと思う医療者は、私だけではないと思います。
メディアのがん報道は偏ったものばかりが目につきます。
「最新のがん治療」
「がんを克服する食事」
「私はこうやって、がんを克服した」
「がんを治すための免疫をつけるには?」
などなど、がんを克服するための報道。
一方、がんで亡くなった方の報道では、
「がんと闘い壮絶死」
「末期がん壮絶な闘病」
など、いったんがんで亡くなると、とことん視聴者の同情を誘うように、「かわいそうな人」にしたがるようです。
がんと共存できることを報道しないメディア
がんは、現代では、国民病と呼ばれるくらいありふれた病気です。身内ががんになった経験は誰しもお持ちではないでしょうか。
私の祖父は白血病でした。2人の叔母が乳がんで、叔父は昨年、肺がんで手術をしました。
がんになることは特別なことでなく、身の周りにがんになる人が普通にいる時代です。このような時代ですから、がんに対して、正しい知識を持ち、自分に対しても、がんになった方に対しても適切な対応をしてほしいと思います。
がんという病気は、治るか、治らないですぐに死んでしまうか、という単純な病気でもありません。
進行の遅いがん、進行の速いがん、手術が有効ながん、手術が有効でないがん、放射線が有効ながん、放射線が有効でないがん、抗がん剤が有効ながん、抗がん剤が有効でないがん、放射線と抗がん剤を組み合わせると有効ながん、などなど。
色々ながんの種類があり、色々な治療法があり、複雑に組み合わされます。
また、このように治療法が進歩したことによって、がんになったら、すぐに死んでしまうようなことはなくなりました。
がんは生活の一部となり、がんになりながらも、治療をやりながら、いかにうまく共存をしていくか、という時代になったのです。
「共存するがん患者さん」をメディアは報道したがらない傾向にあります。
なぜ、がんとの共存を報道しないのか?ということを、あるメディア関係者にお聞きしましたら、
「がんと共存するのは、絵にならない」
と言うのです。
視聴率がそんなに気になるのでしょうか?
がんと共存して頑張っている患者さんは、報道する価値がないというのでしょうか?
これでは、あまりにも患者さんを馬鹿にしているというか、あまりにも偏重報道であるように思います。
偏った抗がん剤報道
抗がん剤報道も偏ったものばかりです。
抗がん剤治療は、よっぽど副作用が激しくて恐ろしいモノ、とのイメージを植え付けたいのでしょう。
がん患者さんを題材にしたドラマや映画では、抗がん剤はたいてい悪者となり、抗がん剤でゲーゲー吐いている映像となります。
前回の、「抗がん剤は通院でやりましょう(その1 制吐剤の進歩)」でもお話ししたように、現代では抗がん剤で吐くことがほとんどなくなった時代なのに、です。
俳優の今井雅之さんは、昨年5月28日に大腸がんで亡くなりました。その際の報道は、
「『末期がん』告白…闘病ですっかりやつれ、舞台降板に悔し涙」
「末期がん公表・闘病の俳優、今井雅之さん死去…無念「病には勝てなかった。本当に悔しい」
昨年9月24日に胆管がんで亡くなった女優の川島なお美さんの報道では、
「抗がん剤より女優を選んだ最期」
などとやはり抗がん剤が悪者になったような誤解を与える報道になっています。
2011年4月に亡くなった元キャンディーズで女優の田中好子さんは、その19年前に乳がんを発症して以来、再発を繰り返していたようですが、その都度治療を受けられ、お仕事を続けていたそうです。ただ、乳がんが再発したことは、公にはされませんでした。周囲の人に病状が知らされたのは、亡くなる1か月くらい前になります。再発したことを公言されなかった理由は色々あるとは思いますが、再発を公言することで、仕事の依頼が減ることを危惧したこともあるのではないでしょうか。
田中さんの例でもわかるように、がんが再発しても、すぐに亡くなってしまうわけではありません。がんの治療をしながらでも、仕事を続けることができます。
一般に、転移のある進行がん患者さんで、本当に具合が悪くなって、日常生活もできなくなるのは、亡くなる2週間くらい前からになります(※)。
私の患者さんも、がんが全身に転移をした方で、亡くなる2週間前までテニスを楽しんでいた患者さんがいました。
また、36歳で乳がんの手術を受け、4年後に再発した患者さんの例をお話しします。再発後に紹介され、私が診たときは、ほぼ全身の骨すべて、すなわち、頭蓋骨から、背骨の全域に至るまでにがんが転移していました。骨転移による痛みがありましたが、痛み止めを処方し、すぐに、ホルモン療法(抗がん剤の一種)を始めました。その後、化学療法(いわゆる抗がん剤のこと、殺細胞薬とも言います)も使いながら、全身の骨転移から5年後には、ほぼがんがすべて消えるところまで制御できました。
現在では、彼女は60歳になりますが、がんの転移が再度ぶり返し、再びホルモン療法を開始していますが、事務のお仕事もされながら、通院し治療を受けています。これまで、がんの治療のために入院したことは一度もありません。彼女は、乳がんが再発してから、現在に至るまで、実に、20年間がんと共存していることになります。最初の再発の際に、小学生だったお子さんも既に、成人しています。もちろん、普段の彼女は、旅行に行ったり、お酒を飲んだり、普通の人と変わらない生活を過ごしていらっしゃいます。
彼女は、私の患者さんの中でも最も長く共存している患者さんの一人です。すべての患者さんが、彼女のように、非常に長く共存できると言えるわけではありませんが、転移のある進行がんであっても、通院治療ができ、抗がん剤を使いながら仕事もでき、生活の質を保つことができる時代になっているということです。
がんは闘うものではない
ジャーナリストの竹田圭吾さんが、今年1月10日に膵臓がんで亡くなられたことが報道されました。彼の生前のツイッターでのつぶやきが、現代のがん医療の現状を的確に伝えており、誰もががんになる現代に生きる私たちにとって、大変参考になると思いましたので、紹介させていただきたいて、終わりにしたいと思います。
がんというのは、必ずしも『襲われて』『闘う』ものではないと思う。自分の中に住みついたものを、なだめすかしながら、なんとか抑えながら生活の質を維持していく、がんとはそういうものだということを、検診の段階から少しでもイメージしておくことも大事ではないかと。2015年9月29日 22:31
(むしろ共存していくものと?)昔と違って、毎年のように新しい治療法が出てきているので、そういう付き合い方ができるようになっている。がんが見つかったら生き方の中で何を優先しようかな、と(気楽に)検診の段階から思い浮かべておくのが大事ではないかと、自分の体験からはおもいます2015年9月29日 22:38
進行がん、難治がん、再発・転移がんの場合などはとくに、「告白」「闘病」といった言葉に装飾されつつ、こちらとあちらに境界線がきっぱりと引かれてしまうけれど、自分の体験からすると、それほど単純なものではない。治療が辛いのは確かだけど、がんになってよかったと感じることもいくつかある。2015年9月29日 22:46
参考文献
※ 恒藤 暁(1999)最新緩和医療学.大阪,最新医学社,20.
(転載終了)※ ※ ※
本当にそうだ。どこを取り上げさせていただこうか、と思いつつ全部になりそうなので、ちょっと反省しながら・・・。
「○○をして、がんを克服した」、「末期がんで壮絶な死をとげた」という、がんについて“完治”もしくは“死”という2通りのイメージのみしか伝えようとしない報道については常々苦々しく思ってきた。だからゴマメの歯軋りに違いないけれど、こうしてチマチマと6年半近く駄文を綴っている。けれど、これが私の穿った見方ではなく、先生もこう感じておられたのだと思うと、ちょっと溜飲が下がる感じだ。そう、「共存するがん患者」をメディアは報道したがらない傾向にある、ということを。
この病気はそんなに単純なものではない、と思う。十人十色どころか、患者さんの数だけの症例がある。まさしく人それぞれなのに、ひたすら問題を単純に歪曲化して煽る。
もちろん、中には、○○をしてがんを克服する方も数多くいらっしゃるのかもしれないけれど、こと再発進行がんはそう簡単なものではないと思う。いや、百歩譲ってもし○○で克服することが出来たら、今の標準治療はいったい何なのだろう。
そして、すぐに 「がんと闘い壮絶死」、「末期がん壮絶な闘病」-とひたすら紋切り型に“壮絶”という言葉を使いたがる無神経さ。言葉を操る人たちがこんなに安易に言葉を選んでいいのだろうか、と凡人の私は憤る。
おそらく実際にがんと共存されている沢山の患者さんたちは、自分たちはひとまずその壮絶な闘病からは安全な別の岸にいるマスコミの方たちの優越感に辟易しているのではなかろうか。
ここでも何度も書いているけれど、治療法が格段に進歩したことによって、がんになったら、即、死んでしまうようなことはなくなっている。現に私は再発治療を8年続けており、今もごく普通にフルタイムで働いている。私にとってもはやこの病気は生活の一部であり、治療を続けながら趣味も決して諦めていない。いかにうまく共存をしていくかを日々心がけてここまてやってきた。
けれど、先生がおっしゃるとおり、「共存するがん患者」をメディアは報道したがらない。この「がんと共存するのは、絵にならない」という言葉にメディアの姿勢が凝縮されていると思う。
いや、上等ではないか。絵にならなくて結構、それが一番なのだと思う。これは捨て台詞でもやせ我慢でもない。彼らにとって絵になるというのは、先生が書いておられるとおり抗がん剤でゲーゲー吐いている映像、ヨレヨレの患者像だけなのだろう。今やきちんとコントロールすればそんなことは全くないのに。
そして、私のように今はカツラの世話にもならず、見た目では患者とは思えない患者には用がないといわれれば、こちらも願い下げである。普通の生活が送れることは、絵にはならないかもしれないけれど、それが今の私にとって何よりも尊いのだから。けれど、「絵になる報道」が果たして正しい報道であるのか、世の中の人たちに正しい情報を発するというマスコミの使命はいったいどこへ行ったのか、と言いたい。
もちろん、全てのジャーナリストがそうだ、と言うつもりはない。地道に取材を重ねて、きちんと実態を明らかにし、真実を伝えようと努める記者さんがおられることも知っている。しかし、その努力が私たちの目に触れる機会はごく少ないのが現実ではないだろうか。
メディアで喜ばれるいわゆるお涙頂戴もののドラマ等は、若くて美しい女性なり、年若い青少年なり、本当なら輝かしい未来が待っているのにもかかわらず、がんという病気のためにそれが奪われた可愛そうな患者さんが主人公である。
これこそ絵になって有難いものなのだろう。だから、私のように50代で美しくもない普通の中年女性が日々がんと共存している状況など報道に値しないのだろう。けれど、それは日々がんと共存している患者さんたちへの冒瀆ではなかろうかと哀しく思う。
当然のことながら私を報道して頂きたいなどと言っている訳ではない。そんなことで穏やかな日常を壊されたくない。けれど、こういう患者たちに光を当てずして、今のがん時代を報道していると思っているなら大間違いだ、と言いたい。
5年近く前に亡くなった女優の田中好子さんの訃報は私たち乳がん患者たちの間を瞬く間に駆け回り、大きなショックを与えた。けれど、冷静に考えれば彼女は19年前に乳がんを発症して以来、再発を繰り返しながらも治療を受けられ、仕事を続けていたわけだ。再発したことは、公にはされていなかったから、皆あんなに急に亡くなってしまうなんて、と大きなショックを受けたのだけれど、もし公表されていたら、このうえない大きな励ましになっただろう、と今でも思う。
あんなに輝いて女優の仕事をされていながら、再発治療を続けておられたということを一人でも多くの人がもっと早く知っていたら・・・と残念でならない。もちろん、女優という職業から熟慮の末の選択であっただろうし、マスコミに紋切り型な扱いをされることが嫌だったのだろう、ということもよく理解できるのだけれど。
このことも何度も書いているが、最後の経過は早いのがこの病気の特徴だ。だから、先生も書いておられるとおり、“一般に、転移のある進行がん患者さんで、本当に具合が悪くなって、日常生活もできなくなるのは、亡くなる2週間くらい前からになります(※)。”なのだ。
だからこそ、その2週間くらい前を迎える前にきちんと準備をしておかなければならない、とも思っている。それについてはまた後日、改めて書きたい。
先生の患者さんで、36歳で乳がんの手術を受け、4年後に再発した患者さんの例を拝読し、また心を強くした。この方はほぼ全身の骨にがんが転移していたというが、ホルモン療法、化学療法で全身の骨転移から5年後には、ほぼがんがすべて消えるところまで制御できたという。現在では還暦になられたとのこと。
私はこの方のように骨転移だけではないし、今まで色々な薬を使いつつも、すべて画像上がんが消えるという状態にはなったことがないので、20年もの長期間頑張れるかどうかは神のみぞ知るである。
それにしても実に凄いことである。8年の共存でもう十分頑張ったなどと言ってはいられないではないか。そう、間違いなく今は転移のある進行がんでも何年にも渡って、一人で通院治療ができ、抗がん剤を使いながら毎日仕事も出来、生活の質を保つことができる時代になっているのである。
そして、これも何度か書いているのだけれど、がんは決して闘うものではないと思っている。壮絶な闘病ではなく、穏やかな共存のイメージだ。竹田さんが言っておられるとおり、自分の中にある自分の細胞をなんとかコントロールしながらQOLをなるべく落とさないようにしていきたい。私は人間が出来ていないので、辛い治療は確かに辛かったから、もう一度同じことを喜んでやるとは決して言えないし、がんになって良かった、などと手放しで言うことも出来ないけれど、それでも病気と付き合う上で手に入れたもの、気付かせてもらったことは決して少なくない。
結局、またも延々と長くなってしまった。先生のこの文章を読んで、一人でも多くの方々に今の現実を知って頂きたい、正しい報道を通して、がんと共存する多くの患者に力を与えてほしい、と心から願うのである。