早くも如月。明後日は節分、その翌日は立春で暦の上では春だというのに、まだまだ真冬の寒さ。昨日までの暖かさは夢だったのか、と思うほどの厳しい冷え込みだ。
さて、実家の父のこと。
昨秋の母の入院中、ショートステイ先ですっかり引きこもりと化し、あらゆるアクティビティへの参加を頑なに拒み、入浴と食事以外はひたすら自室でじっと過ごしていたことはここで書いたとおりだ。
その頃から、同じ説明を何度も繰り返してもなかなか理解してもらえなかったり、オヤッ?と思うような心配な言動があった。けれど、母にかかりっきりできめ細かく対応をする余裕がなかった。気になりつつも、自宅に戻ればまた元通りになる方も多いので、という施設の方の言葉に縋っていたのかもしれない。
けれど、そうは問屋がおろさなかった。
先日、現在週4日お世話になっているデイサービスのケアマネさんから電話があった。お手洗でふらついたり、食欲がなかったり、明らかに今までと違う様子が見られたという。是非病院へ行ってください、と母にも連絡したけれど、なかなか埒が明かないようで、私に連絡をしてきてくださったのだった。
救急車を呼ぶほどでは・・・ということだったのかもしれないけれど、脳梗塞や脳溢血だったりすれば一刻を争う。その夜、いつもお世話になっているクリニックの先生の助言もあり、救急搬送をお願いした。
結果、脳外科のドクターが不在だったため、循環器・呼吸器系の検査後、点滴だけして特に問題なしということで、そのまま帰ってきたのだった。
その翌日もしつこく、放っておいていいのかと言ったけれど、休日だから病院はお休みだし、特に目立って変わったことはないし、と母はいかにも歯切れが悪い。横で電話を聞いているという父が「気違い扱いするな、絶対行かない」と怒っているというものだから、仕方なくそのまま様子を見ることになった。
けれど、自宅のお風呂の沸かし方が分からなくなったり、お手洗の場所が判らなくなったりという行動が続き、本人も納得してようやく今日、脳神経内科を受診することになった。
MRIは圧迫骨折した背骨の痛みが酷く、身体が伸ばせないため撮影が出来ず。問診によって、アルツハイマー型認知症という診断が下った、との母の弁。もう大分前から進んでいたのではないかと。本人も納得して進行を遅くする薬を飲むことになった。2週間後に再診だという。
おそらくそうなのではないか、とずっと思っていたので、ショックというよりも嗚呼、やはりそうだったか、という気持ちだ。父は今年の5月に88歳になる。60歳であっさり仕事から離れ、四半世紀以上ずっと家にいて殆ど刺激のない生活をしていたのだから、思えば良くこれまで無事で、という気もしないではない。
母の入院とショートステイという環境の激変が引き鉄になったのだろうな、とも思うけれど、これも致し方ないことだ。
とにかく出来る人が出来る時に出来ることを。専門家の力を借りながら、なるべく家族皆が疲弊しないようにうまく付き合っていかなければならない。
ケアマネさんに報告の電話を入れ、これからもデイサービスでお世話になりますとお願いした。その後、母にも励ましの電話を入れる。結構ケロリとしていたので、安堵した。
ようやく元気になってきた母のことを思えば、あまり負荷もかけられない。それは重々承知の上だけれど、私も治療中の身。短距離走ではないのだから、無理してすぐに顎を出してはいられない。細く長く共存していくしかないのだろう。
おかしいと思い始めた頃に受診させられれば良かったとは思うものの、無理やり病院に連れて行くことはとても出来なかった。こうして納得した上での通院で、本人も薬を飲んでなるべく治るように頑張りたいと言っているようだから、結果オーライ、これで良かったのだ、と思うしかないのである。
さて、実家の父のこと。
昨秋の母の入院中、ショートステイ先ですっかり引きこもりと化し、あらゆるアクティビティへの参加を頑なに拒み、入浴と食事以外はひたすら自室でじっと過ごしていたことはここで書いたとおりだ。
その頃から、同じ説明を何度も繰り返してもなかなか理解してもらえなかったり、オヤッ?と思うような心配な言動があった。けれど、母にかかりっきりできめ細かく対応をする余裕がなかった。気になりつつも、自宅に戻ればまた元通りになる方も多いので、という施設の方の言葉に縋っていたのかもしれない。
けれど、そうは問屋がおろさなかった。
先日、現在週4日お世話になっているデイサービスのケアマネさんから電話があった。お手洗でふらついたり、食欲がなかったり、明らかに今までと違う様子が見られたという。是非病院へ行ってください、と母にも連絡したけれど、なかなか埒が明かないようで、私に連絡をしてきてくださったのだった。
救急車を呼ぶほどでは・・・ということだったのかもしれないけれど、脳梗塞や脳溢血だったりすれば一刻を争う。その夜、いつもお世話になっているクリニックの先生の助言もあり、救急搬送をお願いした。
結果、脳外科のドクターが不在だったため、循環器・呼吸器系の検査後、点滴だけして特に問題なしということで、そのまま帰ってきたのだった。
その翌日もしつこく、放っておいていいのかと言ったけれど、休日だから病院はお休みだし、特に目立って変わったことはないし、と母はいかにも歯切れが悪い。横で電話を聞いているという父が「気違い扱いするな、絶対行かない」と怒っているというものだから、仕方なくそのまま様子を見ることになった。
けれど、自宅のお風呂の沸かし方が分からなくなったり、お手洗の場所が判らなくなったりという行動が続き、本人も納得してようやく今日、脳神経内科を受診することになった。
MRIは圧迫骨折した背骨の痛みが酷く、身体が伸ばせないため撮影が出来ず。問診によって、アルツハイマー型認知症という診断が下った、との母の弁。もう大分前から進んでいたのではないかと。本人も納得して進行を遅くする薬を飲むことになった。2週間後に再診だという。
おそらくそうなのではないか、とずっと思っていたので、ショックというよりも嗚呼、やはりそうだったか、という気持ちだ。父は今年の5月に88歳になる。60歳であっさり仕事から離れ、四半世紀以上ずっと家にいて殆ど刺激のない生活をしていたのだから、思えば良くこれまで無事で、という気もしないではない。
母の入院とショートステイという環境の激変が引き鉄になったのだろうな、とも思うけれど、これも致し方ないことだ。
とにかく出来る人が出来る時に出来ることを。専門家の力を借りながら、なるべく家族皆が疲弊しないようにうまく付き合っていかなければならない。
ケアマネさんに報告の電話を入れ、これからもデイサービスでお世話になりますとお願いした。その後、母にも励ましの電話を入れる。結構ケロリとしていたので、安堵した。
ようやく元気になってきた母のことを思えば、あまり負荷もかけられない。それは重々承知の上だけれど、私も治療中の身。短距離走ではないのだから、無理してすぐに顎を出してはいられない。細く長く共存していくしかないのだろう。
おかしいと思い始めた頃に受診させられれば良かったとは思うものの、無理やり病院に連れて行くことはとても出来なかった。こうして納得した上での通院で、本人も薬を飲んでなるべく治るように頑張りたいと言っているようだから、結果オーライ、これで良かったのだ、と思うしかないのである。