ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.2.9 引き際は美しく

2016-02-09 21:50:39 | 日記
 私は息子の誕生以来、職住近接の職場で働かせて頂いている。かたや夫は毎日往復3時間以上、満員の通勤電車に揺られて通勤している。当然朝も夕もずっと立ちん棒である。

 本当にお疲れ様なことで、頭が下がる。本人曰く「何より今の仕事が好きだし、健康だし、アテにされているうちが花だから、このまま身体が続く限り働きたい」そうだ。

 この地に引っ越してきた20年以上前には、うまくすれば最寄席から席が確保出来ることもあったが、始発駅から最寄り駅までの間にどんどんマンションが建ち続け、今や早朝でも始発から席が埋まっており、座れるなどということは、都内がしーんと静まり返ったお盆の時期でもごくごくラッキーな部類に入るという。

 その夫も「往復3時間の立ちん棒の通勤が億劫になったら、潮時だなと思う」と漏らした。

 実は私にもこれが出来なくなったら、引き際だな、と自分で考えているモノサシがある。
 駅よりも高台にある我が家と職場。この辺りは山を切り開いたベッドタウンなので、アップダウンがとても激しい。坂道も行きはよいよい、帰りは怖い・・・である。そんなわけで夫は2年前から電動自転車に乗っている。けれど、私は万一転倒した時の骨転移による骨折が心配で、自転車を降りて久しい。よって頼れるのはこの太い2本の脚だ、と以前も書いた。

 自家用車もないし、歩くか公共交通機関に頼るしかないのである。だからこそ、ヨガやピラティスで体力維持、体幹を鍛えようと努力しているわけだ。治療をするにつけ、仕事をするにつけ、何はあろうと体力が一番である。
 それでもいつか病状が進んで、この坂ないし階段の昇り降りがきつくなったら引き際だ、と決めている。そうならないように、昼はなるべく階段の昇り降りをすべくお散歩に出ている。これがキツイと感じる時は体調注意のバロメーターになる。

 もちろん出来るだけ現役で、最後まで働き続けたいという気持ちを捨てるわけではない。
 再発患者でも普通に働き続けられるということを体現したいと日々言っているわけだから・・・。
 けれど、だからこそ、休みなく身体を痛め続けるような積極的治療を延々と続けようとは思わない。

 緩和医療のみに移行した方が身体も楽だし、かえって余命が長いのではないかと自分が生き物として感じる分岐点をキャッチ出来るように心の耳を澄ませたい、と思う。
 いくらデスクワークとはいっても、階段を登るのがしんどいような状況で出勤して回りに迷惑はかけるわけにはいかない。また、突然休んで引継ぎや職務説明も出来ないまま、職場の机回りを片付けないまま死亡退職で、夫に片付けに行かせるのではあまりに哀しい。

 きちんとお世話になったご挨拶をして、引き際は自ら見極めたいと思っているのだけれど、どうだろう。
 それと贅沢を言わせてもらえば、願わくば、夫と一緒のタイミングで仕事を辞めて、ちょっぴり長い旅行にも出かけてみたいと思ったりするのだけれど。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする