ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2015.1.4 巣立った息子は来て良し、帰って良し・・・二つの別れ

2015-01-04 19:38:20 | 日記
 いよいよ九連休最終日。ごく普通に朝食を済ませ、昼の新幹線で京都に向かう息子の荷造りをしていると、1通のメールが届き、凍りついた。

 年末に何度かお見舞いに伺った大切なお友達が、今朝、旅立たれたというメールだった。今日息子を見送りに彼女の入院先近くまで行くので、帰りに伺ってもよろしければ、とご連絡していたのだが、三が日は経過観察で、治療に集中したく・・・、というお返事があったのが、先月28日の夜のこと。
 それが彼女からのお返事の最後になった。

 私より2歳年下でいらしたけれど、それはそれはしっかりしていて、彼女の方がよほどお姉さんの風情。外資系企業に勤める文字通りバリバリのキャリアウーマンだった。とにかく賢くて、気丈で、そして何より優しくて、常に相手を思いやる細やかな気配りがごく自然に出来る、本当に素敵な方だった。ブログ上でもリアルでも一体どれだけ多くの方を励ましてこられ、憧れの存在であったかしれない。
 3年半の間、彼女と交流させて頂けたことを今、心から誇りに思うとともに神様に感謝したい。

 最後の彼女のブログ記事は“メリークリスマス”。緩和病棟からの辛い記事がいくつか続いた後のものだった。更新はちょうど私がお顔を見に伺った日の夜のこと。その数日前にも長文の記事を更新しておられたが、ご自身が辛い状況であるにもかかわらず、あとに続く患者たちが本当に知りたい貴重な情報が、丁寧に冷静にそしてユーモアをも交えて綴られており、改めてその気丈さに感嘆したものだ。
 けれど、実際の彼女を目の前にして、文字通り命を削って書いておられる気がして、胸が潰れそうだった。「あんな長文を・・・」と私が言うと、「また書きたいけれど、もう(あんな長文は)書けないかもしれない」とおっしゃっていた。
 失礼する間際にも、お友達が入れ替わりにお見舞いにいらしていたので、疲れさせてしまったのでは・・・と申し訳なくも案じていた。
 翌日「とても楽しかったので、ついつい調子に乗ってしまいました。次回から気を付けます」というお返事を頂いた。ああ、この気配り・・・、と何ともやるせなかった。
 その日は彼女から「朝の紅茶を愉しむ余裕が出てきたので・・・」と香りのよい紅茶を、そして、クリスマス前にお届けしたオーナメントをとても喜んでくださって、「お正月飾りがあったら・・・」とのメールを頂いていたので、彼女がお好きそうな紅茶とともに、いくつかのお正月グッズをお持ちした。2日後、それらを別のお友達がベッド傍に飾り付けてくださったというご連絡を受けていた。

 三が日を外して、今朝、旅立たれた、というのが何とも気配りに長けた彼女の旅立ちらしい。そう思うだけで、涙で目が曇る。
 彼女との別れを全く覚悟していなかったのか、と言われれば嘘になるかもしれない。けれど、来月、通院日の帰りには必ず寄らせて頂きますからね、と約束していた。お持ちしようと紅茶もあれこれ用意していた。
 あまりのショックにへなへなと座り込み、暫くの間、声をあげて泣いた。

 
 思えばいつもお忙しい中、私の治療日に合わせて何度も、ランチに病院の最寄駅まで出向いてくださった。彼女とのお喋りは本当に楽しく、お目にかかる度に話が尽きなかったので、何かと理由をつけては通院日に前泊して、夕食をご一緒させて頂いたことも何度となくあった。家族構成は違っていたけれど、年齢が近く、再発治療をしながらフルタイムで働いている、ということが私たちにとってとても大きかったのではないか、と思う。私が20年ぶりに届いたスウェーデンからのメールのことを書いた記事を読んで「仕事をしている醍醐味って本当にこういうことなのですよね」とメールをくださった。病床でもPCを傍に置き、「疲れない程度に少しだけ、資料を集めたりしているの」とおっしゃっていたのが、切ない。

 一昨年のお正月は一緒に中華街に初詣に行った後、一泊させて頂き、彼女のご自宅から初通院させて頂いた。一昨年の春には息子にも逢ってくださっている。学業成就のお守りや鉛筆等、出張の折りに求めてくださったものを、こちらにいらした時に手渡して頂いた。昨年4月、息子が巣立ってからは、「これからはもっともっと一緒に遊びやすくなりますね、お泊りもね!」と。そして、件の息子が合唱団に入ったことも、とても喜んでくださっていた。「お母さんと同じことを始めて、決して悪いことはしないでしょうから安心ですね」と。
 一昨年、私の地元の桜並木を観にいらした折り、こちらの桜をとても気に入ってくださり、昨年の春も「是非お花見に伺いたいので日程調整を宜しくお願いします」というリクエストを頂いていた。けれど、何より昨年の4月当初は私自身がドタバタだったこと、彼女の出張やこちらの桜の見頃の日程がうまく合わず、結局、叶うことがなく花は散ってしまった。「来年の春は絶対ね!」と返したのが本当に悔やまれる。
 私たち再発患者には、来年の春は当たり前に来るものではないということをもっと強く感じていなければならなかったのだ。

 新しい年が明けてすぐに辛い別れが続いている。沢山の方の中から出逢え、そして一度だけでないお付き合いが続けられるということは、奇跡の積み重ね以外の何物でもないのだと思う。
 こうして穏やかな彼女の笑顔を思い出しながら、気付けば涙が出てくる。楽しかった思い出は尽きない。

 
 息子は家を出る間際、泣き顔の私と夫の肩を揉んでくれた。そして「お世話になりました」と頭を下げた。夫が新幹線の駅まで見送りに行ったが、私は掃除をし、家に留まった。

 今回、息子の帰省でやけに疲れているのはなぜだろうと考えた。前回の帰省はウィークデーで、日中はこちらも仕事で家にいなかったから昼食の支度は全くなかったし、夜は夜で、彼が毎晩のように色々なお友達とのお付き合いで、殆ど家で食事をすることもなかったから、夫と2人いつもの生活のペースが守れたのだった。けれど、今回はベッタリ家にいたため、普段に増して家事をうんとやった感がある。
 去年まではこれがごく普通の生活で、それに加えて毎朝お弁当作りもこなしていたのに、である。一旦楽に流れると再びキツい生活に戻すのは大変だな、と実感する。

 つくづく一度巣立った息子なるものは、来て良し、帰って良し、である。
 帰りの玄関で寮の鍵を忘れていることに初めて気づいたお気楽な彼も、雪で若干遅れた新幹線の中、好きなお弁当をたいらげ、無事帰宅出来たという連絡が入った。明朝からは口うるさい母から離れてマイペースになるわけだし、私たちもこれまでの夫婦2人の静かな生活に戻る。

 こうして、明日から2015年の本格的な始動である。
 2人の患者仲間を相次いで失うという断腸の思いの幕開けになってしまった。
 こうして治療を続けながら生かされている私は、どんなに辛くても生きなければならないのだけれど、それでもこの別れ・・・たまらない。
コメント (16)
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