4日に旅立ったお友達のお別れの儀式に参列させて頂いた。
どれだけ沢山の方たちから彼女が慕われていたのか、愛されていたのか・・・。彼女を悼む方たちに接し、改めて思う式だった。
病室の引き戸を開けて一歩足を踏み入れると、アロマの柔らかな香りが漂い、無機質なリノリウムの廊下とは別世界。訪れる度に、ただでさえ色白な貴女が透けて見えるようになっていく、その辛さを感じて、ただただやるせなかった。
徹頭徹尾穏やかに淡々とされていたけれど、だからこそ、一体どれだけの葛藤があったのだろうと思うと、言葉が見つからない。
最後までどうしても言えなかった言葉がある。
それは「○○さん、本当にありがとう。貴女が大好きです。」だ。
昨日、お別れの席で、面と向かって言えなかったこの言葉を、何度も何度も、言ってきた。
貴女は私に「○○さん(お付き合いが始まって割と早くからファーストネームで呼んでくださっていたので、私もそれにならって○○さんと呼ばせて頂いていた。)の律儀な所が大好き」「○○さんに会いたい、○○さん禁断症状です!」などなど、本当に照れ臭くなるような言葉をとてもさりげなく、沢山沢山言ってくださっていたのに。
貴女はkeep in touchが苦手で、と書いておられたけれど、とんでもない。いつも絶妙なタイミングで、実に自然にこちらの琴線に触れ、心に寄り添う達人だったと思う。
世の中には、私のように単純に物事を受け取る人間だけではなく、本当に色々な考え方、感じ方をする方がおられる。だから、こんなことを書くと、また別の捉え方をされるかもしれないということを承知で書いている。
これは紛れもなく貴女との決して揺るがない大切な想い出だ。
「○○さん、本当にありがとう。貴女が大好きです。」
あの時、この言葉を言ってしまったら、次に会えなくなるような気がした。
だから、いつも笑顔(もちろん本当は泣きたかった)で「じゃあ、また○日にね」と手を握って部屋を出てきた。
そして、必ず「また」があることを信じていた。信じたかった。
メソメソだけはしなかった。それだけは自分に課していた。一番辛いのは他でもない貴女だ。その貴女を差し置いてこちらがメソメソしてどうなる、と。
先月28日夜、治療に集中したいので(4日のお見舞いはご遠慮したい)という連絡があってほどなくして、後追いでもう1通のメールが届いた。そこには「(次に来て頂くまで)ちょっと時間が空いてしまってとても淋しいのですが、もし急に何かあったら必ず連絡させてくださいね」とあった。
けれど、その連絡はなく、貴女は一人で静かに旅立ってしまった。
これまで何人ものお友達を見送ってきた。その都度、落ち込む私を実に絶妙なタイミングで励まし、上手に前を向かせてくれたのは他でもない貴女だった。
貴女の不在がボディブローのように効いてきている。こんなにダメージが大きいのに、これまで何度も励まし立ち上がらせてくれていた貴女はいないのだから。
「細く、長く、しぶとく」が私のモットーだ。体力も精神力もとても人並みのレベルではないので、せめてなんとか細々とでも・・・という私の処世術である。
「ダメダメ、○○さん、今年からは『太く、長く、しぶとく』よ!」タイ土産に長寿のシンボルだというパイソン柄のお揃いの小物をくださったのが、去年のお正月のこと。今日もバッグに入れて持ち歩いている。
その僅か一年後に太く短く、けれど実に豊かなその人生を終えてしまった貴女。
大好きだった綺麗なお花に囲まれ、柩の中の貴女は、口角をキュッとあげて、まるで素敵な夢を見ているかのようで、お人形さんのように綺麗なお顔だった。今にも「○○さん、ちょっとウトウトしちゃったわ、またお喋りしましょうよ」と、突然パッチリと目を開けてお茶目な瞳を輝かせそうな・・・。
ああ、やはりいくら書いても書き尽くせない。
猫目さん、今まで本当にありがとう。貴女が大好きです。直接言えなくて本当にごめんなさい。
これからもどうかよろしくお願いします。私がそちらに行く日まで、私なりに太く長くしぶとくやっていきたいと思います。
合掌。
今回、沢山の方たちからコメントを頂戴し、また、直接メールやLINEで暖かいお心遣いを頂きました。お心配おかけして申し訳ありませんでした。そして、どうもありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
どれだけ沢山の方たちから彼女が慕われていたのか、愛されていたのか・・・。彼女を悼む方たちに接し、改めて思う式だった。
病室の引き戸を開けて一歩足を踏み入れると、アロマの柔らかな香りが漂い、無機質なリノリウムの廊下とは別世界。訪れる度に、ただでさえ色白な貴女が透けて見えるようになっていく、その辛さを感じて、ただただやるせなかった。
徹頭徹尾穏やかに淡々とされていたけれど、だからこそ、一体どれだけの葛藤があったのだろうと思うと、言葉が見つからない。
最後までどうしても言えなかった言葉がある。
それは「○○さん、本当にありがとう。貴女が大好きです。」だ。
昨日、お別れの席で、面と向かって言えなかったこの言葉を、何度も何度も、言ってきた。
貴女は私に「○○さん(お付き合いが始まって割と早くからファーストネームで呼んでくださっていたので、私もそれにならって○○さんと呼ばせて頂いていた。)の律儀な所が大好き」「○○さんに会いたい、○○さん禁断症状です!」などなど、本当に照れ臭くなるような言葉をとてもさりげなく、沢山沢山言ってくださっていたのに。
貴女はkeep in touchが苦手で、と書いておられたけれど、とんでもない。いつも絶妙なタイミングで、実に自然にこちらの琴線に触れ、心に寄り添う達人だったと思う。
世の中には、私のように単純に物事を受け取る人間だけではなく、本当に色々な考え方、感じ方をする方がおられる。だから、こんなことを書くと、また別の捉え方をされるかもしれないということを承知で書いている。
これは紛れもなく貴女との決して揺るがない大切な想い出だ。
「○○さん、本当にありがとう。貴女が大好きです。」
あの時、この言葉を言ってしまったら、次に会えなくなるような気がした。
だから、いつも笑顔(もちろん本当は泣きたかった)で「じゃあ、また○日にね」と手を握って部屋を出てきた。
そして、必ず「また」があることを信じていた。信じたかった。
メソメソだけはしなかった。それだけは自分に課していた。一番辛いのは他でもない貴女だ。その貴女を差し置いてこちらがメソメソしてどうなる、と。
先月28日夜、治療に集中したいので(4日のお見舞いはご遠慮したい)という連絡があってほどなくして、後追いでもう1通のメールが届いた。そこには「(次に来て頂くまで)ちょっと時間が空いてしまってとても淋しいのですが、もし急に何かあったら必ず連絡させてくださいね」とあった。
けれど、その連絡はなく、貴女は一人で静かに旅立ってしまった。
これまで何人ものお友達を見送ってきた。その都度、落ち込む私を実に絶妙なタイミングで励まし、上手に前を向かせてくれたのは他でもない貴女だった。
貴女の不在がボディブローのように効いてきている。こんなにダメージが大きいのに、これまで何度も励まし立ち上がらせてくれていた貴女はいないのだから。
「細く、長く、しぶとく」が私のモットーだ。体力も精神力もとても人並みのレベルではないので、せめてなんとか細々とでも・・・という私の処世術である。
「ダメダメ、○○さん、今年からは『太く、長く、しぶとく』よ!」タイ土産に長寿のシンボルだというパイソン柄のお揃いの小物をくださったのが、去年のお正月のこと。今日もバッグに入れて持ち歩いている。
その僅か一年後に太く短く、けれど実に豊かなその人生を終えてしまった貴女。
大好きだった綺麗なお花に囲まれ、柩の中の貴女は、口角をキュッとあげて、まるで素敵な夢を見ているかのようで、お人形さんのように綺麗なお顔だった。今にも「○○さん、ちょっとウトウトしちゃったわ、またお喋りしましょうよ」と、突然パッチリと目を開けてお茶目な瞳を輝かせそうな・・・。
ああ、やはりいくら書いても書き尽くせない。
猫目さん、今まで本当にありがとう。貴女が大好きです。直接言えなくて本当にごめんなさい。
これからもどうかよろしくお願いします。私がそちらに行く日まで、私なりに太く長くしぶとくやっていきたいと思います。
合掌。
今回、沢山の方たちからコメントを頂戴し、また、直接メールやLINEで暖かいお心遣いを頂きました。お心配おかけして申し訳ありませんでした。そして、どうもありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。