いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

リマインダー・津波、あるいは、「住んではいけない」

2011年05月12日 20時31分01秒 | 仙台・竹雀・政宗
天災は忘れた頃にやってくる、とはよく言ったものだ。でも、激烈すぎるだろう死者三万人を天によんだリマインダー。
This is just a reminder that 住んではいけない.

何年前だったか仙台は開府400年を祝った。そして、再来年2013年は、慶長遣欧使節出発400年を寿ぐはずだった。

 (愚記事;2度負けた仙台

こういう前向きすぎる姿勢と根性を持っていたのでは、1611年の仙台慶長大津波を忘れ、400年祭をしたりはしない。

「津波(浪)」の語が文献に現れる最古の例は『駿府記』(作者不詳、慶長16年 - 元和元年)で、慶長16年10月28日(1611年12月2日)に発生した慶長三陸地震についての記述「政宗領所海涯人屋、波濤大漲来、悉流失す。溺死者五千人。世曰津浪云々」である  (愚記事;気づかずに挑戦者

この溺死者五千人の翌々年に支倉常長とソテロらを乗せた、サンファンバウティスタ号は出港したのだ(愚記事;大泉光一、『伊達政宗の密使』、あるいは王と坊主の同床異夢の野望の果てに ・サンファンバウティスタ号 -仙台参り2006⑤- )。

みんな、今年が、溺死者五千人の仙台慶長大津波から400年目の節目の年であることを忘れていたのだ。

天災は忘れた頃にやってくる。どういう意味だろう? 

忘れなければ、天災はやってこないのだろうか? もちろん、そうではない。忘れなければ、今回溺死した三万人のすくなからずが、津波にのまれなくてすんだであろうということだ。

やはり、歴史は大切だ。

そして、地理も大切だ。

地獄・被災地の中の"バラダイス"@政宗公の御座所の恩恵; 宮城刑務所

仙台の刑務所 受刑者は3食付くが看守は食事もままならない #1

地震の後、こんな記事をみつけた↑。つまり、仙台の街から太平洋と向かうと、荒浜という砂浜がある。そこには、震災のあと、数百の溺死体が打ち上げられた。流れついたのであろう。その屍集積地からわずかの距離にあったのが宮城刑務所。上記記事で言及されている刑務所だ。この刑務所には津波は到達しなかった。なぜか?それは、政宗が溺死者五千人の仙台慶長大津波の経験を踏まえて、津波の来ない場所に城をつくったからだ。若林城。隠居のために。

・1627年 仙台藩祖・伊達政宗が若林城を築く。
・1878年 警視庁が伊達家から古城の土地を買い上げる。
wiki

地獄・被災地の中の"バラダイス"@政宗公の菩提寺; 瑞巌寺

松島の瑞巌寺も、津波の被害を受けなかった。海岸の距離は近いが、高い場所にあるからだ。松島には高台があるのだ。松島タワーに登らなくても、天然の展望台があるのだ。これはわずかな松島マニア&尊皇家しかしらない(愚記事;・むつひとさんが見た風景  ・仙台参り 【2007】 松島)。でも、この光景が津波にのみこまれたと思うと絶句である。どうか、成仏してください。

戦国の梟雄(きょうゆう)が、高々、津波ごときを被るわけがないのだ。

この宮城刑務所―瑞巌寺ラインは以下のごとき(図中の薄赤く塗った地域が津波浸水領域);



▼今夜のレクイエム; watch your step!を怠った仙台住居歴ありの専門バカ、理学部教授の地理・歴史知らずの悲しさにおもいを寄せましょう;

今夜の御用学者へのレクイエム


#1
仙台の刑務所 受刑者は3食付くが看守は食事もままならない
NEWSポストセブン
2011年04月02日07時00分
提供:NEWSポストセブン


 200人以上の遺体が発見された仙台・若林区の荒浜海岸から5kmほどの場所に宮城刑務所・仙台拘置支所がある。この震災で、塀の中はどうなっていたのか。

 刑務所庶務課の担当者はこう説明する。

「建物が倒壊して受刑者が逃亡し、社会不安が広がることのないよう頑丈に作られているので、ここら一帯では一番安全な場所といっていい。津波の浸水も建物損壊もほとんどありませんでした」

 若林区の避難所では大勢の人が寒さに耐え、ままならない物資補給のため、わずかな食料で耐乏生活を強いられている。そこで気になるのが、受刑者たちの食生活だ。

「所内にはコメや市販の食料品など大量の備蓄がありますので、通常時と変わりなく、栄養バランスが偏らないように気を遣ったメニューを提供しています。毎日きっちり3食出していますよ」(同前)

 法務省の規定によると、受刑者は性別や日々の作業量に応じて、1日1100~1700kcalになるようメニューが設定されている。宗教上の理由や食習慣を考慮した個別メニューまである。また、所内は暖房も利いていたというから、周辺の避難所に比べるとまさに天国だ。

 ここまで説明した後に担当者は苦笑いを浮かべる。

「刑務官は受刑者用の備蓄食品を食べるわけにはいきません。物資不足ですので、食事もろくにとれないまま、余震の警戒のために、震災当日からほとんど休みなしで働いている状態です」

 そして納得いかなそうな表情でこう続ける。「毎日ではありませんが、受刑者は衛生面を考えてきちんと風呂にも入っています。一方、刑務官の中には、自宅の断水で髭を剃ることもできず、伸ばし放題で勤務についている者がおります……」(同前)

※週刊ポスト2011年4月8日号









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