いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

2011年回顧

2011年12月29日 17時28分33秒 | プロフィール

■2011年回顧 ―キチガイ篇―

【1月】

1/9の記事、小谷野敦さんに関する思いつきメモ、を猫々センセにいじっていただいて、1502 IPを記録。そして、何よりうれしかったのが「キチガイ」の称号。"多分"と留保されているのが、少し残念。 そして、おいらのキチガイずんせい・2011年篇が始まった。

【3月】

ブログのいい点は実況報告性。地震前に書いといてよかった。
私はもっと崩れろ、もっと崩れろ、と念じられずにはいられない。

夷(えびす)を焼く弾(たま);焼夷弾。 炎に焼かれ、水に溺れ、風に飛ばされる、ぬんげんたちの運命を、キチガイなので、いつも考える。

 3.10, 1945, Tokyo

そして、3.11;

おいらの部屋もちょっぴり崩れた。 愚記事; 筑波山麓で受けたM8.8の地の波の結果について、おいらの見たこと

今回日本で崩れたものをカテゴリー分けすると;

1.天災で直接崩れたもの、
2.原発、
3.そして、日本の政府などえすたぶりっしゅめんと層( 愚記事;泣いたり、入院したりすれば済むと思っている

3は別に今回震災で崩れたわけでもなく、そもそも前から腐っていたという真実が露わになったのだ。特に、科学者の安全デマには大嗤い。

"御用学者"考、あるいは、遊ぶ金欲しさ、そして、ぼくたちの"おもちゃ"は危なくないんだぞ!

地震で壊れたもの II; 硝子細工、あるいは、悪意なき"悪行"のもたらすものは...続、「御用」学者考

「基礎」物理学者原発認識あれこれ;あるいは、物理帝国主義と科学技術バブルの完全終焉、そして残党は..

・ わらっちゃうこと、露わになること;そして、「猫400号」は不死身だ。

「何て、土人の国なんだ」

一方、大新聞のデマもすごかった;(避難なぞせずに) 「冷静に事態を見守ろう」、がんばれ東電


堂々たる狂人宣言

今年出版された本で、野依大尊師の『事実は真実の敵なり』がある。内容は2008年の日本経済新聞における私の履歴書である。ただ、今年単行本化するにあたり、キチガイ宣言を、野依大尊師は、なされたのだ。『事実は真実の敵なり』!

事実は、  真実の、なり!

『事実は真実の敵なり』とは、野暮な解説をするまでもなく、ドンキホーテの言葉だ (google) 。ドンキホーテは、もちろん、狂人(キチガイ)物語である。騎士道の「理念」でもって、「事実」を、すべて当人の都合にあわせて、騎士道物語を生きるのだ。例えば、風車(事実)が敵である巨人(真実)に見える。

今回の原発事故を過少評価の方向へ判断した科学者たちこそ、真実(原発はメルトダウンはしないし、放射性物質も大量に撒き散らかさない)という理念=自分の夢で、「事実」(愚記事;福島第一原発から放出された放射能が 77京ベクレル になった)に向かい合うことができなかったのだ。まさに、『事実は真実の敵なり』!

さて、野依大尊師は今年晩秋、ある講演会で、政府ダメ!、大学ダメ!、産業界ダメ!、ぬっぽんみんなダメ!これを化学(ひいては科学)で克服しよう!みたい演説をぶったそうだ(口さがない京童からの伝聞)。そうなのだ、野依大尊師は果てしない、騎士道物語ならぬ科学物語の夢でこのまぬけなぬっぽんの科学状況(⇒日本総体の科学技術水準はそれほど高くない)をぐちったらしいのだ。

「一番憎むべき狂気とは, あるがままの人生に折り合いをつけて, あるべき姿のために戦わないことだ。」(ラマンチャの男)なのだろう。 がんばっている、野依大尊師。

   

■ 事実は真実の敵なり、again

    
あるがままのぬっぽん           あるべき姿のぬっぽん

 

【5月】 ◆スペイン参り  <コルドバ>


 ― クワダル・キビール川、コルドバ ―

今年、生まれて3度目のスペイン参り。ありがとう、おいらの運命。

コルドバに行く(愚記事;スペイン行った、2011)。

コルドバをも流れるクワダル・キビール川の源流に天本英世さんの遺骨は散(ま)かれたらしい(google)。

おいらが自分の中にキチガイが入った瞬間のことを覚えている。10歳くらいの頃の夜。映画『日本のいちばん長い日』(wiki)を見ていた最中だ。

それは、停戦に反対し、本土決戦を実行しようとする職業軍人と"唆(そそのか)された"学生たちの決起シーン。この佐々木大尉を演じているのが、天本英世。

おいらはこの映像に衝撃を受け、以来キチガイがおいらの中に棲むようになったと思う。

決して他人には言わなかったが、小さいころから、おいらは日本は本土決戦をしなかったからダメになったんだと思っていた。断固、本土決戦をするべきだった!と、ソファーで綿あめをほおばりながら、考えていたのだ。そして、本土決戦で日本人が屍だけを残している光景を妄想していた。もちろん、おいらは敗戦後20年以上経って生まれたのではあるが、こういう観念に憑(と)り付かれていた。 今、このブログで生まれて初めて言った。 これが匿名性の利点。卑怯者のキモイ告白。

このことをずーっと他人には言えなかった(他人に言うととキチガイ扱いで収監されちゃう気がしていた)。ただ、のちに、村上龍の「五分後の世界」(wiki)などが発表され、おいらのこの"妄想"はおいらだけの「びょーき」ではないのではないかとわかってきた。最近は;

全滅すればよかったということを、孫引き、ひ孫引きしながら長谷川三千子センセは書く;  なかで、もっとも感心したのは児玉誉士夫の話で、米軍が日本に侵攻してきた時に日本人はみんな死んでいて焦土にひゅうひゅうと風が吹き渡っているのを見たら連中はどうおもっただろう(笑)、と発言して、ああいいことをいうなと僕は感心して聞きましたと吉本隆明の文章を引用している。 最近は;(愚記事;極右、あるいは偽毛唐、そして何より、狂気

と長谷川三千子センセも言っていることに気付き、30年前に言っていてくれたら、自分のキチガイにそれほど悩むこともなかったんだべ、と思う。

◆ スペイン参り  <アルカラ・デ・エレーナス>

アルカラ・デ・エナーレス(wiki)はマドリッドから近郊電車で40分ほど。『英知あふれる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』の作者セルバンテスの生まれた街。当時から大学がある。スペイン典型のギリシア語-アラビア語-ラテン語相互関係の文明的成果なんだろう。12-15世紀には、「大司教の館を中心に、キリスト教徒街、ユダヤ人街、アラブ人街が形成された」。トレドと同じだ(愚記事; 十二世紀のスペインは、まさに学者の楽園だった)。大学の展示にはギリシア語-アラビア語-ラテン語が並んだ本があった。セルバンテスの生家は観光名所で、人がたくさん。でも、おいらは到着が夕方で間に合わず、中に入れなかった。

■2011年回顧 ―death valley篇―

・今年はプロジェクト決算の年。昨年末から今年年明けがいちばんきつかった。すなわち、夏前にひと成果を挙げて、このプロジェクトを次年度も新生プロジェクトとして継続させることが会社さまの意向であったからだ。もし、ひと成果挙げられなければ、R&Dはバイトまかせの会社さまは何ら困ることなくこのプロジェクトが解散し、おいらどもは路頭に放り出るだけである。

ひと成果とは、・<役に立つこと> ・<お金になること> ・において実を挙げることであり、それがひいてはおいらの<職にありつけること>につながるのだ。これだ↓;

:::今年はある課題がある。今年の課題というより、3年のプロジェクトの総決算課題。その課題を達成して、「大きく強くする」 (愚記事⇒ 今日の看猫 20091210)ことができれば、1回で高給車1台分の価値がある製品できる。正確には、ある買い手が、その「大きくて強い」製品ができれば、高給車1台分の値段で買いますよ、と2010年末に言った。言った当人も、まさかそんな急にできることもないだろうから、高給車1台分の値段で買いますよ、と大きく言ったのかもしれない。それをうけて<ブルジョアさま>が、「おまい(⇒いか@バイト)、やれ!」と命じているのだ。 (愚記事;おいらの任務。その「大きくて強い」製品を作る技術開発。):::

結論を言ううと、何だかうまくいった。理屈はよくわからないのだが、技術は開発できた。いきあたりばったりやったら、できた。 あの3.11の大震災の時にはむしろ峠を越えてひと段落といった状態だった。もし、3.11でも技術開発が達成されていなかったら、震災処理と技術開発の両立はできなかったであろう。ありがとう!偶然。ありがとう!おいらの行き当たりばったり力!

愚記事; 来週の面接は"後ろ"の方。<灘高>→<東大>→<メーカー筆頭研究者>という経歴のお偉いさまとのお見合いだ。

書いた。 Writing is the best Revenge;

特許2つ、論文3つ。特許の方が少なくてごめんなさい、ブルジョアさま。

■2011年回顧 ―アートシーン(笑い)篇―

・  想像されたものと出来(しゅったい)したもの; あるいは、「死の勝利」

サン・フェルナンド王立美術アカデミーのスルバランブース。

プラド美術館のベラスケス門は、夜開く...    

磯江毅=グスタボ・イソエ 「マドリード・リアリズムの異才」のため練馬に行く

アムステルダム、ゴッホ美術館に行った。

「榎戸庄衛展」・茨城県つくば美術館

A piece from Tehran; ジャクソン・ポロック展   

 

■2011年回顧 ―微熱 篇―

昨年は、ハイデガー熱が出た。その後ずっとちびちび読み続けている。それで、今年はスピノザ微熱だ。

 「人 の心を励まして強めるどころか、それを打ちくじく術に長けたこうしたひとびとは〔他のひとびとにとって不快なだけでなく〕自分でも自分がいやでならないの だ。そういうわけで、多くの者たちが〔性急さや誤った宗教熱から〕人間のあいだより獣たちのあいだで生きる道を選んだのである。それはちょうど、親の叱責 を平静な心で耐えることのできない少年や青年たちが、逃避して軍隊にはいり、家庭的にはいり、家庭的な幸福や父親の忠告より戦争の苦難や暴力の権力を選ん で、ただ両親に復讐したいがためにどんな労苦も甘んじて受けるのにも似ている」。 

とおいらが17歳に買った本には書いてあったのだ。今年、気付いた。やはり、本は読むべきなのだ。

愚記事; スピノザ、 意志の自由、 ルサンチマン