いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

なぜ、博士は産業界から忌避されるのか? 序説以前のデータ収集

2010年09月09日 05時39分13秒 | 日本事情

― 台風(→熱帯低気圧)一過の朝;狂い咲くあさがおたち。 欲しいものは水でした ―


― 台風(→熱帯低気圧)一過の朝;受難の稲穂たち。して欲しかったことは事前の稲刈りでした。 ―

なぜ、博士は産業界から忌避されるのか? 序説以前のデータ収集



pdf; イノベーションを担う民間企業における研究開発の現状


キーワードは「グループワーク」です。(中略、グループワーク重視のある組織をほめそやす内容)
 逆に、個人技として専門性を高めるという道はとてもまずいんです。理科系のオーバードクターをどんどん企業に採用してもらおうという「ポスドク」のプログラムがありますが、実は企業としては「ノーサンキュー」です(笑い)。確かに専門性はあるんだけれど、グループワークができず、他分野に貼り付けたとたんに融通が利かなくなるんですね。
 先進各国でポスドクが評価されるのは、ドクター資格によって表象される専門性が、グループワークの能力を含んでいるからです。つまり「その専門分野についての知識」というより、「どんな分野であれ短期間にグループワークを通じてアウトプットを出す能力」を示すのがドクター資格です。日本は大学がトンチキで、そうした対応ができていない。
 宮台真司 et.al.,『格差社会という不幸』


理系研究者では、分野によってはティームによる共同作業が多い。でも上記の一般社会が求める"グループワーク"と決定的に違う点がある。研究者は論文という形で業績を残さなければならない。なので、結果・業績が誰に帰属するか常にピリピリ神経を使う。いつも名前が自動的に載る大ボスなら関係ないが、研究ポストへの就職にしのぎを削る若手研究者は競争に煽られて、オーサーに載せる、載せない、そして筆頭かどうかでピリピリさせられている。さらに、研究者たちは悪気ではなく、むしろ善意から、自分の仕事と他人の仕事を峻別しているので、侵さず・侵されずという気分で、同じラボ内での研究者と折り合ってすごしている。心底相手のために何か役に立つことをしてあげようと気分にはなりにくい。一歩間違えると、大きなお世話になる。超個人主義の研究稼業は、個人は上位の目的への手段であるという会社・一般社会の気分とは原理的に異なる。これはいい悪いの問題ではなく、違うという事実確認。

つまり、研究者は、一般社会での"グループワーク"を行うマインドが育つ環境にない。まさに、我利我利の"個人技として自己業績を高める"。これを何年もやっていると一般社会に"復帰"できる社会性が大きく損なわれる。そういう人格○○者でも大学や旧国研などにパーマネントポストが見つかり、一生"お国"に面倒みてもらえれば、幸せだ。さもなければ、......。

■国際学会にいくとバンケットなんかで、欧米の若手研究者は、今後の展開について、「academy or industry」と普通に話し合っている。実際、みただよ。この背景には欧米ではacademy と industryに共通基盤があることがひとつの理由だとおもわれる。日本はacademy と industryのギャップが激しいのだろう。

■ここ1-2年はみないけれど、2005年あたりのポスドク問題のネット上の議論で"企業は博士を使いこなせない!"とか"所詮マスター出の技術水準だから日本企業はグローバリゼーションに乗り遅れるんだ!"とか飛び交っていた。博士サマ、アカデミアさまのご意見だったのだろうか? なぜかしら最近は消沈した。

でも、公然と主張している大センセはいる;



岸 輝雄 氏「世界トップレベルの材料研究拠点を」

▼いか@の質問;「世界トップレベルの材料研究拠点を」ってがんばってほしいけど、物材研、あるいは旧金材研や旧無機材研から由来した材料や技術の中で、産業化して、売上が膨大で、ひいては政府の税収となり、つまりは旧金材研や旧無機材研が使った資金(当然、税金)のいくばくかでも回収した、という事例はあるのですか?