いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

踊らされる雑民なおいら; チェブラーシカ・キャンペーン

2010年09月12日 17時44分22秒 | 欧州紀行、事情


ローソン・チェブラーシカ  キャンペーン

明日13日まで。2個買うと、クリアファイルがもらえる(たぶん原価3円くらい)。

おいらが買ったのはポテチとキャラメルコーン(計210円)。メーカーはブルボンと東ハトにまたがっている。

中身も"特注"品で、キャラメルコーンはオレンジ味。なぜオレンジ味かっていうと、チェブラーシカのふるさとの南の国つながりということなのだろう。ポテチの方はボルシチ風サワークリーム味。両者とも、工場で特別バッチを敢行したのだろうか?

ちなみに、チェブラーシカは旧ソ連時代のアニメキャラで、ロシアで今となっては全く重要視されていない(らしい)。日本人だけらしい、ありがたがっているのは。

  

毎週、ロシアかぼちゃの画像を撮っています; 15週目

2010年09月11日 08時17分53秒 | 筑波山麓

ロシアかぼちゃ、なかなかしぶとく花を咲かせています。
でも、既に三株死にました。

↓最近咲いているのはニラくらいです。


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ひとんちのあさがお群;

なぜ、博士は産業界から忌避されるのか? 序説以前のデータ収集

2010年09月09日 05時39分13秒 | 日本事情

― 台風(→熱帯低気圧)一過の朝;狂い咲くあさがおたち。 欲しいものは水でした ―


― 台風(→熱帯低気圧)一過の朝;受難の稲穂たち。して欲しかったことは事前の稲刈りでした。 ―

なぜ、博士は産業界から忌避されるのか? 序説以前のデータ収集



pdf; イノベーションを担う民間企業における研究開発の現状


キーワードは「グループワーク」です。(中略、グループワーク重視のある組織をほめそやす内容)
 逆に、個人技として専門性を高めるという道はとてもまずいんです。理科系のオーバードクターをどんどん企業に採用してもらおうという「ポスドク」のプログラムがありますが、実は企業としては「ノーサンキュー」です(笑い)。確かに専門性はあるんだけれど、グループワークができず、他分野に貼り付けたとたんに融通が利かなくなるんですね。
 先進各国でポスドクが評価されるのは、ドクター資格によって表象される専門性が、グループワークの能力を含んでいるからです。つまり「その専門分野についての知識」というより、「どんな分野であれ短期間にグループワークを通じてアウトプットを出す能力」を示すのがドクター資格です。日本は大学がトンチキで、そうした対応ができていない。
 宮台真司 et.al.,『格差社会という不幸』


理系研究者では、分野によってはティームによる共同作業が多い。でも上記の一般社会が求める"グループワーク"と決定的に違う点がある。研究者は論文という形で業績を残さなければならない。なので、結果・業績が誰に帰属するか常にピリピリ神経を使う。いつも名前が自動的に載る大ボスなら関係ないが、研究ポストへの就職にしのぎを削る若手研究者は競争に煽られて、オーサーに載せる、載せない、そして筆頭かどうかでピリピリさせられている。さらに、研究者たちは悪気ではなく、むしろ善意から、自分の仕事と他人の仕事を峻別しているので、侵さず・侵されずという気分で、同じラボ内での研究者と折り合ってすごしている。心底相手のために何か役に立つことをしてあげようと気分にはなりにくい。一歩間違えると、大きなお世話になる。超個人主義の研究稼業は、個人は上位の目的への手段であるという会社・一般社会の気分とは原理的に異なる。これはいい悪いの問題ではなく、違うという事実確認。

つまり、研究者は、一般社会での"グループワーク"を行うマインドが育つ環境にない。まさに、我利我利の"個人技として自己業績を高める"。これを何年もやっていると一般社会に"復帰"できる社会性が大きく損なわれる。そういう人格○○者でも大学や旧国研などにパーマネントポストが見つかり、一生"お国"に面倒みてもらえれば、幸せだ。さもなければ、......。

■国際学会にいくとバンケットなんかで、欧米の若手研究者は、今後の展開について、「academy or industry」と普通に話し合っている。実際、みただよ。この背景には欧米ではacademy と industryに共通基盤があることがひとつの理由だとおもわれる。日本はacademy と industryのギャップが激しいのだろう。

■ここ1-2年はみないけれど、2005年あたりのポスドク問題のネット上の議論で"企業は博士を使いこなせない!"とか"所詮マスター出の技術水準だから日本企業はグローバリゼーションに乗り遅れるんだ!"とか飛び交っていた。博士サマ、アカデミアさまのご意見だったのだろうか? なぜかしら最近は消沈した。

でも、公然と主張している大センセはいる;



岸 輝雄 氏「世界トップレベルの材料研究拠点を」

▼いか@の質問;「世界トップレベルの材料研究拠点を」ってがんばってほしいけど、物材研、あるいは旧金材研や旧無機材研から由来した材料や技術の中で、産業化して、売上が膨大で、ひいては政府の税収となり、つまりは旧金材研や旧無機材研が使った資金(当然、税金)のいくばくかでも回収した、という事例はあるのですか? 






今日の看猫 2010/9/7

2010年09月07日 05時50分37秒 | ねこ


米国のESTA(電子渡航認証システム)無料は今日まで!

先日、米国のESTA(電子渡航認証システム)にインターネット申請した。すぐ渡航認証が発行された。この晩秋、6年ぶりに、に米国に行きそうだし、このESTAが9/8から有料化されるらしいので。

インターネット申請では、 アメリカに含むところがありますか?とかいう質問はなかった。よかった。 テロリストですか?とかの問いはあった。ボケることなく小心翼々と、いいえ、☑、と答えた。

か?

米ESTAが9月に有料化、取得料は14米ドルに-支払いはクレジットカード

■この先2年間、米国に行きそうな人は登録したらいいですよ。ネットで簡単にできて、2年間有効の渡航認証番号が発行されます。ネット画面上に出ますので、忘れずメモ or 印刷。必要なのはパスポート情報のみ。

申請サイトは⇒こちら

今夜、龍馬が人殺す、あるいは、人殺し、人に殺されるII

2010年09月05日 08時50分10秒 | 日本事情

■おいらはねたみ・ひがみ・そねみであふれている。歴史上の偉い人で、かつ、昨今の人気者の御仁が、実は、人殺しだったり、ペテン師だったりすることを叫ぶと、豚のように幸福にぐっすり眠ることができる。連続する熱帯夜でさえ、ぐっすり眠ることができる。

   ・第一弾;人殺し、人に殺されるI、人殺しの伊藤君、人に殺される;


    
- revolverをもったrevolutionist -

■今夜の大河妄想ドラマで龍馬は人を殺す。 予告でやっていた。薩長同盟の成立を受けて、幕府の伏見代官所の捕り者担当者たちは龍馬は捕捉しようとした。別に龍馬を殺そうとしたわけでない。龍馬は"ピストル"で応戦。伏見代官所の捕り者担当者が二人殺されたとされる。

■ちょっとネットで調べただけでは、この哀れな二人の"幕末のおまわりさん"の氏名や素性はわからなかった。かわいそうなふたり。誇大に美化された英雄サマの影になんらかえりみられない、歴史の中の"廃棄物"。

「伏見代官所の捕り者担当者が二人殺されたとされる」という根拠は、おいらは、つかめていない。でも龍馬自身の供述があった;

―折から、かねてお聞きに入れし婦人 -名は龍、今妻といたしおり候- 勝手より走(は)せ来り云うよう、御用心なさるべし、はからずの敵のおそい来りしなり、槍持ちたる人数は、はしごだんをのぼりしなりと、夫(それ)より私も立ち上がり、袴きんと思いしに、次の間に起き候、そのまま大小さし、六発込みの手筒を取りてうしろなる腰かけによる、敵の十人ばかりも槍もちたる、一番右の方を初めとして、一つ打ちたり、と思うにその敵は退きたり、よく敵の胸を見込て打ちしに、その敵は、丸(たま)にあたりしと見えて、ただねたおれるように前にはらばうようにたおれたり、この時筒の玉こめんとて、六発銃の(下記図参照)このようなもの取り外し、...(中略)はしごだんを下りてみれば、敵はただ家の店の方ばかりを守りて進むものなし―



この龍馬の"供述"は、兄にあてた手紙だそうだ。出典は小西四朗、『日本の歴史19、開国と攘夷』(中央公論社)、1966年、からの孫引き。

■"今夜、龍馬が人殺す"の演出について;
 龍馬は、鉄砲で2人殺したという記録が残っていますが、刀では誰も斬(き)っていないと言われています。それを信じるとすると、誰も斬らずに脱出しなくてはいけないという難しさがあります。大河ドラマ『龍馬伝』、寺田屋・龍馬暗殺へのプレリュード (現在リンク切れ)


上記手紙から考えるに、代官所の役人たちは単筒にびびって遠巻きにしてたってことかなぁ。予告を見ると福ちゃんが幕府の役人を人質に逃げている。それにしても"寺田屋騒動でもう1人欠かせないのはお龍(真木よう子)ですよね。龍馬のことを、文字通りカラダを張って守ろうとします。"とか、みんなで楽しんじゃって。殺された哀れな二人の"幕末のおまわりさん"の呪いで不幸になればいぃんだとおもう。

■最上の画像は龍馬のお尋ね者人相書き。ネット上でひろった。以前、愚ブログでもこんな画像を紹介した⇒幕末のお尋ね者。西郷、高杉そして平野次郎(国臣wiki)。その平野の位置に龍馬が収まっているのがこの手配書。本物なのだろうか?後世に作ったものではないのだろうか?もし本物だとすると幕末のその時代から、龍馬は西郷並みの大物扱いだったことになる。


幕末のホリエモン;いかサマペテン師としての龍馬

龍馬って、グローバリゼーションとやらに便乗して、国内慣習を脱"法"してのし上がった"幕末のホリエモン"じゃないか! なぜなら、例のいろは丸事件では、積んでもいない金塊を積んであったとはったりをかまして、万国公法とやらを盾に、紀州藩から賠償金を巻きあげた。

こういうチンピラまがいの行為は 妄想 ドラマでの"盟友"も同様;

最初に弥太郎が巨利を得るのは、維新政府が樹立され全国統一貨幣制度に乗り出した時のことで、各藩が発行していた藩札を新政府が買い上げることを事前にキャッチした弥太郎は、十万両の資金を都合して藩札を大量に買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得る。この情報を流したのは新政府の高官となっていた後藤象二郎であり、今でいうインサイダー取引である。弥太郎は最初から政商として暗躍した。 wiki ⇒詳細;愚記事・パーリアのスティグマ


ペテン師たち →ペテン師の末裔どもの口先処世術
←弱関連愚記事;丸の内サディスティクス

▼ 歴史上のことに現代の価値観や視線でものをいうな!という意見がある。実は、本質的な意味でおいらもそうおもう。でも、問題なのは、現在の価値観を持ち込めない歴史をフィクション化して現代に持ち込んで、あまつさえ、歴史上の人物に感情移入して、それを以って現状に対処する元気づけにしている人々である。龍馬バカの面々。別名、ゼヨ馬鹿。「歴史上のことに現代の価値観や視線でものをいうな!」という言う人のなかで、この問題のある根拠に無批判に漬かっているひとが多い。

○龍馬バカの典型はこれだよね⇒龍馬脳 (人生が驚くほど変わる 龍馬脳のススメ) ←絶対、驚くほど脳ミソがお花畑だょ。もっとも、人殺しもいいぜよ!それが龍馬脳ぜよ!、龍馬脳で脱税だぜよ!とか言ってくれたら、尊敬する。

▼なぜ人を殺してはいけないのか?という問いがある。常識人ほど、そういうことを問うこと自体が愚かという態度をとる。そうか?「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いを、この龍馬の事件を材料に討議してみろよ、常識人の龍馬マニアたち。

▼もっとも、歴史を現在に持ち込んで、自動小銃乱射、手榴弾で自爆の御仁続出ってのも { 困る?/にこにこできる?}


 幕末なんてたかが百年ちょっと前の時代である。繰り返すが、そこでは主体的な確信のみを頼りに暴発する見切り発車的「覇気」はまったくの当たり前の前提だった。その手の「覇気」にかんする限り、西郷や大久保や桂はもちろん、天誅組や赤報隊や彰義隊や白虎隊や水戸天狗党 etc....などのいわゆる負け組(中略)ですら目が眩むほど素晴らしい。あいつらとわれわれは本当に同じホモサピエンスか。近現代人たるわれわれはどうしてしまったのか。情けないことこの上ない。石川忠司、『衆生の倫理』 (amazon)

こういう視点から考えると、「暴発覇気の歴史」をお手軽なホームドラマにしているのが「近現代人」ってことね。


毎週、ロシアかぼちゃの画像を撮っています; 14週目

2010年09月04日 05時58分12秒 | 筑波山麓

ロシアかぼちゃは、実らず、枯れず、といった状態です。


↓ピーマン;酷暑に耐えています。ズッキーニは実らず死んで行きました。


↓播かれ待ちの面々;参考web情報 Google; 国華園  サカタ  比較


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This happens once before, 余計者たちの叛乱

2010年09月02日 04時15分07秒 | その他

 ―筑波山麓は昨日から新学期―

余計者による、余計者たちにかんするメモ;

■"余剰学士"ってgoogleで引いてもないね (←ってか、おいらのこの記事が冒頭にきちまったょ)。大卒の2割が行き先なしというのに。"余剰博士"は検索でいっぱい出てくる。

■最近、"ハイデガーとその時代"関連の本をみている。ナチス台頭の直前の時代状況の描写が面白い。小泉改革の雰囲気、あるいは今のネオリベ残党に似ている。参考愚記事; 小泉さんを支持したのは「精神の貴族」なのか?あるいは「紅衛兵」なのか?

「保守的革命家たち」は、貴族階級によって国家行政の重要ポストから追い払われたブルジョアか、高学歴を持っているせいで強くなる上昇願望の中で欲求不満を感じているプチブルである。彼らは、「精神的ルネサンス」とか「魂の革命」としての「ドイツ革命」とかの中に、自分たちの矛盾した期待の解決策を発見する。国民の構造を革新することなしに国民を「再活性化するような」「精神的革命」のおかげで、この現実的ないし潜在的な落伍者は、社会秩序の中で或る特権的地位を維持したいという自分の欲望と、自分にその地位を拒んでいる秩序に対する反逆とを調停できるようになり、同時に、自分たちを排除しているブルジョアジーに対する敵意と、プロレタリアに対して自分たちが際立つための価値すべてを脅かす社会主義革命への反発とを、調停できるようになるのである。 
ブルデュー、『ハイデガーの政治的存在論』

↓現状語意訳

「ネトウヨ」たちは、正社員サマによって社会の安楽席から追い出された大学出ても就職できなかったバイト・フリーターか、あるいは高学歴を持っているせいで強くなる上昇願望の中で欲求不満を感じている余剰博士ら高学歴ワーキングプアーである。彼らは、「正社員の解雇解禁、タダ乗り正社員をクビにせよ!」とか「自由な競争」としての「同一労働同一賃金」、「労働市場の完全自由化」とかの中に、自分たちの矛盾した期待の解決策を発見する。日本社会の構造改革をなすこと、日本を再生、立ち上がらせることを叫ぶことにより、現実の社会では落伍者であり負け犬である彼らは、「改革者」あるいは「日本を変えよう」という志をもった特権的地位を占めることができる。同時に彼らは、民主党が嫌いである。なぜなら、子ども手当や社会的弱者保護の福祉を行うからだ。現実の社会では落伍者である彼らは、「日本を変えよう」という志を持っているので、他人に対するものにせよ施しが嫌いなのだ。つまり、社会的落伍者でありながら施しを拒否することで、その傷ついた自己愛から生じる葛藤をうまくやりすごしているのである。

余計者; 社会の文字通りの廃棄物 

 ケープ・コロニーに集ってきた余計者、(中略) 彼らが無頼の徒として寄り集まったのは彼ら自身の決断によるものではなかった。彼らは市民社会が窮屈すぎるといって自分から飛び出したのではなく、市民社会から吐き捨てられたのである。彼らはこの社会の文字通りの廃棄物だった。認められた限界を彼らに踏み越えさせたのは彼らの冒険心ではなく、彼らの存在と労働力の不必要であって、彼らはその犠牲だった。
アーレント、『全体主義の起源』

この描写はファシズム時代のものではない。ただし、アーレントが"モッブ"という人間類型を彫琢したいので、南アフリカへの侵略など大英帝国における事実や人物をモデルにして、あるいはキプリングやコンラッドの小説を使って、「モッブ」概念を鋳造した。「モッブ」はファシズムを担う人間のモデル。

さすが、ハイデガーのチ○ポしゃぶっていただけあって[要出典!]、ファシストに対するデータベースは豊富で、そして、彼らに対する認識は鋭いんだろうか?あるいは、「彼は冒険心から不倫の愛に走ったのではなく、家庭で妻に性交を拒否された文字通りの家庭内性愛からの廃棄物だったのだ」といってくれればニコニコできる。

●余計者たちは社会から返事をもらうことはできない。それが現実である。

The Beatles - "No Reply"

そして、次の曲は、I'm a looserだ! 
職がない(=全然自分の労働力商品が売れない)あなたのために、その昔、売れすぎちゃったbeatles for sale を!

++はじめに余計者たちがいたんだよ++

はじめにEXCESがあった。