いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

今日の看猫 2010/9/28

2010年09月28日 13時42分35秒 | ねこ


紫衣うめちゃん(もちろん勅許なし)。

小室直樹が死んだ。

"夜店"とか"本店"(含む、週刊プレイボーイ人生相談)とか"私塾"とか、さらには"家庭教師"とか、"公然活動"、"非公然活動"あわせて"多彩"な御仁だったらしい。

おいらは、1980年代前半、つまりは四六時中勃起していたリビドー最盛期に、知った。TV番組、「トゥナイト」。当然、おねぇーちゃんのおっぱいやお尻目当てで見ていた。でも、司会者は、「小林秀雄が死にました」とか、世界が終ったかの言動を弄するし、はたまた、四畳半に住む"キチガイ"学者の画像も"垂れ流し"ていた。今のようにネットなぞない時代で、情報に飢えたリビドー餓鬼んちょのおいら。

その四畳半に住む"キチガイ"学者こそ、小室直樹であった。おいらはみただよ、いまでは、wikiで、語り草になる""小室の家を訪問リポートした。四畳半アパート

一方、私塾の弟子は多いらしい。橋爪大三郎・宮台真司・副島隆彦らがいる(wiki、同上)。小室ファミリー!

・今回、おいらが初めて認識したのが、一時期、小室は、"高田保馬-森嶋通夫"圏内にいたこと。丸山眞男との縁は知っていた。かの中川八洋センセも丸山眞男には縁があるので、驚くにあたらない。もっとも、小室が会津⇒京大、つまりは会津小鉄一派だったとは知らんかった。龍馬を殺したのも案外小室直樹かもよ。

・今思うに、小室直樹さんはどのように偉かったのだろうか?
1980年代に日本は米国の属国であると言明していた。でも、その語句たるや"米衛隊"とか江藤淳の造語の"パクリ"だった。

・今思うに(2度目)、小室直樹さんは、日常行動が奇抜だけど偉大なる学習者(ガッコ秀才)であり、非凡さに複雑な気持ちを持たざるをえない「タダの秀才ちゃんたち」(@but 知的好奇心あふれる)の喝采を受けていたということではないのだろうか?

・もちろん、小室さんや"弟子たち"は、"学問"によるこの世の掌握を目指していたのだろう。ただ、学問は専門化しているのでその総合化は難しいという古くて今も解決されていないあの問題に陥る。おためごかしとしての相関社会科学!一方、勉強したって世の中を把握できないので、扇動者となる、あるいは、ぐれて奇人となるというのは、案外、凡庸ではある。例えば、あげくのはてに、年食って子供つくって、父として考える、である。そんなこと学問しなくたって庶民は誰だってやっていることじゃないか! ああ~、かくも長き遠回り!



―屋台本と本店本― 『ソビエト帝国の崩壊』以来のカッパ新書シリーズでおいらなど俗人に知られていた頃、"まともな"学術本?で手に入るのは、『危機の構造』、Amazonくらいのものだった。今、4250円だよ。でも、『危機の構造』を今読むと一文一文が異常に短く、実はカッパシリーズとそんなに雰囲気は変わらない。