いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

子供に水飴 なめさせる前に.....悲しき黄金虫

2009年08月21日 19時42分42秒 | 国内出張・旅行


南の島のさとうきび畑を夕暮れから夜にかけて歩くと、紫色の点灯があった。なんのオブジェ (w)だべ?と思っていた。どうやら、さとうきびにとっての害虫の黄金虫を捕捉・殺虫する装置らしい。誘殺灯

こがねむしと言えば、金蔵建てて、水飴買って、子供に嘗めさせるはずなのに...。

水飴は玄米から作るらしい(wiki 水飴)。したがって、砂糖とは関係ない。でも、砂糖が元々貴重品である日本で、砂糖が普及する前の主要な甘味料だったとwikiに書いてある。いずれにせよ、甘味料享受は金持ちの特権だった。(参照拙記事

南の島の黄金虫は玄米・水飴よりさとうきび・砂糖を好む?でも、紫の光に...。

■こがねむし






西田幾多郎の大東亜戦争肯定論をポンチ絵化

2009年08月20日 19時13分03秒 | 日本事情
拙記事: 西田幾多郎 「世界新秩序の原理」の周辺 に続いて、

西田幾多郎、『世界新秩序の原理』の主張をポンチ絵化してまとめてみますた。



■それにしても、この『世界新秩序の原理』は本当は誰が書いたのだろう?

内容、論旨、用語から見ると、高山岩男 (wiki)の『世界史の哲学』のものである。

書いてもらったなら、著者詐称だし、西田自身が書いたとしたら、剽窃である。

<世界新秩序>はどこから?

<世界新秩序>という言葉は西田(/高山)の造語なのだろうか? 

ところで、"new world order"はウッドロー・ウイルソンに由来するらしい。 Wikipedia: New world order (このwikiの写真で、なんとローズベルトが立っている。立っているローズベルトを初めて見た。)

ウッドロー・ウイルソンの名前こそ出てこないが、第一大戦後の世界情勢、つまり米英による世界秩序は高山の『世界史の哲学』で批判されている。 しかし、実のところ、<世界新秩序>の出所は、"new world order"なんでないべか?

大東亜共同宣言の"出所"が、大西洋憲章であるように.....。

究極の偽毛唐である。


東條内閣は"ボルシェビキ"と外相が書いていた

2009年08月19日 21時07分31秒 | 日本事情


南の島

重光葵の観察と認識

昨日の重光葵、『重光葵手記』の中の"軍部と作文内閣" (Amazon)からの抜き書き;

 軍部は満州事変から国内革命と国際革命との内外に亘る手段を以て強引に天下を取った。国内革命は「ポルセヴィキー」式革新「イデオロギー」に依り、国際革命は帝国主義的侵略方法に依った。見様によっては自然的発展と時代の要求とに依るものであって、何れも社会主義的水平運動に立脚している。国内的に社会主義的方向に向かって行くのは当然であり、国際的にも水平運動が起きるのも当然の運命とも云える。

つまり、東條内閣の思想は共産主義半分、帝国主義半分であり、やろうとしていることは、国内金持ち階層と世界の金持ち国家・米英を敵とした"水平化"運動であるということ。

東條内閣において開戦時の外相は東郷茂徳であったが、昭和18年(1943)年4月からは重光となった(途中、東郷と重光の間に谷正之が外相)。上記の文章は外相の時書いたもの。自分の内閣を「共産主義半分、帝国主義半分」とは醒めた、そして冴えた観察眼ではある。

西田幾多郎の観察と認識

そして、こちらも昨日の、西田幾多郎、『世界新秩序の原理』。この文章の世界認識;

十九世紀以来、世界は、帝国主義の時代たると共に、階級闘争の時代でもあった。共産主義と云うのは、全体主義的ではあるが、その原理は、何処までも十八世紀の個人的自覚による抽象的世界理念の思想に基くものである。思想としては、十八世紀的思想の十九世紀的思想に対する反抗とも見ることができる。帝国主義的思想と共に過去に属するものであろう。

極めて図式的で、「18世紀=個人主義・自由主義の時代、19世紀=帝国主義の時代。一方、今(1940年代前半)流行し、対立している思想は共産主義と帝国主義。ただし、共産主義とは個人主義・自由主義という18世紀思想の焼き直しである。したがって、共産主義と帝国主義の対立は、18世紀思想の19世紀思想への叛逆である」という西田の認識。いずれにせよ、両者とも過去のもので、今こそ日本は、国家の世界史的使命の自覚し、ガンガレというもの。

▼この西田の「共産主義と帝国主義、共に古い」という認識に立ち、重光の眼で東條内閣を見ると、「今こそ日本は、国家の世界史的使命の自覚し、ガンガレ」という『世界新秩序の原理』には全然該当しないことになる。



西田幾多郎 「世界新秩序の原理」の周辺

2009年08月18日 19時56分00秒 | 日本事情

南の島

■西田幾多郎 「世界新秩序の原理」の周辺

田中美知太郎 『時代と私』から抜き書き;

十八年から十九年、そして二十年と選挙区が急迫し、徴兵や徴用、疎開そして空襲ということが重なってくると、国全体が動揺し崩壊現象を起こしてくるのである。滅私奉公などと言っても、公の名による強制は、一つの災難のようなものとして、何とかこれをのがれる工夫をしなければならなくなったりする。つまり、公に対して私を守るようなことが第一義になってくるのである。

「この頃寒暑の変化激しい様で御座います
お変わりも御座いませぬか
今度の事にて大学は大変でせう
どうなりますか
講義はやはり継続になりますか
金子(武蔵)なども尚四十歳未満のこと故何か召集という如きことにもなりはせぬかと思われます
高山(岩男)などもまだ若いのですが(前に高木か誰かの指図で)海軍の仕事をして居るので海軍の方から海軍の方に必要の人物ということを某筋に云ってあるという云うことです
お話により金子も今度海軍の嘱託ということになりましたこと故海軍の方にて何とかそういう様な手続きを取って置いてくれないものにや
お考え下され何卒よろしくお願い申し上げます」
(十八年十月一日、和辻哲郎宛 全集書簡)

 という西田幾多郎が娘婿金子のために、徴兵や召集をまぬがれるようにて心配しているこの手紙は、そういう崩壊しつつある社会において、まずめいめいが自分自身や自分の家族のために工夫しなければならなかった状況というものを教えてくれる。


この西田幾多郎が和辻哲郎への懇願の手紙の中の高山岩男とはあの「近代の超克」論者。戦争を大東亜共栄圏の建設という至上の理想、「近代の超克」のために止むを得ないものと肯定。

この手紙の前提として、和辻哲郎が海軍にコネを持っている事実がなければならない。

■さて、西田幾多郎は「世界新秩序の原理」を書いている。内容は、大東亜共栄圏確立と対米英戦が日本の民族的使命であるというもの。(→実現すますた。マンセー

この文章は、矢次一夫を仲介として、陸軍に頼まれ、執筆、提出したものとされている。いつ執筆・提出したのかは、おいらは、まだ調べ切れていない。

ただ、推定するに、昭和18年の「大東亜会議」の大東亜共同宣言のために陸軍が作文が必要になったのではないだろうか?「大東亜会議」は昭和18年11月である。

さらに、邪推すると、上記の和辻への懇願の手紙と関係があるのではないだろうか? つまり、軍の仕事と引き換えに、「自分の家族のために工夫」したのでは? ただし、この邪推が成り立つには、陸軍と海軍のギャップ、そして10月と11月のギャップを埋めなければならない。一方、西田はこのような懇願の手紙を和辻だけではなく、あちこちに出していたと考えれば、この邪推はなりたつかも。

軍部と作文内閣

(東條)内閣中枢部は連日軍隊的用語と思われる漢語まがいの文章を以て、連日機構の改正(略)を呼号し、毎日何か新しき考案を以て新聞を賑わさずには済まされぬ様になった。 (略)
 内閣や大本営、軍部の作成に関る難解にして複雑なる立案が立て続けに審議せられ、可決せられ、命令せられる。

この内閣は作文内閣である。

(from 重光葵、『手記』、「軍部と作文内閣」)


つまりは、こんな状況で、西田の作文は書かれたのではないだろか? 「連日の軍隊的用語と思われる漢語まがいの文章」に飽きた内閣・軍人が、「哲学用語と思われる漢語まがいの文章」を所望したのだ。

西田幾多郎 「世界新秩序の原理」は大東亜宣言に寄与したか?

たぶん、してないのだろう。なぜなら、大東亜宣言の作文担当は、陸軍ではなく、外務省であったから。つまりは、重光葵の統括下にあったのだ。たぶん、重光は陸軍に口出しさせなかったのだろう。

周知の通り、昭和18年東京で開かれた大東亜会議とその宣言は、大東亜会議に先だって行われた米英の首脳会談とその宣言・大西洋憲章 宣言 への対抗としてなされた。

対抗であるからには、大西洋宣言をよく研究して、それに対抗・応答するものではなくてはいけない。昭和18年の大東亜会議は、近衛内閣時代の"東亜新秩序宣言"と同じものではない。三木清とか、たぶん西田幾多郎はこの"東亜新秩序宣言"の延長の"東亜共同体論"(? これから調べる)。

ちなみに、外務省の誰が、どのように大東亜宣言作文したのかを、おいらはまだ知らない。

Yamat-orientalism

2009年08月16日 16時54分22秒 | 日本事情

南の島で見たヤマトリエンタリズム(Yamat-orientalism)


「日本のオリエンタリズム」の問題は、日本と東アジア(中国・朝鮮)との歴史的関係を考えるときにあらわれてくる。日本の東洋史学の性格や、大衆レベルでの中国観・朝鮮観など。沖縄観も該当するだろうか。沖縄イメージ、南島イデオロギー、神の島、癒しの島・・・。from ブログ・ある旅人の〇×な日々 さん、記事・オリエンタリズムとは何か

富士山を浮世絵風に表現したポスター制作者は、「沖縄のみなさん」のどんな視線を期待しているのだろう? 

「沖縄のみなさん」!、ヤマトをオリエンタリズムで視てください!ってことなんだろうか?

■関連拙記事:
富士山と航空機;滅びるね

スペインの本屋 (2)

毎週、ぶどうの写真を撮っています。7

2009年08月15日 08時59分25秒 | 筑波山麓



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充実の季節

2009年08月14日 17時38分57秒 | 草花野菜
 
どんどん充実する栗、と落ちこぼれの残念さん栗。(ひとんちの栗林)
(拙記事: 残念さん。 どんぐり編

電波止まる

闘いうどん氏もついに300人委員会への加入を密かに目指す闘争戦略を明らかにしたのだろうか? ということは、300人委員会に空席ができたのだろうか? 闘いうどん氏のメッセージを詳しく解読すると、キーワードを見つけた。太田龍。元祖電波教祖に他ならない。

調べると、やはり、太田龍教祖は崩御あそばされていたのだ。 四半世紀前に、当時は"電波系"だの"とんでも系"だのという言葉がなかった頃、「こいつ(太田龍)、おかしいだろう」と御指摘されたのが呉智英センセ。その頃はまだ新左翼→マイノリティー("辺境"民族)保護!の主張だった。とにかく弱者、弱者を探してそれを"てこ"に...。
(後付け; 【断層】呉智英 追悼「三バカ大将」

その後バブル時代で左翼も辺境もひったくれもなくなり、姿を見なくなったというか、おいらもすっかり忘れていたら、ネットの時代、なんと公然と反ユダヤ主義として御登場。結構とんでも本も多い;Amazon, 太田龍 著作群

特に、Amazon, 長州の天皇征伐にある;

長州藩は幕末、攘夷を敢然と主張する孝明天皇を暗殺、神国日本をユダヤイルミナティ悪魔主義世界権力にそっくりまるごと売り渡し、日本民族を滅亡に狩り立てた。さらには長州出身・大室寅之祐を明治天皇としてスリ替え、明治新体制を築き上げた。 日本史上これ以上の国賊売国奴集団は、まさにこの時期の長州藩以外にまったく存在しない。本書はその厳粛な事実を論証し、天下にその罪を告発せんとするものである。

なんぞという電波は、戊辰戦争のルサンチマンでできているおいらの脳髄の振動子に激しい共振をもたらし、沸騰すること間違いない。なので決して、この電波の圏内に入ってはいけないと自戒している。

▼電波の弟子

太田龍がユダヤ陰謀論を抱え死んでいった一方、湯浅赳男は近代において西洋近代文明の異物としてのユダヤと日本の2つを捉え、西洋社会へのユダヤの順応と排除を必死に論ずる;『Amazon, 日本近代史の総括―日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析』。別に、ユダヤ陰謀論ではない。その湯浅赳男について、闘いうどん氏の「やはり学問は大切だ。」という観点から、"なぜ学問へ"の回想;

私は学生時代は学生運動もしないで、実は社会に入ってから目ざめたので、二十代の後半に入ってからですね。栗原登一という人に会ったというのが大きなきっかけでして彼流のマルクス主義、彼流のレーニン主義を学ぶ中で、私は社会というものに目を開かれて来たのですね。(「マルクス主義批判としての経済人類学」、『思想のデスマッチ』1986)。   ここで、栗原登一とは太田龍の本名に他ならない。

Wiki: 湯浅赳男   Amazon, 湯浅赳男 著作群

そして、何より危ない普通の電波

「鳥越さん以外は小沢一郎に一切話しかけないで下さいって言われた」



パラレル猫

2009年08月13日 21時37分56秒 | ねこ

パラレル猫 (二匹で華麗にシンクロ・スイミングを演じている夢をシンクロして見ているにちがいない。でぶのくせに。)

リバース抑圧移譲

NHKスペシャル、日本海軍 400時間の証言 第二回 特攻 やましき沈黙
(まとめ:ブログ・君のてのひらから;『日本海軍 400時間の証言 第二回 特攻 やましき沈黙』を見て

「やましき沈黙」とは、軍令部(海軍)が特攻作戦を命令をしたことを否認していること。つまりは、現在でも大日本帝国海軍正史では、特攻は"現場が勝手にやったこと"、ということ。

実際は現場に派遣された参謀が作戦実行に携わっている。その一人が番組で軍令部に"食ってかかって"いた鳥巣中佐(水雷参謀)。多くの特攻隊員を見送った、というか、死地に赴かせた、というか死を命令した、っていうか、殺したのだ。番組でも出てきたが、二十歳もいかない純粋まっすぐ青年を集めてきては、人間魚雷の操縦"マシーン"とし、殺してきたのだ。

そんな鳥巣中佐は戦後も律儀に慰霊祭に出席していたのだが.....。いつまでも現地司令官きどりの風情が抜けなかったのか、毎日死ぬ訓練を行ってきたが終戦で生き残った"死ぬはずだった"が、人間の心を取り戻した元人間魚雷の操縦"マシーン"の一人に"糾弾"される。

「貴様、どのつらさげて、上座にすわっとんじゃー! ボケ!」

「貴様の座るのは下座なんだよ!」

びっくりしただろう、秀才の元参謀。やっと、坊ちゃんだった鳥巣中佐も目覚めたのかもしれません。その元人間魚雷の操縦特攻兵士の反乱こそが、海軍反省会における、軍令部の本部参謀への糾弾へとつながっと、おいらは妄想します。

ただね、これって、戦時中の特攻命令(軍令部→現地参謀・鳥巣中佐→現場・人間魚雷の操縦特攻兵士)のリバース・逆行だと思うんです。鳥巣中佐っていつも媒体。こういう順応至上の秀才こそ近代日本の典型かと。そして何より、お悧巧さんだけあって、たんと反省しています↓。

Amazon 鳥巣建之助 著作群