いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

デリーの本屋

2004年07月09日 21時09分47秒 | インド
横積みが多いんです。

コンノートプレースの本屋に行く。小さい。がインド一般の本、歴史の本がある。2階は軍事ものの本が集めてあった。2階に上がると店員が電気をつけてくれたので、調子にのって、インドは海軍増強に努めてきたので、インド海軍の本はないか?という。すぐにはなく、最後に今年のインド軍事年鑑を紹介される。2000ルピーちかく。まあ、いらないやとおもったが、ぺらぺらみてると湾岸戦争とインドとか考察してあったので、あとで買わないで後悔することを考え買う。ちなみに、インドは湾岸戦争には参戦してないはずだが、近所の大火事で大変だったのだろう。あと、子供むけインド史の本、インドの支配者の総覧(イスラム、英国)、デリー関連の小説を買う。締めて、2890ルピー。

牛とコンピューター

2004年07月09日 19時17分04秒 | インド
J.G. は、じゃー、がんばって、の略です。


ある方(こちらからこのblogを押し付け観覧していただいた)から、小熊英二『牛とコンピュータ』は当然読みましたよね、とのメールをいただいた。この本を知っていたが、負け惜しみではないがわざと読まないでいた。本屋でちょっとだけ中をのぞいたが、そのタイトルといい、これまでの彼の著作の仕方からいい、「してやったり」という感じがふんぷんとしていた。これはおいらの感覚で、インドに行くからとの自意識過剰に由来するところも多い。わざと読んでない最大の理由は、この本を読んじゃうと彼のインドを見る枠組み、それも『牛とコンピュータ』というくらいだから伝統社会とグローバル化での勃興現象を考察したものなのだろう、に自分の脳みそも型づけられてしまうのではないかと考えたからである。つまり、他人のインド観を無意識に継承してしまうのを恐れた。

そういう、おいらもがきのころは、『インドで考えたこと』を読んだし、タイトルは忘れたが岩波新書でのインド滞在紀、その著者は東大出でデリーで1960年代日本語教師をし、その後東大教授だったとおもうが,も読んだ。両者とも当時で既に昔の本になっていたのだが。前者は全く記憶に残ってない。後者では、外国語学校(つまりその学校の日本語教師と彼はなったわけだが)のボスが変な日本語、つまりは性的なヴォキャブラリばかりを確認してくること、あと、底浅い反戦気分で、戦時中の東大のアジア研究は何をしていたんだ!それに、こんどデリーに来た東大調査団は、物見遊山風で、何だ!と書いてあったことを思い出す。どちらかの本にインドの製鉄所の写真があり、製鉄しているインド人は「日本に輸出したい」と言っていると書いてあった。この本を読んだころ日本は製鉄王国だったのでとても違和感があった。つまり、インドと工業は結びつかないのであり、インドはインドらしくあれ、というこちら様の勝手な観念があった。そんなふた昔もみ昔前と劇的に変わって、インドは現在年8パーセントの経済成長率で変わっている(この文に価値感はない、経済成長万歳といっているわけではない)。ただ、昔は文化交流かその場かぎりの観光旅行での交流しかなかったわけだが、経済交流という損得かけた真剣かつ獰猛、狡猾な<>な交流が拡大している。

で、『牛とコンピュータ』というのは即物的に考えてそうかけ離れたものではない。だって、一緒にデジカメに写ってるし(~_~:)。これは、仕事場の前で撮ったもの。牛はほんとどこにでもいる。そしてこのblog原稿は牛が門にいる仕事場からネットワークを通して発信され、あなたがこうしてご覧なわけです。牛と一番近いblog発信者です。