いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

インド、「出世」と英語

2004年07月17日 12時49分40秒 | インド
プライベートスクール・「幸せ学校」(^_^)の生徒さんです。

インドの学校は政府の学校とプライベートスクールに分けられる。そこでの英語の使われかたについて興味があったのでいろいろインド人に聞いてみた。結果はちょっと複雑で一筋縄でプライベートスクールでは英語重視ということにはならなかった。

【例1、デリーのあるプライベートスクール】
理系など教科のいくつかは授業を英語で行う。英語を重視する考えのひとが集まっているとのおいらの印象。中産階級の師弟が多いようだ。ある親は自分の子供が英語を話すのを自慢していると言っていた。

【例2、カルカタのあるプライベートスクール】
授業は全て、理科系も含め、ベンガル語で行われる。ベンガル語はインド東部の公用語である。大学では授業は原則英語で行われるとのこと。従って、高校と大学には「ギャップ」がある。しかし、実際はカルカタの大学ではベンガル流の英語が使われ実際はギャップがないのだろうと、おいらは見ている。なぜなら、その人の英語はベンガル英語だからである。書き言葉は大学では完全英語である。ちなみにこのカルカタ出身の人はベンガル語が母語であり、英語は第二言語、さらに成人してヒンディ語を習得して仕事をしている。母語⇒英語⇒ヒンディという習得順番の人は結構多い。

【例3、インド北部出身者・ムスリム。プライベートスクール出身】
母語はウルドウ語。プライベートスクールでの授業は英語。子供のころから英語を学んでいるインド人の英語はわかりいい。例1の人も同様。現在のデリーの家庭ではウルドウ語を使う。この人も母語⇒英語⇒ヒンディというパターン。科学技術の仕事のためには英語が必要、地場のひととの仕事にはヒンディ語が必要であるからである。

そもそも、インドに出世という、あまりに俗で野暮な、概念があるかは知らないが、地方出身で大学を出て首都に来て働いて普通のインド人の何倍、十何倍の給料をもらっているような人たちについてのことです。

その生き方の価値判断はしないが、産業化(これもいい悪いは問わないが)に邁進するインドの只中にいる人たちです。

まとめ:中産階級としてやっていくには英語は必要であり、さらにその場での言語の習得が必須です。彼らはそれをやり遂げているのでした。

jg