水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
龍村塾も一応(勝手に)卒業し、治療に専念する。
ある意味、この年の四月が本当の開院ともいえる。
とはいえ、山の中の治療院だ。
更に私は宣伝の類が苦手だ。
商才は無能に近い・・・
毎日ヒマであった。
毎日ヒマだから本を書くことにした。
数年前に書いたのは出版にはならなかった。
マニアックな精神世界について書いた。
一応、本の体裁で各章、各項に整理した。
そして目次からあとがきまで書いた。
通常の1.5倍くらいの量があった。
今回は氣と氣功について書き出した。
氣功に出会って数年とはいえ、とても濃い時間を費やした。
考えることは(一応)すでに終わっていた。
書き出すと、勝手に手が動く。
今でもそうだが、私は頭で書かない。
手が勝手に文章を作ってくれる。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
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17年間封印していた本物の「氣入れパワーストーン」を販売開始)
この頃、地元のFMローカルラジオが開局した。
週1回、30分枠で番組をもつことになった。
「気功を知ろう」という題名にした。
二人の女性をアシスタントにして、質問座談会形式にした。
もちろん私も初めての経験だ。
アシスタントは声がいいが、私はそうでもない。
以前にアルバイトでショーのMCをしていたから話すのは平気だ。
そういえば、結婚式の司会など、何度もしたなぁ・・・
ラジオは顔が出ないから、何でも言えるからいい。
録音は2回分録り。
原稿は全て私が書いて、アシスタントと簡単な打ち合わせ。
ガラスばりのスタジオでヘッドホンをして大きなマイクに向かう。
合図でテーマ音楽が流れ、合図で第一声だ。
「皆さん、こんにちは~」
声だけとはいえ、芝居をするわけだ。
面白い経験をさせていただいた。
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この年も母は安泰だった。
これで、まる3年寝込んでない。
痛む事があるとはいえ、命には係わらない。
調子の悪い時もあるが、回復も早い。
そして1998年になった。
私は3年間の龍村塾を一応卒業した。
群馬の最北から新幹線で通った。
無理は承知だった。
今、出来る限り学びをしておかないと先に進めない。
何しろ40歳を超えてからの専門分野に飛び込んだのだ。
命を扱う仕事を選んだのだ。
普段ノウテンキな私だ。
たまには十倍の集中をしても大丈夫だろう。
3年くらいはもつだろう。
ちょうど3年間で一区切りついた気がした。
私としては珍しく集中した3年間だった。
私の中では30年に相当する。
もう、こんな集中は続かない。
(5分くらいなら続くけど・・・)
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法王とお会いして私の仏教観は変わった。
次第に変わってきてはいたが、より鮮明になった。
今までの仏教観は「悟りに至る道」みたいなとらえ方だった。
だが実際に(調和への)変化の実践をしている姿を知った。
そこに「氣」を扱っていることも知った。
どんな世界でも様々だ。
ピンからキリという区別よりも複雑にある。
仏教徒といいながらも、様々だ。
僧といっても様々だ。
教えといっても様々だ。
教えの宗教など屁のようなものだと思っている。
それがどんな教えであっても。
胡散臭い、か、かなり臭いものだ。
教えなどではなく、毎日の暮らしの中の笑顔。
いたらぬ自他への慈悲の心。
そして、世界の平和への祈り。
他人に布教などしないで、そっと願う。
つまらぬ理屈ではない。
優しさであり、人社会、人以外の世界との調和。
○○教とか○○経などにこだわるような小さなモノではない。
仏教は大きな優しさだった。
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私達にとっては、とても幸運で至福な時間と空間だった。
だが、ここでは書けない悲惨な実話も聞いてきた。
ノルブリンカの博物館で時間を作ってくれた。
チベットで何が起きたか、その後中国が何をしたか。
実際に体験し、生き延びて、逃れてきた人の話だ。
尼僧となっていたが、その時は普通の女性だった。
チベット民族を根絶やしにする政策だ。
嘗てのドイツがユダヤ人に何をしたか。
日本人が満州で何をしたか。
アメリカが原住民に何をしたか。
今でも、民族紛争の現場は悲惨だらけだ。
とても書けない内容をしてきたし、している。
私が某中国をかなり厳しく書くのは、当たり前なのだ。
一般市民の中国人も、知らないとは言わせない。
よほどのバカでないかぎり、薄々でも知っているはずだ。
政府が周辺の少数民族に対する仕打ちを。
金儲けに狂って、人の心をマヒさせているのが現状だ。
まぁ日本人も似ているが、それほど酷くはないぞ。
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謁見後、和子先生と話した。
「このところ、ずっと夢でマザーテレサが出てくるのよ」
和子先生はマザーテレサともお知り合いだ。
法王やマザーテレサと親しいなんて、ちょっと普通じゃないなぁ・・・
「呼ばれているみたいだから、ちょっと行ってくるわ」
その身軽さも、普通じゃないなぁ・・・
本当はインドの違う場所で瞑想をする予定だったらしい。
インドはナントカ瞑想が幾つもあり、結構アヤシイ・・・
その後の展開は、私のHPのコラム欄に書いてある。
普通じゃない人には、普通じゃない事柄が普通に起こる・・・
私達と別れて、和子先生は一人マザーテレサアシュラムに行った。
そこで数日間、奉仕活動をする。
一日中の洗濯。
一日中、幼児に食べさせ抱っこする。
一日中、癌末期の女性に付き添う。
もちろん夜も。
そこで、とても大きな気づきをする。
その二ヶ月後、マザーテレサは天に帰る。
和子先生は、マザーテレサに最後の教えを受けたのだ。
普通じゃないなぁ・・・
(詳しくは、私のコラム欄「奉仕」と「やさしい話」に)
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最後に全員で記念撮影。
これも異例なのだろう。
お付の僧達が慌てていたのを私は目撃した。
何しろ、法王を囲んで普通に撮影した。
ツアーのメンバーはそれぞれが教室を持つ先生だ。
(テレビにたまに出る西洋医師も僧侶も鍼灸師もいる)
それなのに、ただの怖いもの無しのオバサンと化した。
法王を普通の有名人のように、我先にと押し寄せた。
なんとノウテンキなのだろう。
私も通常はひけをとらないが、法王に対してそうは出来なかった・・・
お付の僧も普段は厳粛な態度の高僧なのだろう。
だが、その瞬間はあきらかに慌てた顔をした。
常に法王の安全を心掛けているのだもの、当たり前だ。
メンバーに暗殺者がいたら最悪だったろう。
ただのオバサンに化して、よかった・・・
法王は常に嬉しそうだった。
法王自身も、結構異例好きなのだと思う。
低音の響きのある、とてもいい声だ。
そして豪快に笑う。
この体験は、一生の宝物だ。
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ツアー全員分の数珠を用意していた。
それに祝福を授けてくれた。
ブレッシングという。
法王は何かつぶやいて、息を吹きかけた。
私にはすぐわかった。
まさしく「氣入れ」だ。
言葉(おそらく真言)で波長合わせする。
息で氣を入れる(記憶させる)。
そうだったのか。
ブレッシング(祝福・神仏の加護・祈り)とは「氣入れ」なのだ。
それならば、単なる言葉の羅列ではない。
それならば、実際に守護することができる。
逆に言うと、
「氣入れ」出来ない僧や神主や神父が何をしても言葉だけだ。
実際に氣を動かせて、祝福の言葉や神仏の加護となるのだ。
実際に出来る人が何人いるのだろう。
形式ばかりの宗教家は、ゴマンといるのに・・・
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中には法王には絶対しないような質問もあった。
和子先生だから、あえて入れたのだろう。
それに対しての法王の答えも人間らしい一面だった。
もちろん、内容にかんしては内緒だよ。
それも、私の宝物だ。
予定の時間はどんどん過ぎる。
法王がすることなので、誰も何も言えない。
法王も久しぶりに、気楽な姿をしたかったのだろう。
謁見時間は一時間半におよんだ。
初めて会う人達への謁見では、ありえない長さだ。
法王は、一人一人にカタ(儀礼用白布)をかけて下さった。
そして、手渡しで小さなブッダ像もお土産に下さった。
それらは、その都度法王の額に触れてから下さった。
そして、手を優しく、しっかり握って下さった。
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私なりに仏教を研究した。
そして仏教の真髄は慈悲だと思った。
愛のとらえかたにもよるが、慈悲を愛と訳すと軽くなってしまう。
悲しさを慈しむ。
悲しさとは、本来のキリスト教の原罪を指すのかもしれない。
それは、他の果を生まれながらに引き受けるからだと思う。
自分の因果の清算、あるいは昇華の人生なんて独りよがりだろう。
何故、この世が違う波動帯のモノ達と一緒なのか。
(物質・肉体界だということ)
答えは独りよがりの世界ではないからだろう。
ならば、因果を自分に限定するのは変だ。
生きているだけで他の果を背負う。
生きているだけで、慈悲を体験する。
それならば仏教の真髄となる。
生きることにこそ、価値がある。
そうでなければ、この世は地獄という解説になってしまう。
(そういう解説の宗教家は多い)
だから仏教の根源にかかる質問になってしまうのだ。
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