水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

献血考・2

2005-06-03 19:30:26 | Weblog

誰でも心の底に共通して、ある思いがある。
「誰かの為に役立ちたい」
素直に表し行動に移せる人と、そうでない人がいるだけだ。
誰でも、他の役に立ちたいのだ。
誰でも、優しさがある。

「誰かの為に」
この思いは大切だからこそ、捨てる。
この世は、捨てると実になる仕組みなんだ。
「自から離れる」から「他の為」になる。
当たり前なんだけど、気づき難いよね。
特に大切だったり、培ったりしたモノは捨て難い。

キリちゃんも何処かで言っていた。
「一粒の種、もし死なずば。もし死なば」
同じ種でも、捨てるか、捨てないかで結果が違うのだ。
大切だからこそ、捨てると役に立つ。
とても深い言葉だと思う。
理解できても実践が難しい言葉だ。

献血はどんな思いがあっても、実行するのが優先。
その上で、更に役に立つ方法がある。
同じ献血だから、目に見える成分に変わりは無い。
だが「いのち」は成分以外のモノで変わる。
「氣」というヤツだ。

「氣」を呼び、発生させる方法は幾つもある。
その一つに「意識」がある。
「意識」の使い方も幾つもある。
その一つに「捨離」がある。
キリちゃん(イエス)の言葉が示した内容だ。

「大切な自分の血を犠牲にして」という思い。
間違いなく「大切な自分の血」だ。
だが「犠牲」は間違いだ。
「捨離」は犠牲じゃない。
活かす方法だからだ。

捨てられなくて、する献血。
捨ててしまえる献血。
「自分の温かい思い」の話だ。
「温かい思い」だから捨てる。

もうお前(注:B型の血だ)はワシの血じゃない。
これで親子の縁を切る。
(お、親子かなぁ?)
何処に行こうが好きにしろ。
元気でありゃ、それでいい。

こうしてワシから独立(?)した血は、
何処かの誰かの体の中で生きる。
少し・・・心配もある。
輸血された人にも影響がでる。
いいかげんな性格になるかもしれない。


(本館は http://iiki.desu.jp/  「氣の空間・氣功療法院」
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 献血考・1 | トップ | 献血考・3 »

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事