誰でも心の底に共通して、ある思いがある。
「誰かの為に役立ちたい」
素直に表し行動に移せる人と、そうでない人がいるだけだ。
誰でも、他の役に立ちたいのだ。
誰でも、優しさがある。
「誰かの為に」
この思いは大切だからこそ、捨てる。
この世は、捨てると実になる仕組みなんだ。
「自から離れる」から「他の為」になる。
当たり前なんだけど、気づき難いよね。
特に大切だったり、培ったりしたモノは捨て難い。
キリちゃんも何処かで言っていた。
「一粒の種、もし死なずば。もし死なば」
同じ種でも、捨てるか、捨てないかで結果が違うのだ。
大切だからこそ、捨てると役に立つ。
とても深い言葉だと思う。
理解できても実践が難しい言葉だ。
献血はどんな思いがあっても、実行するのが優先。
その上で、更に役に立つ方法がある。
同じ献血だから、目に見える成分に変わりは無い。
だが「いのち」は成分以外のモノで変わる。
「氣」というヤツだ。
「氣」を呼び、発生させる方法は幾つもある。
その一つに「意識」がある。
「意識」の使い方も幾つもある。
その一つに「捨離」がある。
キリちゃん(イエス)の言葉が示した内容だ。
「大切な自分の血を犠牲にして」という思い。
間違いなく「大切な自分の血」だ。
だが「犠牲」は間違いだ。
「捨離」は犠牲じゃない。
活かす方法だからだ。
捨てられなくて、する献血。
捨ててしまえる献血。
「自分の温かい思い」の話だ。
「温かい思い」だから捨てる。
もうお前(注:B型の血だ)はワシの血じゃない。
これで親子の縁を切る。
(お、親子かなぁ?)
何処に行こうが好きにしろ。
元気でありゃ、それでいい。
こうしてワシから独立(?)した血は、
何処かの誰かの体の中で生きる。
少し・・・心配もある。
輸血された人にも影響がでる。
いいかげんな性格になるかもしれない。
(本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間・氣功療法院」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます