「氣使い」といえば、そうとも言える。
自由に使えるか、となると・・・半分だけ。
ワシの身体と意識を貸しているのだ。
ある意識状態で(氣は)勝手に降りて来る。
意識で自由になる分だけは使える。
自由にならない分は使えない。
身体は基本的にワシの分野だ。
だから何処に行くのもワシが主体だ。
その分はワシが使える。
だが「氣」を働かせようとしても無理だ。
「ワシの氣」ではないからだ。
例えば・・・
宝くじを当てる・・・
無理(実は・・・やってみた・・・)。
他(人や動物)を操る・・・。
これも無理(やったことはない)。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)