第二十一章(9)
合掌
心無罫礙 無罫礙故 無有恐怖
(心の悩みや迷い、心のダメージが有っても大丈夫だ。
その事に固定しなければ、勝手に変わる。
いろいろが有って当たり前だ。
だが、心は変化しやすいんだぜ。
一々思い出して、こだわらなけりゃ変わるぜ。
身体の病や怪我も有る。
必ずといっていいほど、降りかかる。
だが、それでも大丈夫だ。
回復したり、軽減したりするコツがある。
身体も常に変わっているのが事実だぜ。
しかも回復方向に変わっているんだぜ。
生きているってのは、必ず回復に向かっているんだ。
回復を邪魔しているのは、自分の固定概念なんだよ。
変化している事を認めろよなぁ。
不都合があるのを認める。
同じく、回復している事も認める。
要は、常の変化を認めるって事だ。
それが、こだわらない、イイカゲンって事だ。
それが、般若って事だ。
心や身体の不都合にとらわれるなよ。
といって、無視していいわけ無ぇだろ。
それぞれ可愛がれよな。
それが養生ってことだ。
養生を意識し行うと、楽になるぜ。
不都合が有っても治せばいいんだ。
すると、恐怖が必要以上にならない。
恐怖が有っても、大丈夫になるのさ。
まぁ、適当な大きさで恐怖を感じられる。
これは、結構大切なんだぜ。
恐れも知らないと、ロクなモノになれ無ぇ。
人間もケモノも妖怪も、適当に恐怖が必要さ。
必要以上は、いら無ぇけどな。
まぁ、般若ってのは、暮らすのが楽になるコツだ)
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)