今月は盛岡に氣功治療で出張していた。
帰りに駅ビル内で御土産を買った。
岩手限定カトちゃんの冷麺根付。
メダマオヤジのわんこそばバージョン・・・。
ちなみに岩手限定冷麺キティちゃんは不評だった・・・。
これは豚子(小6)は女の子っぽいのが苦手だからだ。
スカートなんて嫌いらしい・・・。
フリフリやピンク系統は絶対身に着けない。
野球帽をナナメにかぶり、ジーンズに手を突っ込んで歩く。
靴や衣服は青や黒。
だからキティちゃんは友達にくれたようだ・・・。
その土産横丁内に「久慈琥珀」があった。
琥珀は石ではないが、石状ではある。
似ていれば、細かい事は言わない。
大雑把やいいかげんが、愉しく生きるコツだ。
ワシは何故か石類が好きなのだ。
ワシの石好きな心を分析してみる。
これはワシがフニャフニャしているからだろう。
(フニャフニャしているのは性格である。
決して身体の一部を想像してはいけない。
指摘されれば、ワシだって落ち込むのだ・・・)
人は逆タイプにアコガレる。
石は意志が固い。
体も硬く剛健である・・・。
ワシとは正反対だ・・・。
ある意味「こだわる」と純粋になる。
純粋は固くなり、そして硬くなる。
最終的には鉱物となる。
だから人の生き方としては、純粋は間違いだ。
人は「やわらかく」生きるのが自然体だ。
純粋に「こだわる」のは鉱物の生き方だ。
人は動物であり、鉱物は静物である。
それぞれが、自然体であり双方必要でもある。
だが、混同混乱混交すると不幸になる。
自然体から外れる事を不幸という・・・。
人は「いいかげん」で自然体なのだ・・・。
硬いのは時に応じる一部分でいい・・・。
人の純粋は「いいかげん」でいい。
しかも一部分だけでいいのだ。
時々ならば魅力あるが、年中なら疲れるだろ?
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
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