病の苦があり、普通に動ける幸せに気づく。
だから病は苦だけを内蔵しているわけではない。
だが担当としては、苦。
ならば、老の担当は、楽。
生死に苦楽は関係しない。
(この世の)生命の始まりと終わりの形。
そして老(成長と衰退)に楽が主体としてある。
病に苦が主体としてある。
どちらも、この世に存在した意味となる。
楽と苦。
それらを体験、経験する為の、この世ともいえる。
そこに正誤は無い。
誰にでも訪れる生老病死だ。
正誤は無いが、勘違いはある。
(自然体としての)間違いも多い。
本来は楽が圧倒的に多いのだろう。
苦が多く、長く続くのは、何かの間違い。
修正できる間違いだろう。
病は、修正可能が沢山あるようだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
治療・若返り・悩み相談受付中。日本中出張します。
ブログ読者は、facebookの友達承認をしますよ。コメント付きで申請して
17年間封印していた本物の「氣入れパワーストーン」を販売開始)