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alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

母という生き方

2009年11月18日 | 女の生き方
 今日は東京でサテイシュ クマールという思想家の
講演会に行ってきて そのあと友人たちとカフェで
話したりなんかしながら 色んなことを考えていた。


 先日友達とサテイシュについて話してた時
彼の『君あり 故に我あり』という本を読んで
私はそれほど感動もしなかったという話をしてた。
それは私が妊娠中にその本を読んだからなのか
「これって日本で 古くから女性が考えてきたことじゃない?」
と思う事が多かったから。だから「ああ、そうだよねー」という
気分で読んで「ああなるほどそうか!!目から鱗!」と
思った訳でもなかったのかな


 そうして今日の講演会で 彼の話を聴いた後
やっぱり女性 特に母親になった人には
大切な役割があるんじゃないかという気がしてきて
質問表に「日本の女性や母に伝えたい事を教えてください」
と書いてみた。私の質問は最後まで読まれないかと思っていたら
最後から2番目に読んでもらえて 彼は「これは難かしい質問だ!」
と言っていた。「お母さんたちに、、、 言える事なんてなにもない。
彼女たちはすでにとても素晴らしい! 確かに今女性たちは
子育てというものに価値をあまりおいていないけれど
子供を育てるということは本当にすばらしいことだと思うし
もっと価値がおかれていいと思う」というようなことを答えてくれた。


 確かになあ この人なら母親の価値について言ってくれると思ってた。
でもコメントは非常に謙虚で 示唆をあたえてくれるという程でもなくて
女性たちのことというのは 女性が語らないとだめなんだと
そんなことを私は思った。



 ところでもっと子育てに 子供と過ごす時間というのに
社会的価値がおかれたら 社会の中で そのことをもっと
大事にしてくれたなら 待機児童も減るだろう。
だって子供を預けて働きたい!という考えは
お金の事もあるにしても(とはいえほとんど手元に残らないという
話はしょっちゅう聞く話)なにより自分が「以前のように
働く自分」にこそ価値を見いだし 家で家事をしながら
子育てをして「ただのママ」になっている自分が許せなくって
子供と二人のストレスフルの空間から抜け出したくて
預けたい!働きたい!私には私の人生があったじゃないか!
と思うのだろう


 かくいう私も そう思っては 保育園の見学に
いったりするけど 復帰できる職場もないし
復帰できても あの仕事と子育ては両立できると思えないから
そんな気は全くなくて 保育園に預けられる資格もないし
西京区はかなり本気で満杯らしくてどうしようかと思ってる


 だけど子育てをしていると わかることも 得る事も多く
意外と豊かに生きられる 週に3回ピクニックしても
紅葉の下で野点をしても 毎日お茶を飲んでても
別に誰にもおこられないし 子供がいると
地域の中に入っていけるし 自然も身近に感じていられる
どこかに行くのは大変だけど 平日動いていられるし
それはそれでけっこうよくて 意外にも悪くないようだ。


 サテイシュは自分で職業を創り出せばいいのだと言っていた。
今までの生き方は 外で雇われ 朝から晩まで週5回以上
せっせと働き くたくたになるのが普通の生き方だったけど
お金をかけない方法で 人生を楽しみながら
自分で仕事をつくっていって ぼちぼち生きる
それでも悪くないのかも。


 子供は外に出た方がいい お母さんも子供も一緒に
外に出た ら 誰かの笑顔が待っている
「迷惑かなあ」そう思うけど 意外にも相手は
驚くほどの笑顔を見せて「楽しかった!」と言ってくれる
子供にみせる その笑顔 は びっくりするほど美しくって
優しさに満ちていて 見知らぬ他人の そんな笑顔
はっとさせられるそんな笑顔を 何度見せてもらったことだろう。

 お母さんは心配している 騒がないかな
ベビーカーにいい子で乗ってくれるだろうか
あの駅にはエレベーターがあるんだろうか 階段だけだとどうしよう
授乳室はあるんだろうか 電車でいい子にするのだろうか
ここは子連れじゃだめなんだろうか ああやっぱり
こなきゃよかった!つれてきた私が馬鹿だった!


 だけどまわりは 意外に優しく もっと受け入れてもらえるのなら
もっと楽しんでもらえるのなら もっと楽しくなるのにな。
もっと母たちのストレスも減り なーんだ
子育てって面倒くさいと思ってたけど
一日中子供と向き合って家にいるのなんて最悪!と思ってたけど
外に出てたら みんなで楽しくなれるんだ って そう思えたら
子育てはもっと楽になる。


 そんな支援を 子供一人に2万6千円を支払って
あとは勝手にしてくださいと言うのじゃなくって
そんな支援を 政策にしたら もっといいと思うのに
たとえば子供がいるお母さんはバス代半額にするだとか
ちょっと公共のカフェみたいなところをつくって
そこにいく無料チケットを配るとか そんなことをしたらいいのに
講演会にも託児所をどんどんもうけて 子育てしていて平日動ける
そんな人の方が 実はお得で楽しいですよと
そんな風に価値が変われば 今の状況もきっと変わっていくだろう


 母という経験は かけがえのない経験だって
子育てをしたおばちゃんたちは 知っているから
バスで出会った私に語る。もったいないから大事にしなさい
そう私に諭すのは れんちゃんのためというより
母になった私のためだ。大事な時間を
決してもとにはもどらない 大事な時間を共有すること
それがそんなに大事なら もっとそこに重点をおいて
保育園に預けられない 自分で子育てをがんばっている
お母さんに もっと支援をしてほしい。
母にはもっと力があって 女にはもっとパワーがあって
女の望む社会というのは 女が口を開かなくっちゃ
勝手には出現してこない。 だから私は口を開こう
もっといろいろ提案しよう 未来に続く道筋を
少しでもつくっていこう。 

自由と安全

2009年08月02日 | 女の生き方

 先日困り果ててた私を見かねてワークショップを
してくれた友人が 私にこんな質問をした。

「みきちゃん 自由の反対って何だと思う?」
はて、自由の反対、、、?
東大のカフェ研究会でコメントしていた先生は
カフェの反対は何だと思いますか?と聞いて
「組織です」と答えてたけど 自由の反対、、、?

 答えをつい求めてしまう私はといえば
自分で答えを探すふりをしながら
「早く答え教えてよー」と思ってた。
そうして彼はこう言った。「自由の反対は安全です。」

 ほんとかなー なんだか微妙に
ベクトルがちょっと違うような気もするけれど
彼はそう断言してて そうなのかなあと思ってみると
あれ あれ あれ?ワークショップで「自由がほしい!」と
叫んだ私は 母という まさに安全ばかりを気にしてるような
そんなところにいるではないか!! そ そんなあ、、、


 母になると 安定性を求めたり
外に出るのがおっくうになってしまったり 何かと
心配性になってしまったり 子供がけがをしないようにとか
何かあったりしないように また 何かあったときのためにと
やたらと荷物が多くなったり 心配だけで押しつぶされて
どこかに行くのが嫌になったり 行くのはよくても
帰るのがしんどいなあとイメージしたら
それだけで萎えてしまって動けない そんな状態が続いてしまう

 それって自由とほど遠い!?
自由って そう 不安定で ちょっと危険な そんな状態
それが楽しいわけだよなあ


 そんな困難に直面してる(?)私を見かねた
また別の友人が 今日はパーッとやろうじゃないかと
多摩川河川敷で花火大会を提案してくれた。
「れんちゃんは連れて来ちゃ駄目だからね!
ちゃんと息抜きしないとね!」と彼は念を押し
待ちにまったこの週末が やってきた ら 大雨だ。

 あーまた萎える!もう中止かしら
大丈夫かな ゲリラ豪雨とか そんな心配ばかりする。
それでも時間になったら人は集まり 雨なのに
花火を持って ビールを買って 橋の下へと向かっていった。
そしたら大きな橋の下には すごい人だかりができていて
みーんな雨に濡れそうなのに バーベキューをやっていた。
なんと子供もけっこう来てて こんな天気なのに
すごいなあと驚かされる。 それで我等も橋の下へ行き
ビールを飲んで時を過ごした こうしてこんな川へ来て
うらやましいなあと見るだけでなく 我等もそんな一員になり
馬鹿みたいに 裸足で歩く男子学生を横目に見ながら
おしゃべりするのがなんだか楽しい。


 私たち も 年をとり 学生のときから10年たって
なんともうすぐ三十歳で だけどこうして雨の日に
馬鹿みたいに花火をしにくる それってなんだかとってもいい!

 ようやく日暮れの時間になって 川辺に行こう!ということになり
男子はどんどん進んでいって 私だけが一人おびえてた
「えーもっと雨降っちゃったらどうすんの!?!
ここも川になって流されちゃうよー!」本気で心配している私を彼らは
馬鹿じゃないの?と言いながら 理論的に流される心配はない!と
力説してくれ ようやく川辺にたどりつく。
そこで友人が私にこういう。「美樹さん保守的になったねー!
コンサバよコンサバ!」 ちょっとドーン。 そうだよなあ
「だってお母さんなんだもん 私が死んじゃったら、、、」
なんて口では言ってしまうけど 私が一番臆病で
私が一番保守的だった。 それは自由とはほど遠くって
彼らがなんだかうらやましい。 確かに自由というのはリスクとひきかえ
泊まる場所はないかもしれない 誘拐されるかもしれない
帰って来れないかも知れないけど それでも行こう!
そういうの が 自由なのかな。 「かな」 とか言っている時点でもう
「おいおい イイダミキー!」と言われそうだけど
臆病者になったなあ。


 それでもみんなが構ってくれて なんとか花火を持ってみたり
暗い川辺に寄ってみたりと みんなと一緒に楽しめて
そしたらなーんだ そんなもんかと 思っていたほど怖くはなくて
母という身分になって 心配性になったもんだと
それをちょっとでも打破してかないといけないんだな
そうしないと「自由」はない と思わされる

 旅に出るのは れんちゃんをつれてどこかに行くのは
行く前の心配が一番しんどいことで
行ってしまえばなんとかなった 何かがなくても
なくてすませるしかなくて 余分なものがいっぱいあった
旅慣れたなら フランスにも 行ける日がいつか来るのかな
自由な私は母になり 他人の生命を預かっているわけだけど
たくさんの人に助けられたら なんとかやっていけるのだろうか
東京には仲間たちがいて みんなとっても優しくて
そんな人達と この先一緒に子育てしたい
自由に子育て?できるかな。


女の声

2009年07月31日 | 女の生き方

最近は本が読めるのが嬉しくて嬉しくって
毎日毎日本を読んでる。今は『フランス 新・男と女
幸福探し これからのかたち』を読んでいて
これは2001年に出た本だけど この本を読むと
なーんだフランスの女性達も悩んでるんだと
気づかされる。 仕事をするのが当たり前という
社会でも そう簡単に「家庭と仕事の両立」
だなんてできないようで 女たちはもがいてる。

 それだけじゃなく この本ですごく共感したのは
「結婚」に対する恐れのようなところで
フランスでは「結婚」しないカップルがますます
増えてるそうだけど それはなんでかというと
明確な理性的な理由というよりは「結婚」というものに
対する恐れから というのがどうやら一番大きいらしい。


 特に今の若い世代は両親が離婚した人たちが多く
「離婚のトラウマ世代」と呼ばれ 離婚するのが
こわいから 結婚するのもやめておこう、、、と
思う人が多いみたい。これ、以前にも読んだけど
今となってはよくわかる。たぶん日本よりもっと
「結婚の弊害」が社会的に認知されている国だからこそ
そういう視点になるのだろう。



 「結婚」ってイメージはちょっといいけど
現実的にはいいものなのか?先日テレビで
結婚したくない独身タレントが結婚したばかりの
タレント達の話を聞いて説得させられる番組をやっていたけど
結局の処日本の芸能界も離婚ばっかりつづいてて
「どうせあんたもそのうちなんでしょー」
そんな空気も流れてる。
なんであんなにラブラブそうで すぐに離婚してしまうのかって
一度ブログでかいてみたけど それは女性が自由になったから。


 自由に生きてきた女達 を結婚はがしっと縛って
結婚式をすぎてみると ボーヴォワールが描いたように
そこにはかつて自分の母がやってきたことの繰り返し
単調な日常が繰り返される。彼女は『第2の性』だけでなく
自伝の中でもこう語ってた。


 大人達は人生は楽しくない 人生は小説のようではないと
繰り返し言うのであった そんな大人達をみて
私は気の毒に思った。毎日毎日 料理 洗濯 皿洗い
これらのことは無限に繰り返され どこにも到達しない
私の人生も同じようになってしまうのだろうか
そんなのは嫌だ!と私は自分に言った、、、


 人生は楽しくない 人生は小説のようではない?
子供達は毎日笑顔で楽しく発見をして生きているのに
「大人」になるって楽しそう!と大人のマネして生きているのに
憧れの「大人」になったら 人生はそんなものに
なってしまうのだろうか 彼女がみていた
かつてのフランス女性はそんな人生を送っていたけど
実は今でも「結婚」という段階を踏んでしまうと
そんな人生に悩みをかかえ 「自分」を失い
鬱になってしまっているという そんな女性も多いらしい
彼女たちは どんなことを思って生きていたのか
そういう本もフランスではけっこう出ているらしいから
がんばって読んでみたいなあ 

 結局の処 女がそうして自己に目覚めて
「私の人生こんなんじゃない!!」と思っても
それを旦那にいってみたって 「ただの文句」と
思われるだけで「うるさいなー あいつ また言ってるよ」
くらいにしか思われないものなのだろう。

 女達 は 声を持ってる 一応言葉を持っている。
結婚という 経験しないとわからない ちょっと
おそろしい経験や 子育てという 経験しないと
イメージできない これまたすさまじい経験をして
文句や愚痴を言えるくらいの声はもってるわけだけど
それは愚痴 で終わってしまって 夫に押さえ込まれてしまって
社会からは 封印されてて 他の人には届かない。


 私も子供を産んだとき はじめて「女の世界」をしって
あー自由に生きてきたけど 自由な女性と思ってたけど
女達は 嘘をついてた 本当はみんな知っていた
隠蔽された 女の世界が 産んだとたんに「ほらあんたもね!」と
「あんたも私たちと同じ道よ いままでのは 全部幻想」と
そんな感じの 恐ろしい 隠された女の世界に出会ってしまった。
そして女達は口を開いた 電車の中で バスの中で
見知らぬ女が口をひらいた 「あんたも同じ女なの、、、」


 サバルタンは語りうるのか?女達は語りうるのか?
女は声を出している 女はおしゃべりは大好きだ
カフェなんて 女達の打ち明け話で満ちているけど
けれど声はどこにも届かない。 もっと違う声が必要なんだ
女としての経験や 女としての苦悩をきちんと 伝えて
変えていくように。 女たちはだまってた。
少なくとも 私は子供を産んでみるまで「女の声」を
聞けないでいた。 どんなに苦しみもがいていても
黙っていたら 伝わらないし 夫にいっても
聞く耳をもってもらえないなら きいてもらっても
そこで止まってしまうだけなら 女はもっと
せっかく受けた教育を きちんと活かして語るべきだろう。
女でなければ 女の境遇は変えられない
言葉にならない経験を 伝えにくい経験を
なんとか言葉で語ること そして女が変えてゆくこと

 フランスでは ボーヴォワールががんばって
その後も沢山の人が続いていった どこにいっても
素晴らしくなんかないようだけど どこにいっても
結婚は悩みの種のままらしいけど
「女の幸せ」なんて決めつけないでほしいけど
少しでも状況がよくなるように もっと自由に
心から笑って生きられるように 女達を応援したい。

母の愛

2009年05月19日 | 女の生き方


 今日は待ちに待ってたスクラップブッキングの講座があって
昨日から街に出てもいいものかと 悩み続けていたけれど
今朝の気持ちで判断しよう そう思って朝起きてみたら
行けそうなので やっぱりいってみることにした。


 ちょっと遅刻はしちゃったけれど れんちゃんも預け
2時間の間、写真をいじりつづけて とても楽しい時間を過ごせた。
そこでいいなと思ったことは そこにいたのがほとんど
みんなお母さんだったということで みーんな子供の
話をしたり 手作りパンの話をしたり 独身時代の話をしたり
仲良さそうに子育てしていることだった。


 そこに集っていた人達は 私以外はほとんど先生つながりらしく
私より10歳ほど年齢が上で 子供達は3歳未満くらいらしい。
今日教えてくれてた先生は 公の場で講座をもつのは
はじめてだったということで 普段は自宅で子供をみながら
教えてるらしく なんだかそんなのいいなと思う。


 最後に先生のブックを拝見させてもらうと アルバムを
つくるだけでなく 手作りのパンやらケーキやらが載っていて
そのアルバムは子供に対する愛に満ちてて こんなの見たら
そりゃー子供は喜ぶよなー!と思ってしまう。


 子供を育てて主婦をしてると ちょこっとした時間しかなく
外ではなかなか働けないけど 今日出会った先生は
自分の楽しいことをして それをみんなに広めていって
だんだん公になってって だけど普段は主婦をしている
そんな生き方も素敵だなー 


 私も時折カフェ文化研究家となっていて
普段は主婦をしているけれど かたわらで色々つくって
子供と一緒に時を過ごしてる そういう方が 外で
がむしゃらに働くよりも 子供にとってはもちろんのこと
母にとってもいいんじゃないか なんだかそんな気がしてしまう


 だって外で働いたって子供が熱を出してしまえば
すぐに迎えに行かないといけないわけで
そんな状況で働いてたら 「昇進!」するようなポストで
仕事ができるわけでもなさそうで その人が休んだときも
誰かがちゃんと変わりに入れる 交換可能なポストにつくしか
なさそうだ。そうじゃなけりゃ ひたすら働き
子供は産んではみたものの 私はあんまり育ててませんと
そういうことになるだろう。(賛否両論あるだろうけど
そうやって公言してる人の子供はどんな気持ちなんだろう?)


 ところで私が電車やバスで会うおばーちゃんは
ほとんどみんな 三才までは自分で育てた方がいいわよと私に
伝えてきてくれる。「なんでですか?」ときいてみても
的確な答えはでてこないけど「大変だけど一番かわいい」とは
よくいわれる答えのひとつ。ハルハウスのおばさんは
はじめの三年がんばったなら後が楽だと
はじめの三年虫歯がなければ一生虫歯と縁がないような
(私は母のおかげで虫歯がない)そんな答えを教えてくれた。
母乳育児もはじめの2ヶ月が大変だけど そこでふんばれば
後が楽 と つまりみんな 初期値の関係性を
どうつくるかで 後が変わると それを教えてくれている。


 母が愛を注がなかったら そこで飢えてしまった愛は
どこでどうしてもなかなか満たされるものではなくて
恋人に求めてみても カウンセラーにもとめてみても
無償で 絶対的な愛というのは なかなか他には存在しない
だからこそ 愛が一番必要な時期に きちんとそれを注ぐことが
大切なこと なのかなあ


 「三ヶ月から働けるわよ!」といわれてみても
三ヶ月の子供はどう考えても母をめちゃくちゃ必要として
2歳になってもママ!!ママ!!と言ってるわけで
それを「仕事の邪魔」だと思って 無理矢理仕事に復帰するのか
仕方がない と受け入れて 自分の道を空いた時間をなんとか
つかって ちょこまか追求していくのとでは
のちにはどっちがいいのだろう。


 スクラップブッキングの先生の子は そのアルバムを
みただけで 何があっても 自分がいかに愛されてたかが
わかるだろう。れんちゃんも 今のところ あの子の目には
全くもって曇りがなくて ママが愛してくれてるし
呼んだらくるという絶対的な信頼感はあるだろう。
そんな目を 曇らせたくない それだけは私の想いで
そのために いつもごきげんとりな毎日なわけだけど

 先生の生き方はなんだか素敵なように思えた。
FOB COOPをつくった益永さんも はじめはそうして
自宅で教室を開いていたんだそうな そうして自分にしかできない
オンリーワンの人になって 子供もそばで育っていったら
そっちの方が私にとっては よっぽど素敵に思えてしまう
「仕事をする」のは大事だけれど 何のために仕事をするのか
結婚相手になった人が 生きるためのお金を稼いでくれるのならば
自己実現をしていくための仕事をさせてもらうのもいいんじゃないか
そうしていつしか 子供が成長したときに 自分もそれで
だいぶ稼げる そんなスパンでみてみるのも
悪くないような気がするな


 子供がいるから 子供のために
お金がないから お金をかけない方法で
そうしてみんな手でつくってく そこに愛が加わって
そうして私もれんちゃんのパンツをつくり
昨日はマスクを手作りしてみた 
友人はパンやらジャムをつくって販売しているそうな
そんな生活も悪くない。

無理

2009年04月28日 | 女の生き方

 「無理しないでねー」 って 日本では
頻繁に会話に使われるけど そうか、無理しないでかー
そう考えると 何もできない だって無理しないと
友達とお茶することすらできなくて
「無理しないでね」そういわれると 
待ち合わせをして そこに行くのが無理だと気づく


 それなのにがんばって 東京モードの切り替えもできないままに
やたらと街にでていたら つかれがどーんときてしまって
ついにこちらで風邪をひく。誰も助けてくれない場所で
こうして私が倒れてしまうと れんちゃんの面倒もみて
ふらふらになるしかなくて 本当にどうすりゃいいのかわからない。
週末は金沢旅行にいくつもりでいたというのに
それも全部キャンセルで そうか子どもがいるというのは
旅行するのも無理なんだ、、、と顎然とする。


 実家にくらいは帰れるけれど それも新幹線のドアから
ドアに送り迎えに来てもらってやっとのことで
一人では今でも烏丸までしか行かれない
そんな私が 独身の人と話すと つい昔のことを思い出し
あれもこれも やりたくなって 妄想だけがふくらんで
あまりに厳しい現実を 現実によって思い知らされ
全てを断念しそうになるのがもう辛い。


 あーあ せっかく自我に目覚めてみたのにな
もう自分も大事にしようとおもっていたのに
そういうことはやってもやっても無理があり
何もかもがうまくいかない そうして家も大変になり
そんなところで風邪をひいたら もう何もかもがたちゆかない。


 やっぱり諦めが肝心なのか そう思い始めていたところ
バスで出会ったおばさんに「この子は福がある顔をしている
こんな子を授かったというだけであなたは幸せなのよ!」と諭され
旦那のお父さんにも「いやーあの子は素晴らしいものをもった子だ
今はねえ 自分のことはおいといて子育てしたらいいんだよ」と
言われてしまう 今が一番大変だけど 今が一番幸せなとき、、、
子育てを終えたみなさんが 口をそろえていう言葉。


 そんなかわいいれんちゃんが 一番いい顔をするのは
私と遊んでいるときで 一人でも遊んでくれてはいるけれど
お母さんと向き合ったとき 満面の笑みを見せてくれる。
私もそれが嬉しいし れんちゃんもそれが嬉しいわけで
相思相愛なこの時間を 外に向けた私の自我が打ち壊すなら
やっぱり自我はいらないのかな 家庭にちゃんと目をむけてれば
身体もこわすこともなく 幸せな時間があるのに
外に目をむけ 人をうらやみ 自分も!と思って焦ってしまうと
何もかもがうまくいかない。家庭で二人は辛いような
だけど幸せでもあったような 実際のところどうなのだろう。


 子どもを持った人にとって 遠くへ行くのは無理がある。
ことわりにかなったことは家庭中心にすることなのか
職場復帰をしている人もいるけれど 私にはそんなことは
どうやらとんと無理らしい。こうやって 家庭中心にいきてって
知らないうちに 生きてる範囲がせばまってくと
いつの日か 私がかつて出会ったような「街というのは
近所の街で東京になんて生まれて一度もいったことのない」
そんなおばあちゃんになるのかな。かつてその人と会話したとき
「自由な女子大生」の私には全く意味がわからなかったし
そういう世界をイメージすることすらできなかったけど
今になったらなんだかわかる。彼女は女性だったから。
子どもをもって 家庭を守って生きてく人は狭い範囲でしか動けない
それってとても悲しいけれど それが理にかなっているのなら
受け入れるしかないのだろうか かつての日々を懐かしむより
自分の道を見つけたいけど いまはなかなか見つからない。

時間

2009年03月04日 | 女の生き方

 最近ちょこちょこまわりの人から
「こんなのどう?」という話をもらって
「面白そう!」と思う度「一人だったらそりゃ行きます」と
つい思ってしまうけど 毎日毎日家からなかなか出られずにいる
私に実際 どこかで何かをすることなんて可能なのかと
ちょっと哀しくなってしまう。


 毎朝起きて体操するたび今日は元気に外にいって
やっぱり身体を鍛えよう!と思うけど
朝の家事がはじまって あわわわ、、、と追われていると
ああもう10時、11時 お腹が減って二人分のご飯をつくって
なんとか食べ終えてみると え!もう2時!!そして私はくたくただ。


 みんな一体どうしてるんだろ?家事と子育ても両立できない
私にとって みんなもそうかと思っていたけど、昨日ママ友になった
人の家にわけあって朝早くにおじゃまをしたら なんと
きれいに片付いていた!朝の10時なのに なんで どうして?
こんなに朝からすっきりしてたら さぞかし時間があるだろう。
私は彼女と出会った時には 行動的な彼女はきっと家はほったらかしに
なってるんだわと思ってたけれど大間違いで 朝からどーんと
ショックを受ける。そして片付けの本を読んでは 有元葉子さんは
ご飯を作り終えると台所もピカピカなんだというのを知って
また再びショックでドーン。


 どうしよう 私も片付けしないとな と
気持ちばかりが焦ってしまい やっぱり何かをするには
できる主婦になってから で 家事をすっきりこなしてはじめて
他のこともできるのかなあと そういう思考にとらわれては
何もできない そんな自分がコンプレックス


 そりゃあさー 世の中得意不得意あるよねえ
私家庭科なんてだめだったもん でもそれが得意な人もいるわけで
げんきくんの妹さんの家に遊びに行くたび あまりの手際のよさに
圧倒されてショックを受けているけれど 彼女家庭科!って感じだもん、、、


 そんな想いを抱いてみても 現実の状況は何も変わらず
どうにかこうにか 時間をつくっていくしかなくて
妊娠中は なんとか本を書き上げたから 無理をしないで
こつこつきちんと続けることで やっていくしかないのだろう。


 「もーどうしたらいいんだろう!?」と母に相談してみると
「10年は子育てに専念したら!」と言ってのけたあの母は
今度はけろりとこう言った。「あんたの人生も大切だから
後悔しないように頑張りなさい!預けるのもありかもよ」
え えええ?そーなの?そーかもねえ、、、

 母は私を4歳になるまで家庭で育てたらしいのだけど
私はこの後どうなるのだろう れんちゃんはとてもかわいくて
預ける?と考えるほどに愛しさが増し かわいすぎる!!と
思ってしまって 当面はそうはならないような気がするけれど
自分の時間が欲しいとき 本の一つも読みたいときや
いろんな作業をしたいとき どうしてったらいいのだろう
ベビーシッター?一時保育?近所の人に預けてみるとか
1日2時間くらいでいいから ちょっと時間があったらいい

 そう思って昨晩はれんちゃんの横で「無双原理」の本を読んだら
小難しめな本なのに55ページも読んでしまった。れんちゃんは
お腹さえすいてなければ けっこういい子にしてくれるから
一緒にいれば カフェのように 同じ空間にいさえすれば
二人で別なことをしてすごしていられるのかな
少なくとも 家事を私がしている間は
そうしてもらっているわけで 家事を短縮できたなら
自分の時間が増えるだろうか そうしてちょっと「仕事」をすると
つかれたときに見るあの笑顔が よりいとおしく感じられ
れんちゃーん 癒してーと思ってしまう。
スキンシップして癒されるのは 私だけではなさそうだから
二人して楽しそうにしているわけで まんざら悪くもないかもな。


 オルタナティブって何なんだろう
女性の自由をとるために 保育園に預けることか
大変な場所に子供を連れて行くことか
何をしたって「エゴ!」とは言われそうだけど
そう言った人が面倒を見てくれるわけでもないわけで。
子供のために!と自分を捨てて 二人っきりで頑張っている
若いママも見てきたけれど みんなちょっぴり
笑顔が疲れているかんじで 口をそろえて「ほっとしたい!」と
言っていて オルタナティブって何なんだろう
そもそもそんなのあるのかな
自由な女性として生きてきた 私はどこに行くのだろう
かつては子供なんて欲しくないと思ってたけど
うまれてみたら れんちゃんはあまりに可愛く
自己も犠牲にしてきた(?)けれど
この先はどうなるのだろう 
子供と一緒にいる社会 子供が一緒にいる社会
そんな社会をつくっていくため やっぱりおんぶも必要か。

ママから時代は創られる?

2009年02月25日 | 女の生き方

 昨日は2年ぶりくらいにアフリカ帰りの友達が
我が家に泊まりに来てくれて 久しぶりに
熱く語って 充実した夜だった。


 最近は私にも春が来たのか 自分らしさをとりもどし
だんだんと熱くなってきて 先週5日間ほど
旦那の母が来てくれたときも 夜中の2時まで
熱く語って というよりは お母さんの熱い語りを
きいていて こんなにも熱い想いに応えられない
そんな自分が恥ずかしかった。


 おかあさんは今愛知県の設楽ダムという
建設予定のダムの反対運動をがんばっていて
何度聞いても うーんといまいち興味を持てないままでいたけど
その日の夜は本当に熱くて 体系だって話してくれて
ああそうか 私のやってた色んな環境問題と
ダムも密接に結びついてて もしかして
私も必要とされてるのかも そう思った夜だった。


 おかあさんはこういっていた。
「ダムは国家の犯罪よ!」
「環境問題は母親に課せられた問題かもしれない、、、」

 かつて環境問題を 第三次世界大戦のようなものだと
考えていた私にとって 彼女の言葉は力を持ってて
母になり 異常気象の中子供のことを考えて
環境問題に舞い戻るのが私の道かもと思ったりした私にとって
環境と母親というのはピンときた。


 そんな中 久々の友人といろんなことを熱く語って
彼は私の本のタイトルをもじってみては
「ママから政治は創られる?」とか
「ママから時代は創られる?」とか 面白いことを言ってくれ
そんなのさー むーり無理!とはじめは言っていたけれど
靍森母も 子供が保育園にいたときに 初めて政治運動をしたと言い
そういえばうちのおばあちゃんも 28年も市議会議員をしてたのは
子供を育ててみたからだろうか 子供をもつと視点がかわる
20年先もこの子は生きる 生きていてほしいから
そういう視点で物事をみる。無垢なこの子に責任はない
責任があるのは親になった自分の世代で
もう自分の親の世代を批判している年じゃない。


 主婦なんて!と思っていたけど
主婦にはけっこうゆとりがあって
子供をみつつもやりくりすれば なんとか時間もつくれるし
長いスパンでものをみれるし 活動をしようと思えば
平日だって動けるわけで 意外とそんなに悪くない。


 どうしていくかはわからないけど 
私はまずはcafeをして そこで上映会もしたりとか
泊まれるようにもしたりして 我が家cafeから
いろんな議論をしていけば それらが頭に残った人は
また他の場所でその話 を するだろう
そうして花粉が飛んでって 何かが広がりゆくのかも


 私が書いたあのタイトルは 熱い想いがこめられていて
研究書なら cafeから時代は創られた と過去形のはずだろうけど
過去形にせず あえて現在形にしてみたの は
あの本は私の思想であるからで 「創られる」と一般化して書いてみたのは
きっとそうだと 過去だけでなくこれからも きっとそうだと
私が思っているからで 最近誰かと話していく度
自分の中で確信が強まっていく。社会は大きな枠組みだけど
フランス人は社会を変えた。日本でも 日本のどこかで
日本流の動きの中で もっと社会が変わればいい。

母親という経験

2008年10月21日 | 女の生き方

 明日でなんと れんちゃんはもう4ヶ月に突入し
昨日体重を計りにいったら7キロをもう超えていた。

 
 母親になって4ヶ月 すっかり母になったけど
母親という経験は 実行委員長にちょっと似ていて
あまりに責任重大だから 逃れたい気分になったり
母だからこそ実感できる 幸せな気持ちに満足したり
これでいいのかと自問自答をしてみたり
もうやめたいと思ったあとには もう一人産んでみたいと
思ったりして 色んな気持ちが交錯してる。


 母になってよかったなーと思えることは
どうしたって 父親よりも 面倒をみないといけないわけで
その分我が子の一挙一動をみていられるし
かわいい仕草も天使のような笑顔もみーんな
自分でちゃんとみていられること。

 そして愛しいれんちゃんは 私をとっても愛してくれて
どんなにみんながれんちゃんをかわいがってくれていたって
私のところに戻ってくるんだ そう思えると
子供が好きなら 母になるという経験は
とっても素敵なことだと思う。
それほどまでに 我が子は自分を愛してくれて
天使のような笑顔をいつも見せてくれるから
ほんとうにありがたい。


 子供って可愛いから育てられるというけれど
こりゃ本当だ 大変だけど 捨てられないようにできている
あの笑顔と愛嬌で 愛されるようにできている
そしてそれに癒されている そんな時間がありがたい。


 子供ができてよかったことにはもう一つ
驚くほどに知らない人から話しかけられるということがあり
ホームレスのおじさんも バスで出会ったおばさんも
バスに乗ってた野球少年も 病院であったおばさんも
カフェにいるお客さんからも みんなに笑顔で
声をかけてもらうことができ それがとっても温かい。
赤ちゃん力って本当にすごい。何の関係のない人達も
どんどん結ぶ力があって 今まで場作りとかをしてきたけれど
これほどまでに 壁をつくらず 他人から声をかけてもらえる
存在は これまで一度もみたことがない。
妊婦時代は数えるほどしか声をかけられなかったけれど
今では毎日見知らぬ人に声をかけられ
それがとってもありがたい。赤ちゃんって ほんとにすごい。


 赤ちゃんの笑顔というのは 大人達の色んな壁を
とかしてくれて れんちゃんは優しいようで
声をかけられた色んな人に笑顔をみせては
大人達が「いやー笑ってくれたわこの子!!」と言って癒されている。
そうしてちょっと渇いた日常に あたたかい潤いを
もたらしてくれる 赤ちゃんはそんな存在であるらしい。


 母親にとっては 子育てや家事やら何やらするのは
大変だから 子供が全くの癒し系ではないけれど
それでもちょっとした時に見せてもらえる
あの笑顔は本当にうれしくて 母親だから
うれしくってキスをしてみたり お腹に顔をすりすりしたり
どれだけスキンシップをしてみても 後ろめたいこともなくって
れんちゃんと楽しい時間を過ごしていられる 
それはとってもありがたい。


 「子育てってどうですか?」ときかれると
私はいつも「大変です!!!」と言うけれど
その大変さは実行委員長の大変さとよく似てて
大変だからもうやめたい と思うくせに
それだからこその充実感もあるわけで
もうやらないぞと思っていても 
気付くとまた手を挙げてしまってる
そんな感じになんだか似ている。

 母はとっても大変だけど おっぱいをあげること も
これほど太い絆で子供と結ばれることも 父親には
できないようで それがちょっとしたアドバンテージ?

 母になったら かつてのようには生きられないけど
かつてはなかった喜びもある かつてはなかった出会いもあって
難しいけど なんだかとても 大事なことをしているような
自由じゃないけど きちんと背負っているような
そんな気もして 結局のところ あともう一人は
子供が欲しい ついそんな気になってしまう。

自由な女

2008年10月15日 | 女の生き方

 最近は少しずつ かつての自分がしていたことに
ほんの少しずつ近づけていて 先週は北斎展に行ってきて
今日はようやく映画に行けた。どれもこれも
家族の協力があってこそ で 今日は祖母にみてもらって
そうして行けたレディースデー。


 文化的なものが生活にないと生きていけない
そう思っていた私だけれど 映画はもう半年ぶりなくらいであって
何を観ようかと思っていたら 友人が勧めてくれた
「Sex and the City」があった。しかも今週で終わるらしい。


 前からなんだか気になってたし これはこの際観るしかない!と
ちょっと風邪気味の身体でパソコンを開けてみて
初のネット決済をする。映画がこうして観れるのも
祖母が居てくれ しかも映画館まで歩いていける
この環境にいるからだろう。この機会は逃せない。


 そうして楽しみに観たこの映画 は 想像以上に
深く私に入ってくれて わかるわかる!!この苦しみ!と
思ってしまう。特に結婚式の前夜祭で「結婚なんて最悪よ!」と
ついもらしてしまった既婚女性のその想い。彼女は「つい
はずみで」なんて弁解をしてはいたけど ずうっとそんな想いが
なければ そんな日にそうは言わないだろう。
結婚をすることを みんな「おめでとう!!!」と言うけれど
女にとって 自由に生きてた女にとって
好きに生きてきた女にとって 結婚は幸せを意味するかなんて
なかなかそうは思えない。


 けれどもその一言が発端なのか 新郎に急に結婚自体を躊躇され
結婚式に行くことを踏みとどまられた新婦が路上で自暴自棄になる。
そんな気持ちも そしてそれから何もできなくなってゆく
そんな気持ちもよくわかる。私もかつてパリの路上で
国際電話をした際に 急に結婚を延期にしようと切り出され
自暴自棄になって死んでしまいたい気持ちになった。
そんなことが 思い出された そのころはそんなにも
結婚したくて やっぱり何かに憧れていて
けれども今は既婚女性の苦しが 痛いほどによくわかる。


 結婚は してみないと できないけれど
しないままでは どんな風に言われてみても
憧れが苦しみをすぐ上回り 「まあ私たちなら大丈夫!」と
思えてしまう力があるのだろう。だけど本当は
そんな思いはみんなしていて そんな思いをしていた人が
あとになって離婚をしたり「結婚は忍耐だ」と
口にするようになるのだろう。けれども何が辛いのかって
なかなかうまく言葉にできはしなくて だからなんだか伝わらない。


 どうして人はこんなにも自由に生きて
自由に相手を選べる時代になったのに
世界的に離婚が非常に増えたのだろうと思ってたけど
今日の映画で悟ってしまった。それは女性が自由になったから。
今日はこんな言葉があった。
「あなたのことも大切だけど 私にとって
自分はもっと大切なのよ!」自分よりもあなたのことを
大切にしつづけて 自分のことができなくなってく
そんな人生にふと気がついて 自由な誰かや かつての自分が
うらやましくて 何かの機会に自問自答してしまう。
そうしてこんな言葉があった。
「久しぶりに自分を取り戻した感じがする」のだと。


 一人でずっと生きていくのは淋しくて
そして恋人を求めてみるけど 恋いに落ち て
「結婚しよう!」とその絶頂のような そんな言葉を
発したときから 見えないラインで 二人の関係は変わり初めて
女達の人生は 次のステージに移り始める。
その人生は 憧れでも 華やかな式とも全然違った
掃除 選択 料理など の 終わらない日常の繰り返し で
華やかに生きてた人でも 普通に生きていた人も
本当は誰も変わらない。特に子供が生まれてみたら
自分の母がしてきたことと 何も変わらぬ日常で
自由に生きてきたはずなのに?と 強い葛藤が待ち受けている。


 自由と孤独は紙一重 で 映画の中には「家族がいる
よさっていうのは大晦日の日に一人でチャイニーズフードを
食べないで済むって事ね」という台詞があったけど
家族があって お互いがお互いに責任を持ち
そうしてお互い縛ってしまって 自由はどこかに飛んでゆく。


 独身女性がうらやましいとは もうそんなに思ってないけど
子供の笑顔はかわいいけれど 自由がないとは言ったところで
時間には縛られなくて それが自由かもしれないけれど
こういう状況になったからこそ 本が書けたのはあるけれど

 だけど映画を観てしまうと 色んな事がうやらましい。
私も女友達と素敵なところでランチしたいとか
ニューヨークに住んでみたいとか
海の見えるリゾートに行ってみたいとか
ワインとチーズが食べたいだとか


 そんなことを思うけど


 久方ぶりの明治屋に 帰りに立ち寄る時間があっても
かつて買ってたパスタたち も こんな時くらい
ちょっと食べたいチーズたちも ワインもハムも
パスタソースも もちろん冷凍食品も
フランスの焼き菓子たちも みーんなみんな
食べられなくて 結局買うのは胡麻油。
そして食べるのはご飯に味噌汁 あーニューヨークがうらやましい!


 自由な女をたくさん生んだ パリやニューヨークの映画だからこそ
彼女たちは その葛藤を沢山表現してくれて
自由になった日本で生きた 私もそれがよくわかる。
自由だからこそ得られたものも 自由なだけじゃ得られぬものも
無責任な楽しさも 責任を負ってるからこそのじんわりとした
楽しさも どっちも存在するのだろうけど
もうステージは変わってしまって 人より早く結婚をして
子供を産んだ 自由な私の行く先は 一体どんな なのだろう?
もうちょっと映画を観たら 何かヒントが見えるのだろうか
それとも自由に憧れてただ葛藤をするんだろうか。

 沢山の生き方が交錯する中 私も素敵に生きてみたいけど
いつの日か どこかに到達できるのかなあ
自由に生きてしまった私は まだまだ不安を抱えてる。

第二の性

2008年08月03日 | 女の生き方

 マタニティブルーを乗り越えたかなと思ったら
また次の波がやってきて また乗り越えたと思ったら
また次の波におそわれる。


 最近かつての2倍以上のおっぱいをのむれんちゃんは
時間もめちゃくちゃかかって飲んで おっぱいを
あげてる以外に 何もできることもなく
母にちょっと 家事をしろとか 京都に帰ったら
どうするんだと 脅されるたびに怖くなる。


 それだけじゃなく わたしのおっぱいは傷だらけで
右のおっぱいは傷がついてて 左もなんだか痛かった。


 この痛みは何なのだろう?そう思いながら吸わせていると
れんちゃんが叩くことに気付いて もしかしてあざ?と
恐ろしくなる。本当に 想像を絶するばかりに母乳育児は大変で
かつて耳にした「一、二ヶ月は大変だけどどうかがんばって
乗り越えてください そしたらあとがずっと楽だから」という
そんな言葉だけを胸に 何がいいのかもわからずに
ひたすら母乳でがんばってきた。


 だけど 私は疲れてしまった もう限界か もうやめたい。


 そう思ってもうミルクにしようと 昨晩はミルクを
あたえてみたけれど 必死になって 母乳育児をがんばってきた
私の身体はおっぱい生産マシーンと化していて
れんちゃんが起きなくっても 私の胸はパンパンに張り
大量のおっぱいが生産されていた。もうそんな身体になったんだ。


 そして今朝 母にそのしこりについて相談したら
「もしかして乳腺炎?」といわれて突然ドーンとブルーになった。
なんで?和食を食べてきたのに? もしかして 甘いもの の食べ過ぎか



 母乳育児も育児自体もしんどくて 唯一のストレス解消に
お菓子くらいは食べてたいのに 友達がきたらお茶をして
お菓子くらいはつきものなのに それまでだめなの??

 おそろしかった「母乳に悪い食べ物たち」を
チェックしてみると あれもこれもだめであり
食べられるのは和食の粗食?カフェなんてもってのほかで
コーヒーはだめ!と書いてある。もう 生んでも何も解放されない。


 結局のところ 結婚しても 子供を産んでも
「幸せにするよ」だなんて言われても 男の人は
自分の好きな道を歩んで 女の私は 自分の意図とは裏腹に
専業主婦になっていて 「家事はできて当然」とされ
育児と料理と掃除洗濯 それが私の人生なのか?
れんちゃんは げんきくんと私の半分 そう思っても
今の育児は100パーセント私にきてて
精神的にも支えてくれずに プレッシャーがかかるだけ。


 たくさんのことを考えた上で それでも私は結婚をして
1年2ヶ月が過ぎていくけど 結婚をして よかったのか
後悔したのか どちらが大きかったかといえば 今はまだ
後者のほうで 結局のところ 女の人がどんなに自由を求めても
その代償は 悲しいことに女にまわりまわってくるから
料理も育児も 私は放棄できなくて 受け入れてみるしかないわけで


 第二の性って そういうことか 劣性って そういうことか
劣性じゃなく 本当は 女の人こそ力があると
そう思っていきたいけれど そのために は どうもこれらの
「女に与えられた役割」は 無視ではなくて 乗り越えていく
それしか道がないようで 本当に女は大変!そう思う。


 子供が欲しいというのは簡単で けれども育てていくとなると
母親が育てることになるわけで 母乳育児もまたしかり。
「こんなはずじゃなかったのに」と思ってみても
家事より育児は待ったなし で 一日たりとも休みがない。


 壁は乗り越えられる人の前にしか とか言ってみたって
私のまわりは壁だらけで 実家にいるのに四面楚歌 な
気がしてしまう 「幸せにするよ!」と言ったのならば
男性達にこういいたい。せめて鬱にはしないでほしいと






母になる

2008年07月06日 | 女の生き方

 我が子を産んで気がついたらもう二週間が経っていて
その間今日まで一度も外出もせず 一回もコーヒーも飲まず
もちろんカフェにも行くことがなく ずっと部屋にいるけれど
それでも全然文句がでない そんな自分に驚いた。


 母になるとか 良妻賢母という言葉なんて
まるで好きではなかったけれど 子供を産んだら
母という運命が待ち受けていて 意外にもそれは
すんなりと受け入れられる運命だった。

 
 子供を産んだその当日に 病院に来た友達は
「美樹の顔が母になってる!」と驚いていた。
昨日までは 友人とパスタを食べて 一昨日までは
お茶のお点前をしていた私が ある日を境に母になる。
第二の人生が始まったのだ。


 母性本能という言葉だって 私は嫌いだったけど
その本能というものは 子供を産むとようやくでてくる
ものかもしれず 本能的に 子供がほんとに可愛くて
私と私の手伝いに来ている母が毎日毎日交わす言葉は
「暑い!」と「れんちゃん可愛い!!」ばっかりで
この子のためなら、と思えてしまう そんな自分に驚くばかり。


 母の愛って ほんと深くて ほんと無償で
涙が出そうになるけれど 童謡を聴くたびに
そらで歌える自分に気付いて母に感謝をするけれど
我が子に向かって童謡を歌う そんな自分には
なんの「わざわざ感」もないわけで
我が子だからこそ 自然にできる 自然に歌が出てきてしまう
そういう愛が 母性本能なのかもしれないなあと思う


 たくさんの奇跡的な確率の中 妊娠をして
子供が生まれ その子が大きく育ってくなんて
ましてや結婚をするだなんて 親にとっては
信じがたいほどありがたいことなのに
だんだんとそれが当たり前になってきて
ついつい欲が出るらしい


 けれどもはじめはみんなが思う
ただただ元気で大きくなあれ!
どうか元気に育ってほしい
そしてすてきな家庭になったらいい

フランスに行くなら

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