僕が癌の病気をした時、Dr.に原因を尋ねた。はっきりした原因は解らないが、ストレスが原因だろうと言う答えだった。僕には、ストレスなど全く存在しないと思い込んでいただけに、ショックであった。人間は、ストレスの社会から逃れることはできない。大切なことは、どれだけストレスの重さを軽くできるかだ。やはり、失敗、嫌な体験、苦しみなどを挫折とは考えないで、成功のための階段と考えられる、ポジティブな考え方のように、全ては心の持ちようなのかもしれない。僕の好きな言葉に、こんな教えがある。「不将 不迎 応而 不蔵」(過ぎたことにくよくよせず、先のことに取り越し苦労をせず、事態に対応して、心に嫌なことを何もとどめないこと)。ストレスは誰がつくるものでもなく、自分自身が作り出すものかもしれない。
何でも犯罪、かんでも犯罪。とかく生きにくい世の中になった。人間は、どうしたら完全に清廉潔白な状態で存続できるのだろうか?それとも、所詮、無理な話だろうか。巷では、どんな人間も叩けば埃がでる、と、人間叩きが頻繁だ。出る釘叩きを楽しんでいる。弱い人間は叩かれ、ずるくて強い人間は、悠々自適に犯罪を楽しんでいる。弱肉強食、百鬼夜行…弱い人間が犯罪者にされ、強い人間が正義だとしたら、恐ろしい世の中だ。どこかの国のようになる。耐震建築問題も、株分割売却問題も、我々一般人には容易に理解できない。もっと大きな悪の力が働いているような気がする。評論家も批判家も、誰かを攻撃している時は勢いは良いが、自ら墓穴を掘ることが多い。本音が見えない。犯罪とは、生きていくための知恵ではないはずだ。
教育界のリーダーである、校長先生も、教育委員長も、教育長も、教育委員会の面々も、誰が選び、どんな過程で選抜されたのか、ほとんどの市民も県民もわからない。疑問すら持たないのが現実かもしれない。よく考えて欲しい。人間は教育されて始めて人間になる。世の中の全ては、教育に始まり、教育に終わる。他人事ではない。人生の全てを決定するのは、教育者であると言っても過言ではない。自分の生き方を託す教育界のリーダーがどんな形で選ばれているのかを疑問に思わない市民、県民は、教育を何と心得ているのだろう。
教育界のリーダーは選挙で選ぶべき!選ばれるべきだ!

