僕がハワイの大学に在籍していた時、母親のように親身になって僕を支えてくれた人がいた。名をアリス・ローガンという、日系二世のアメリカ人である。大昔の日本語を時折混ぜながら、ピジン英語という独特のハワイ訛りで、いろんなことを教えてくれた。食べ物がない時も、お金がない時も、住む家がない時も、どんな時も、困った時はいつでも、救いの手を差し伸べてくれた。貧しい藁葺きのような彼女の家は、決して豊かには見えなかった。彼女の部屋には、パンダナスとハウの木の葉で編まれた大きなゴザが部屋一杯に敷かれていた。浮浪者のような、と言うと失礼だが、とても質素な部屋だった。本当はとても豊かな人だけど、昔のままに自然に生きていくことを、ハワイ流、日本流に生きていくことを、自分の生き方にしていた。僕が遊びに行くたびに、満面の微笑みで歓迎してくれた。杉の老木のような、心がとても深くて暖かい人だった。僕がハワイを去るときに、涙をいっぱいに浮かべながら、アリスさんがくれた金の指輪が、今も僕の指にしっかりと思い出を残している。指輪の上にデザインされたハワイの波紋は、僕の青春の足跡である。悲報が届いたのは今朝だった。何歳になられていたかは定かではないが、80歳をとっくに越えていると思う。すぐさまハワイに飛んで行きたい気持ちを抑えるのは大変だが、きっと僕の思いを解って下さるだろうだろうと、太平洋を越えた鹿児島の地から静かに冥福を祈ることにする。アリスさん、さようなら・・・