一年目漕手の和田です。
「広背筋が筋挫傷しているね。肉離れの手前って感じかな」
引退した四年目の先輩の不動さんから言い渡されたその言葉を聞いて、私は驚きを隠せなかった。
思考は一瞬にして脳内を駆け巡る。
ーーーー新人選手権のクルーに選ばれたってのに、どうなるんだ、これかの練習はどうなる、試合に支障はないのか、、、
ケガの理由は簡単なものだった。背中を丸め、腰を立てて漕ぐ、このフォームの確立ができていなかったのだ。
不動さんにしていただいたアイシング用の氷で肩甲骨が冷える。痛い。
出場するはずだったヘッドレースの棄権は余儀なくされていた。
日に日にひどくなる背中の痛みに違和感を感じ始めたのは半月ほど前、自分に知識がないのをいいことに誤魔化し続けてきた。
「事なかれ主義」の毒。足音は小さいが回り始めるともう止まらない。
違和感が激痛に変わっていく。
意外なことに、一番先に頭に浮かんだのは二人乗りの艇「ダブルスカル」クルーの青木義忠のことだった。
どんな日の朝も日の出前から集合し、「ダブルスカル」を共に漕いだ。
一緒に練習しているだけのことだ。そう思っていたのが1月たった今、ボート用語である「クルー」その言葉の本当の意味が分かるようになっていた。
「何かを失って初めてその大切さがわかる」という経験は、いつだって初めてではないのだ。人生の皮肉がそこにある。
試合前に迷惑をかけてしまったな。本番までにケガが完治することはないにしても少しでもマシにしておこう。ここまで二人でやってきたんだ。
「大丈夫か、和田。」
背中にアイシングの氷嚢を抱えた私に青木義忠は声をかけた。
「筋挫傷だってよ。大きく息をしただけで痛むんだ。」
「そうか。」
「試合直前の今に、本当に申し訳ないと思っている。」
「そうか。」
「怒っているのか?。大事な時にやらかしてしまうこの俺のことを」
「いいや。そんなことはないさ。」
「できるだけのことをするつもりだ。許してほしい。」
「ああ。」
「青木、すまない。」
少しの沈黙のあと、彼は口を開いた。
「大丈夫だ。きっとうまくいく。」
そう語る彼の息は白く、茨戸川に消えていった。
冬が、近い。