(1)横田増生は、2005年に『潜入ルポ アマゾン・ドット・コムの光と影』を情報センター出版局から刊行した。
横田は、2003年11月から2004年3月までアマゾンジャパンの物流センターで作業員として「潜入」した。このアルバイト体験を縦軸とし、勤務中に見聞したり退職後に調べたアマゾンの極端な秘密主義の裏側にあるものを横軸として、この本は成り立っている。
この単行本が、朝日文庫版の第一部をなす(若干加筆されている)。
第二部は、2009年から2010年まであらためて取材し、書き下ろされた。
(2)アマゾンジャパンが日本通運・大阪屋と組んでサービスを開始したのは、2000年11月だ。JR京葉線市川塩浜駅からさほど遠くない物流センターは、1階と2階を合わせて約16,500平方メートル。スタート当時は、1階の4分の1しか使っていなかったが、商品が2階に入るようになった2003年夏あたりから急に物量が伸びた。この物流センターは、手狭になったため、2005年に市川塩浜駅近くに新設、移転した。その後アマゾンは、さらに4ヶ所、物流センターを新設している。
(3)横田が「潜入」した2003年当時、働いているアルバイトは、1階と2階にそれぞれ約100人ずつ、計200人が常駐する。日通とアマゾンの社員は、それぞれ10人足らずだ。アルバイトが、本50万点、CD・DVDなど50万点、計100万点の商品を動かす主な戦力だった。
アルバイトの直接の雇用者は、日通の100%子会社である日通東京配送だが、横田がいくら調べても本社所在地も社長名もわからない「薄気味悪」い会社だった。
(4)アルバイトの作業は、商品が流れている順番にいうと、
「レシーピング(荷受け)」
「ストーイング(棚入れ)」
「ピッキング」
「梱包」
の4つだ。前2つの入荷作業をまとめて「インバウンド」、後2つの出荷作業をまとめて「アウトバウンド」と呼ぶ。
レシーピングは、1階にある40台のコンピュータ端末を使って行われる。本の場合、取次から段ボールやパレットに入ってきた商品を取り出し、コンピュータに登録する。本のバーコードを読み取って、発注の内容が正しいか否か確認する。検品が済んだ商品は、ライブラリーカートに載せて2階に上げる。
上がってきたカートは、2階の1箇所にまとめて並べられる。ストーイングの担当者は、たとえば「A33」というエリアを割り当てられ、カートの本を棚に並べる。棚入れの前に、ハンドスキャナーで本のバーコードお読み取り、「ピン」(棚の入れる箇所)についているバーコードも読み取ってから本を入れる。本のバーコードとピンのバーコードをセンター中に張り巡らされているアンテナが吸い上げ、センター内のホストコンピュータに登録する。
顧客からの注文は、シアトルにあるアマゾン本社のホストコンピュータを経由して市川塩浜の物流センターに入る。センター内のコンピュータで注文内容をソートし、「コレーター」(ピッキイングの工程を管理する日通の社員)の指示を受けてアルバイトがピッキングを行う。
ピッキングが終わったカートは、ふたたび1階に降ろされ、内容のチェックを受けてから梱包される。荷姿の小さいものは自動梱包機で梱包され、荷姿の大きいものやカレンダーのような変形商品は手梱包される。
(6)アルバイトは、30代から50代の中年が大半を占めている。時々茶髪にピアスという若者がまぎれこんでくるが、作業があまりにも退屈なのか、1~2週間すると姿が見えなくなる。
(7)アマゾンの苛酷な労務管理が英国で報告されているが、日本のアマゾンも苛酷さではひけをとらない。「アルバイトが一瞬たりとも気を抜くことがないようにと、ノルマとコンピュータの監視によってがんじがらめにしていた」
ピッキングは1分で3冊、検品は1分で4冊、棚入れは1分で5冊、手梱包は1分で1個・・・・といったノルマが課されるのである。成績はコンピュータで監視され、成績不良だと契約が更新されない。成績良好だと、
アマゾン社員
日本通運社員
アルバイト
アルバイト見習い
という「カースト制度」の最底辺から一段階あがる者もいる。
(8)アルバイトの契約期間は、2ヵ月間だ。実際には繰り返し更新されることで長期間継続的に雇用される者が多いとしても、契約を更新するか否かは使用者の胸三寸で、アルバイトは強い不安を抱いたまま働くしかない。
昼休憩を一方的に15分間カットされても、誰も不満の声をあげない。嫌そうな表情さえ見せない。
交通費は出ない。雇用保険も、健康保険もない。組合もない。
時給900円は1日8時間、月25日間働いても手取り15万円程度。年収は200万円を切る。
(9)野口悠紀雄によれば、年間所得が300万円(月収25万円)以下だと、大都市では住宅を購入できない。この所得階層の世帯は、最低レベルの生活を余儀なくされている(病気・失業に対処する余裕がない)。
非正規労働者の数は、1980年代中頃には600万人程度だった。その後傾向的に増加し、横田が「潜入」した2003年には1,500万人を超えた。
(10)横田はいう。物流コストを物量の多寡に応じた変動費に変える点で、アマゾンは徹底している。非正規雇用者の比率が高いだけではない。長続きしない。1年継続する者は10人に1人もいない。そして、アマゾンも日通も、人が長続きしないことを「露ほども気にしていない」。
「“使い捨て人材”であるアルバイトを最大限に活用することは、コスト削減のために欠かせない経営戦略でもあったのだ。それはIT革命後に生まれたニューエコノミーの旗手であるアマゾンにとっては、ある意味当然の戦略だった」
(11)鎌田慧『自動車絶望工場』の70年代、季節工の肉体労働はきついものだったが、ベルトコンベア労働に耐えるなら大企業の正社員となって一生家族を養っていくことができる、という“希望”があった。
「アマゾンのような職場にはそんな希望さえ求めることは難しい。この“希望”の有無こそが、(30年前の)トヨタとアマゾンを隔てる決定的な違いである」
□横田増生『潜入ルポ アマゾン・ドット・コム』(朝日文庫、2010)
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横田は、2003年11月から2004年3月までアマゾンジャパンの物流センターで作業員として「潜入」した。このアルバイト体験を縦軸とし、勤務中に見聞したり退職後に調べたアマゾンの極端な秘密主義の裏側にあるものを横軸として、この本は成り立っている。
この単行本が、朝日文庫版の第一部をなす(若干加筆されている)。
第二部は、2009年から2010年まであらためて取材し、書き下ろされた。
(2)アマゾンジャパンが日本通運・大阪屋と組んでサービスを開始したのは、2000年11月だ。JR京葉線市川塩浜駅からさほど遠くない物流センターは、1階と2階を合わせて約16,500平方メートル。スタート当時は、1階の4分の1しか使っていなかったが、商品が2階に入るようになった2003年夏あたりから急に物量が伸びた。この物流センターは、手狭になったため、2005年に市川塩浜駅近くに新設、移転した。その後アマゾンは、さらに4ヶ所、物流センターを新設している。
(3)横田が「潜入」した2003年当時、働いているアルバイトは、1階と2階にそれぞれ約100人ずつ、計200人が常駐する。日通とアマゾンの社員は、それぞれ10人足らずだ。アルバイトが、本50万点、CD・DVDなど50万点、計100万点の商品を動かす主な戦力だった。
アルバイトの直接の雇用者は、日通の100%子会社である日通東京配送だが、横田がいくら調べても本社所在地も社長名もわからない「薄気味悪」い会社だった。
(4)アルバイトの作業は、商品が流れている順番にいうと、
「レシーピング(荷受け)」
「ストーイング(棚入れ)」
「ピッキング」
「梱包」
の4つだ。前2つの入荷作業をまとめて「インバウンド」、後2つの出荷作業をまとめて「アウトバウンド」と呼ぶ。
レシーピングは、1階にある40台のコンピュータ端末を使って行われる。本の場合、取次から段ボールやパレットに入ってきた商品を取り出し、コンピュータに登録する。本のバーコードを読み取って、発注の内容が正しいか否か確認する。検品が済んだ商品は、ライブラリーカートに載せて2階に上げる。
上がってきたカートは、2階の1箇所にまとめて並べられる。ストーイングの担当者は、たとえば「A33」というエリアを割り当てられ、カートの本を棚に並べる。棚入れの前に、ハンドスキャナーで本のバーコードお読み取り、「ピン」(棚の入れる箇所)についているバーコードも読み取ってから本を入れる。本のバーコードとピンのバーコードをセンター中に張り巡らされているアンテナが吸い上げ、センター内のホストコンピュータに登録する。
顧客からの注文は、シアトルにあるアマゾン本社のホストコンピュータを経由して市川塩浜の物流センターに入る。センター内のコンピュータで注文内容をソートし、「コレーター」(ピッキイングの工程を管理する日通の社員)の指示を受けてアルバイトがピッキングを行う。
ピッキングが終わったカートは、ふたたび1階に降ろされ、内容のチェックを受けてから梱包される。荷姿の小さいものは自動梱包機で梱包され、荷姿の大きいものやカレンダーのような変形商品は手梱包される。
(6)アルバイトは、30代から50代の中年が大半を占めている。時々茶髪にピアスという若者がまぎれこんでくるが、作業があまりにも退屈なのか、1~2週間すると姿が見えなくなる。
(7)アマゾンの苛酷な労務管理が英国で報告されているが、日本のアマゾンも苛酷さではひけをとらない。「アルバイトが一瞬たりとも気を抜くことがないようにと、ノルマとコンピュータの監視によってがんじがらめにしていた」
ピッキングは1分で3冊、検品は1分で4冊、棚入れは1分で5冊、手梱包は1分で1個・・・・といったノルマが課されるのである。成績はコンピュータで監視され、成績不良だと契約が更新されない。成績良好だと、
アマゾン社員
日本通運社員
アルバイト
アルバイト見習い
という「カースト制度」の最底辺から一段階あがる者もいる。
(8)アルバイトの契約期間は、2ヵ月間だ。実際には繰り返し更新されることで長期間継続的に雇用される者が多いとしても、契約を更新するか否かは使用者の胸三寸で、アルバイトは強い不安を抱いたまま働くしかない。
昼休憩を一方的に15分間カットされても、誰も不満の声をあげない。嫌そうな表情さえ見せない。
交通費は出ない。雇用保険も、健康保険もない。組合もない。
時給900円は1日8時間、月25日間働いても手取り15万円程度。年収は200万円を切る。
(9)野口悠紀雄によれば、年間所得が300万円(月収25万円)以下だと、大都市では住宅を購入できない。この所得階層の世帯は、最低レベルの生活を余儀なくされている(病気・失業に対処する余裕がない)。
非正規労働者の数は、1980年代中頃には600万人程度だった。その後傾向的に増加し、横田が「潜入」した2003年には1,500万人を超えた。
(10)横田はいう。物流コストを物量の多寡に応じた変動費に変える点で、アマゾンは徹底している。非正規雇用者の比率が高いだけではない。長続きしない。1年継続する者は10人に1人もいない。そして、アマゾンも日通も、人が長続きしないことを「露ほども気にしていない」。
「“使い捨て人材”であるアルバイトを最大限に活用することは、コスト削減のために欠かせない経営戦略でもあったのだ。それはIT革命後に生まれたニューエコノミーの旗手であるアマゾンにとっては、ある意味当然の戦略だった」
(11)鎌田慧『自動車絶望工場』の70年代、季節工の肉体労働はきついものだったが、ベルトコンベア労働に耐えるなら大企業の正社員となって一生家族を養っていくことができる、という“希望”があった。
「アマゾンのような職場にはそんな希望さえ求めることは難しい。この“希望”の有無こそが、(30年前の)トヨタとアマゾンを隔てる決定的な違いである」
□横田増生『潜入ルポ アマゾン・ドット・コム』(朝日文庫、2010)
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