<義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。 --「マタイによる福音書」5章6節
義とは、正しいことと言い換えてもいい。「義に飢えかわいている人たち」とは、イエス・キリストによって正しいことがこの世界に実現することを望んでいる人々という意味だ。こういう人たちの希望は、必ず満たされると説く。しかし、現実の世界には、悪が蔓延している。キリスト教徒は、イエスの生き方に倣って、愛を行動として実践しなくてはならない。
もっとも、いくらキリスト教徒が努力しても、理想的な世の中を人間の力で構築することはできない。キリスト教は、徹底した他力本願の宗教なので、人間による努力に一切価値を認めない。従って、「義に飢えかわいている人たち」の願いが満たされるのは、イエス・キリストが再臨して、最後の審判が行われるときなのである。しかしそのときまで、自分は選ばれているのだから確実に救われると信じ、究極的な救済は外部から到来することを信じ、「急ぎつつ待つ」姿勢を取ることの大切さを聖書は教えている。>
□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「苦難に負けない言葉」の「正しさを望む人」を引用
【参考】
「【佐藤優】柔和な人」
「【佐藤優】悲しんでいる人」
「【佐藤優】心の貧しい人」
「【佐藤優】地の塩となれ」
「【佐藤優】狭い門を選べ」
「【佐藤優】求めれば与えられる」
「【佐藤優】明日を思い悩むな」
「【佐藤優】思い悩むな」
「【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~」
義とは、正しいことと言い換えてもいい。「義に飢えかわいている人たち」とは、イエス・キリストによって正しいことがこの世界に実現することを望んでいる人々という意味だ。こういう人たちの希望は、必ず満たされると説く。しかし、現実の世界には、悪が蔓延している。キリスト教徒は、イエスの生き方に倣って、愛を行動として実践しなくてはならない。
もっとも、いくらキリスト教徒が努力しても、理想的な世の中を人間の力で構築することはできない。キリスト教は、徹底した他力本願の宗教なので、人間による努力に一切価値を認めない。従って、「義に飢えかわいている人たち」の願いが満たされるのは、イエス・キリストが再臨して、最後の審判が行われるときなのである。しかしそのときまで、自分は選ばれているのだから確実に救われると信じ、究極的な救済は外部から到来することを信じ、「急ぎつつ待つ」姿勢を取ることの大切さを聖書は教えている。>
□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「苦難に負けない言葉」の「正しさを望む人」を引用
【参考】
「【佐藤優】柔和な人」
「【佐藤優】悲しんでいる人」
「【佐藤優】心の貧しい人」
「【佐藤優】地の塩となれ」
「【佐藤優】狭い門を選べ」
「【佐藤優】求めれば与えられる」
「【佐藤優】明日を思い悩むな」
「【佐藤優】思い悩むな」
「【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~」