お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

新幹線不通

2011年11月12日 | 雑感
 楽しみにしていた、きょうからの 組の団体参拝(親鸞聖人750回大遠忌法要) 

なのに、なのに・・・
私、体調不良で、参加を断念。直前まで何とか治りたいと頑張りましたが、体力が・・・


今朝、早く、佐賀から貸し切りバス3台で、博多駅に向った団一行。

なんと、山陽新幹線が博多ー広島間で不通とのニュース 

午後の法要に間に合わないのでは・・・と心配しています。

きっと、団一行は、「法専寺坊守の(参加できなかった)無念が、新幹線を止めた」と
苦笑し、開通を待っておられるに違いありません。

冗談で済めばいいのですが・・・本当に心配しています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐賀教堂報恩講

2011年11月06日 | 行事・案内
 本願寺佐賀教堂 とは、西本願寺の佐賀支店のようなお寺です。

今年も、例年通り

11月26日~28日の3日間

本願寺佐賀教堂にて、報恩講が勤修されます。

 3日間とも、午前10時~ と 午後1時半~です。

 お斎の用意がありますので、丸1日ゆっくりお聴聞していただくことも、有難いご縁です。

 28日だけは、午前6時半からの晨朝(朝のおつとめ)もあります。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

念仏の教えは劣ったものなのか? その6

2011年11月04日 | 仏教
 「浄土真宗は、何~も、せんでいいもんね~ (何も、しなくて、いい)」

と、よく耳にします。

 その通りなのですが・・・
でも、そう発言なさっている方の受け取り方が、何かちょっと違うようにも感じます。

 何もしなくていい から、自分を顧みることをしない

 何もしなくていい から、仏事は、おろそかでいい

 何もしなくていい から、わざわざお寺で法話なんぞ聞かなくてもいい

と、誤解しておられるのでは・・・と感じます。

 真宗は、仏教です

 ただ、阿弥陀如来が、誰でも死んだら、いいところに連れて行ってくれる という、話ではありません。
 
 「私」を棚上げしたところに 仏教・浄土真宗は、ありません

 何もしなくていい のではなく、 何もできない私 を 自覚する

 それは、自分を磨こうと努力するな という意味ではありません。
努力できる縁に恵まれているならば、感謝して、精一杯努力する

 でも、その努力が、独りよがりであったり、
努力できない人を見下したりする「努力」なら、
それは、仏教の目指すところとは、正反対の「我執の努力」となる

 それほど、仏教が目指す「さとり」=「我執」(自分の思いに執着すること)を離れて、心穏やかに生きる とは、難しいことなんです。


コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本物と偽物

2011年11月02日 | 仏教
 教育者であり、念仏者であった 東井義雄先生の詩でつづる

2011年 ほのぼのカレンダー(探求社と法蔵館 が出版)の

今月・11月の言葉を見て
ドキッとさせられました

  ほんものとにせものは
 見えないところの
 あり方で決まる 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする