先日の布教大会にて、布教使さんのお話にあったことです。
「浄土は本当にありますか」
それまで、仏教に全くご縁のなかった某氏。
その某氏が、最愛の娘さんを亡くされ、ご住職に声をふりしぼっての問いかけだったそうです。
「浄土」は、あるか、ないか ではなく
自分が(人ごとでなく)受けとってゆく世界
あるものには、ある
ないものには、ない
私の罪業に涙あふれる時
私のためになくてはならぬ
(仏さまが)ご用意くださった世界です
そう、聞かせていただきました。
「浄土は本当にありますか」
それまで、仏教に全くご縁のなかった某氏。
その某氏が、最愛の娘さんを亡くされ、ご住職に声をふりしぼっての問いかけだったそうです。
「浄土」は、あるか、ないか ではなく
自分が(人ごとでなく)受けとってゆく世界
あるものには、ある
ないものには、ない
私の罪業に涙あふれる時
私のためになくてはならぬ
(仏さまが)ご用意くださった世界です
そう、聞かせていただきました。
そうですね。
すぐ、私の小賢しい頭で、あるとか、ないとか、信じるとか、信じないとか 自分を基準にして考えてしまいますね。
その私の頭の世界を超えたところが、「浄土」なんですけど・・・
まこと、仰るとおり
信楽受持甚以難 難中之難無過斯
です。
私の思惟・思議を超えることですし、全きに「ある」と信じ切る事も 出来ません。
信じようとするこころ と 疑い の狭間で何時も揺らいでます。
頭で納得しないものは、受け止め得ない驕慢な私。
信楽受持甚以難 難中之難無過斯、
仏は、こんな私を お見通しなのですね。
手探りで、前に歩きます。