昨日は、佐賀市の願正寺さまにて、「聖典に学ぶつどい」佐賀開講30周年記念講話 が 開かれました。
願正寺さまの大きな本堂が満堂(500名くらい?)の参詣者で、行信教校 校長・利井唯明師、講師の天岸浄圓師、真宗木辺派 木邊圓慈ご門主 の 「他力」について、ご法話を聞かせていただきました。
仏教用語の「他力」とは、世間で使われる意味の「他力本願」:自主努力をしない、人任せ の意味ではありません。
「他力」とは、阿弥陀如来の仏願力 のことです。
親鸞聖人の和讃(「正像末和讃」)の 一部ですが
他力不思議に いりぬれば
義なきを 義とす と信知せり
最初の「義」は、私の「はからい」、後の「義」は、正しい受け止め方
「はからい」って言葉は、ご法話によくでてくるのですが、
私の理性だの私の常識だのを基準に生きていて、努力すれば、何でも何とかできるというような肩に力の入った心。要するに、自分中心の頭(感性)で、あれこれ考えること と、申せばよろしいでしょうか?
「他力不思議」: 私が思議(考えることの)できない、仏さまの智慧と慈悲のこころ(本願力)の 教えに出遇わせていただき
私「はからい」を交えないことが、正しい受け止め方(感性) と、知らされる。
仏法は、私の「はからい」をまじえずに聞くことが、正しく聞かせていただくコツ
と、聞かせていただきました。
私も「はからい」で聴聞してますゆえ、もし、間違っていたら、ご住職方、コメントで訂正くださいませ
願正寺さまの大きな本堂が満堂(500名くらい?)の参詣者で、行信教校 校長・利井唯明師、講師の天岸浄圓師、真宗木辺派 木邊圓慈ご門主 の 「他力」について、ご法話を聞かせていただきました。
仏教用語の「他力」とは、世間で使われる意味の「他力本願」:自主努力をしない、人任せ の意味ではありません。
「他力」とは、阿弥陀如来の仏願力 のことです。
親鸞聖人の和讃(「正像末和讃」)の 一部ですが
他力不思議に いりぬれば
義なきを 義とす と信知せり
最初の「義」は、私の「はからい」、後の「義」は、正しい受け止め方
「はからい」って言葉は、ご法話によくでてくるのですが、
私の理性だの私の常識だのを基準に生きていて、努力すれば、何でも何とかできるというような肩に力の入った心。要するに、自分中心の頭(感性)で、あれこれ考えること と、申せばよろしいでしょうか?
「他力不思議」: 私が思議(考えることの)できない、仏さまの智慧と慈悲のこころ(本願力)の 教えに出遇わせていただき
私「はからい」を交えないことが、正しい受け止め方(感性) と、知らされる。
仏法は、私の「はからい」をまじえずに聞くことが、正しく聞かせていただくコツ
と、聞かせていただきました。
私も「はからい」で聴聞してますゆえ、もし、間違っていたら、ご住職方、コメントで訂正くださいませ