お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

義なきを義とす

2014年10月24日 | 仏教
 昨日は、佐賀市の願正寺さまにて、「聖典に学ぶつどい」佐賀開講30周年記念講話 が 開かれました。

 願正寺さまの大きな本堂が満堂(500名くらい?)の参詣者で、行信教校 校長・利井唯明師、講師の天岸浄圓師、真宗木辺派 木邊圓慈ご門主 の 「他力」について、ご法話を聞かせていただきました。

 仏教用語の「他力」とは、世間で使われる意味の「他力本願」:自主努力をしない、人任せ の意味ではありません。 

 「他力」とは、阿弥陀如来の仏願力 のことです。

 親鸞聖人の和讃(「正像末和讃」)の 一部ですが

 他力不思議に いりぬれば
 義なきを 義とす と信知せり


 最初の「義」は、私の「はからい」、後の「義」は、正しい受け止め方 

「はからい」って言葉は、ご法話によくでてくるのですが、
私の理性だの私の常識だのを基準に生きていて、努力すれば、何でも何とかできるというような肩に力の入った心。要するに、自分中心の頭(感性)で、あれこれ考えること と、申せばよろしいでしょうか?

 「他力不思議」: 私が思議(考えることの)できない、仏さまの智慧と慈悲のこころ(本願力)の 教えに出遇わせていただき
 私「はからい」を交えないことが、正しい受け止め方(感性) と、知らされる。

 
 仏法は、私の「はからい」をまじえずに聞くことが、正しく聞かせていただくコツ

と、聞かせていただきました。

 私も「はからい」で聴聞してますゆえ、もし、間違っていたら、ご住職方、コメントで訂正くださいませ
  

 

 

 

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