東井義雄先生の言葉で綴る「ほのぼのカレンダー」10月の言葉は
「生」と「死」をこえて
つながっている「いのち」
昨日、ビハーラ佐賀の「基本学習会」にて、I師 のご法話においても「生死について」
聞かせていただきました。
世間一般では、「生」と「死」を分けて考えますが、
仏教では、「生」と「死」は一体。
生まれた者は、死ぬ・・・これは誰もが知っていることですが
それは赤の他人のことであって
自分の大切な人や自分が死ぬことは、忘れています。
致死率100%
重病の方で「余命3ヶ月」と言ったりするが、今、健康な人も「余命」がわからないだけで、みんな「余命」を生きている
「生」と「死」は、別物でなく、いのち の いとなみ そのもの なんですね。
死んで、お終い では、ない 人生を歩むことができるのが、仏の教え です。
「生」と「死」をこえて
つながっている「いのち」
昨日、ビハーラ佐賀の「基本学習会」にて、I師 のご法話においても「生死について」
聞かせていただきました。
世間一般では、「生」と「死」を分けて考えますが、
仏教では、「生」と「死」は一体。
生まれた者は、死ぬ・・・これは誰もが知っていることですが
それは赤の他人のことであって
自分の大切な人や自分が死ぬことは、忘れています。
致死率100%
重病の方で「余命3ヶ月」と言ったりするが、今、健康な人も「余命」がわからないだけで、みんな「余命」を生きている
「生」と「死」は、別物でなく、いのち の いとなみ そのもの なんですね。
死んで、お終い では、ない 人生を歩むことができるのが、仏の教え です。