事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

日本映画と戦後の神話Ⅵ~冬のソナタ

2008-09-09 | 本と雑誌

Fuyunosonata11 「三浦くんのお母さん」篇はこちら

 四方田犬彦のこの書において、なるほどなーと思わされたのが「冬のソナタ」がなぜ日本であれだけのブームになったのか、という考察だ。
 まず、数ある韓流ドラマのなかで、「冬のソナタ」はどんな位置付けかというと……

「『冬のソナタ』は、恨(ハン)へといたるあらゆる契機が不在なままにメロドラマとして結晶してしまったという点で、韓国的なるものからの逸脱を意識的に採用している。物語の中心をなす四人の人物は、いずれもが多かれ少なかれ家庭から解放された存在であって、故郷の春川を離れ、ソウルで気楽な単身者生活を生きている。彼らは家族からのみならず、韓国という物語からも自由であり、気が向けばパリにも東京にも足を向けることができる境遇を生きている。このドラマが韓国で不評とまではいわないにせよ、ユンソクホの作品としてヒットしなかった原因のひとつには、こうした韓国的なるものからの逸脱とコスモポリタニズムがあったと推測することは、あながち無理なことではあるまい。」

あ、そうなんだ。「冬ソナ」って韓国ではヒットしていなかったのか。ならばなぜ韓流ドラマのなかで、断トツに日本で受け入れられたのだろう。

「皮肉なことにそのコスモポリタニズムが幸いして、『冬のソナタ』は思いもよらぬ形で日本の中高年の女性たちから絶大な支持を受けることとなった。彼女たちは1990年代の日本のトレンディドラマの速度とシニックな人物描写に感情的にわが身を重ねあわすことができず、若者主導型の日本のサブカルチャーのなかでつねに居心地の悪い思いをさせられてきた。『冬のソナタ』はそんな彼女たちに、絶好の物語を提供した。このドラマが絶対的価値として提示するノスタルジアこそは、彼女たちが求めて長らく与えられなかったものであり、愛を語ることのユートピアは、いかに時代錯誤と嘲笑されようとも、彼女たちを世代的に形成してきたメロドラマ的想像力に応えうるものであった。」

……そう来たか。つまり、かつてF1層として視聴者の王様あつかいされてきた“トレンディドラマに熱中する若い女性”と世代的に少しずれている人たちは、“自分たちのドラマ”を日本のテレビからは提供されずにいたというのだ。だからこそ、子どもも手を離れ、夫との生活が単なる日常となり果てた(言い過ぎ)中高年女性たちは、可処分所得も自由な時間もあふれているために、ペ・ヨンジュンというスターに熱中したのだ。ヨン様こそが、脂ぎった日本の同世代男性が与えてくれないものを、すべて所有しているわけか……。

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