事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「1984年のUWF」 柳澤健著 文藝春秋

2020-07-07 | スポーツ

Dynamite Kid Vs Tiger Mask 01/01/1982

わたしが子どものころのプロレスは、思えばシンプルだった。

力道山はすでに亡く、ジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲の時代ね。山形の民放は60年代末、日本テレビ系列の山形放送だけだったから、プロレスを見ようと思えば金曜8時の日テレで決まり。三菱の掃除機“風神”が意味なくマットの上で活躍していました。

しかし子どもにはうかがい知れない事情でその枠は刑事ドラマに取って代わられる。あの「太陽にほえろ!」だったから、日テレとしては大正解だったわけだ。

そしてもっともっとわけのわからない事情でアントニオ猪木は独立して新日本プロレスを結成し、馬場は全日本プロレスを。BI砲の時代の終わり。

以降の猪木については、この書を著した柳澤健さんの「1976年のアントニオ猪木」に詳しい。

あの壮絶なルポでは、モハメッド・アリ戦が凡庸で、パク・ソンナン戦が陰惨な結果になった原因が、猪木のスキル不足と結論づけられていた。つまり、ちゃんとしたプロレスラーは、事前に打ち合わせたストーリーにのっとってきれいに試合を決めるというわけ。

そのあたりを、プロレスは八百長だと馬鹿にするか、芸の本質がそこにあると称揚するかのふたつに分かれる。

わたしはずっと全日本プロレスの味になれていたけれど、東京に出て新日の試合を見たときには驚いた。テレビ中継時間内に試合が終わらないこともたびたびあったからだ。

IWGP(池袋ウエストゲートパークじゃないよ)で猪木がハルク・ホーガンのアックスボンバーで失神したことを考えても、新日本プロレスのほうが本気度は高いのかなと思わせた(あの失神は猪木の計算だったという説もある。ま、なんでもありです)。

そして、衝撃的なレスラーが登場。初代タイガーマスクである。以下次号


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