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ここまで激しく“Home”をめぐるお話だったのかと驚く。
ひとり地球に取り残され、故郷から遠く離れてしまったE.T.は、父親がメキシコに愛人といなくなってしまい、母親が情緒不安定になっている少年エリオットの家にかくまわれる。この設定は、父の不在に苦しめられたスピルバーグの来歴から、いつものことだと批判もされてきた。
しかし二十数年ぶりに再見し、その家庭への渇望は予想以上だった。
一種の化け物として描写される科学者たち(ジーンズにつけたキーリングの音で象徴される)だが、防護服を脱ぎ、顔をさらした彼らはこうエリオットに告げる。
「ぼくも10才のころから“彼”に会いたいと思ってきたんだ」
エリオットと同じように、彼らも不安と期待をかかえた少年時代を過ごしたのだろう。そして、比較的クールにE.T.に接してきたエリオットの兄が、いなくなったE.T.が仮寓していたスペースに身を横たえて呆然としているシーンは、異物だったE.T.がいたことの幸福を象徴している。彼がいた時間こそが、幸福なHomeだったと。
職人としてのスピルバーグの冴えと、脚本の周到さも再認識。なぜわたしたちがあれほどE.T.に感情移入するかといえば、それは“片言しか話せない”からなのだ。彼はエリオットにとって父親であると同時に、やっかいな赤ん坊でもあるわけ。
E.T.が話す英語は十にみたない。
“home”
“phone”
“be good”など。
そして後半は、これらの言葉だけを機能させて観客を泣かせまくる。
有名な“E.T. phone home.”(ウチに電話する)という切実な願い以外にも、別れの場面で自分の胸をさして
“Ouch”(心が、痛い)
“Come”(わたしの星に来て)
“Stay”(僕は残らなきゃ)。
Homeのために、母親のために、家族のために地球に残ることを選択するエリオット……ううう今思い出しても泣けてくる。
泣かせるだけでなく、ハロウィンの仮装でヨーダの格好をしている子どもに“home! home!”(ウチ!ウチ!)とすり寄っていくE.T.には二十年たっても笑わせられた。セリフのないときでも完璧に演技しているドリュー・バリモアにもびっくり。E.T.に「Be good.(いい子で)」って言われたのにガキのころから酒だのヤクだのに手ぇ出して悪い子だこと。
まだ見ていない人は幸せ、と文句なく言える傑作。心さみしい夜に、ぜひ。
ファーストシーンでは「宇宙人」と言ってたのに
後半では「E.T.君、どうなるのかなぁ」と変りました。
老若男女に優しい名作ですね。
あ私もヨーダのシーンで笑い、ロビーで買った一番搾りを
吹きそうになりました。
哀しいことがよくわかりました。
オープニングはETの視線で撮ってるから
彼らは異物に見えるけど、心はそんなに邪悪じゃない。
キーリングの音が邪悪に聞こえるのは
「河童のクゥと夏休み」(傑作)で“キラキラ光るもの”をクゥが徹底して
嫌うのと同じ理屈。
あれはこの作品へのリスペクトだったのかと気づきました。