今年冬(2016.02.26)に西光寺山に登ったとき、寺坂道が分からず表道を
往復しました。
今回は山麓のサギゾウ観賞に合わせ、寺坂道を探索するべく出かけました。
今回は山麓のサギゾウ観賞に合わせ、寺坂道を探索するべく出かけました。
(2016.08.26)
サギソウは少し遅かったですが、そこそこ咲いていました。
寺坂道は谷筋のガレた急登を詰めると、P519の鞍部に出て以降は踏み跡も
サギソウは少し遅かったですが、そこそこ咲いていました。
寺坂道は谷筋のガレた急登を詰めると、P519の鞍部に出て以降は踏み跡も
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/af/e414096a874a63997a0076ad3c0e8558.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/a5/f505f5c1162f4913e3d91a7ce39adf13.jpg)
今回は車山行なので、今田学校BSからの炎天下の30分の歩きが省略できました。
東屋手前右手にサギソウ自生地が…湿地帯を好むようです。
東屋手前右手にサギソウ自生地が…湿地帯を好むようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/21/01a0e063e338573feedab0f5c5270d80.jpg)
シーズンを過ぎたようでしたが、まばらに咲いておりじっくり観賞できました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/98/b8156063e0a0ddac2b4d17ecd45d26cc.jpg)
東屋のすぐ手前左から寺坂道に
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/c6/388c104e3ba868865cd8453a8e8325a4.jpg)
すぐのところに石の祠が、しっかりしたきれいな造りです。
扉の蝶番にプラスねじを使っていたので昭和55年以降の製作でしょうか?
扉の蝶番にプラスねじを使っていたので昭和55年以降の製作でしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/f9/a5e57487401c612c4b403efbfdc32c29.jpg)
かろうじて踏み跡が確認できる程度です。テープをたよりに進みます。
お寺が健在だった頃は、整備された歩き易い道であったと想像できます。
お寺が健在だった頃は、整備された歩き易い道であったと想像できます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/aa/577dc392d610e600dbc9831d821b7bc1.jpg)
P519の鞍部、下りに使う場合はこの下降点に注意しましょう。
これからは傾斜もゆるくなり歩きやすくなります。
これからは傾斜もゆるくなり歩きやすくなります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/b4/c8ae4954ec70ab838b21456831979d69.jpg)
途中の谷筋へショートカットすると、いきなり「金鶏山西光寺」跡に
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/6e/95f95b31575339846c38c36d860f41b2.jpg)
少し右に進むと広い敷地に礎石が残る広場に出ました。
多くの堂宇や宿坊があったようです。
多くの堂宇や宿坊があったようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/c0/e537586bb17189dd3dee0e94970c7d71.jpg)
西光寺山に向かう途中案内書きがありました。
加東神山(こやま)へ、洞ヶ山経由、巻道(寺跡)経由とありました。
加東神山(こやま)へ、洞ヶ山経由、巻道(寺跡)経由とありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/ed/3b16c29719fbc405eaa4dab797ddd24e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/0f/e0be4ffe7edd27aef1c297d160329567.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/d9/5b84cd01a458b7a1b148dbb659ea7679.jpg)
表道を下って炭焼き窯跡まで帰ってきました。
この窯は現役で使えそうな感じです。
この窯は現役で使えそうな感じです。