箕面里山のブログ part2

 里山歩きと山野草のことなど_猪名川町大日山よりみる北西の山やま

中島大水道跡⑦大水道を終えて矢倉緑地まで足をのばす

2024年02月08日 | 中島大水道跡を歩く
見出し写真、コスモタワーから湾岸線の中島PAまで一望できました。

中島大水道(大野川緑陰道路)河口から西島水門、矢倉緑地を歩き
湾岸道路を眺めました。(2020.02.04)


西島川船溜りからその先に見える西島水門に向かいます。


堤防に上がって淀川河口を眺めます。感動です。
対岸には、有名な清掃工場の名物煙突2本と湾岸道路が見えます。


西島水門です。西島上流側には対となる出来島水門があります。


潮溜りもありました。


帰りは松林の中を歩きました。


中島大水道跡を阪神電車福駅に向かいます。


阪神なんば線の福駅に到着、少し長い一日でした。




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中島大水道跡⑥歩道と自転車専用の大野川緑陰道路

2024年02月07日 | 中島大水道跡を歩く
歩いた大野川緑陰道路も中島大水道跡の一部です。(2020.02.04)
埋め立てで立派になった遊歩道が、歌島二丁目から西島川船溜りまで
続いています。


 
 

阪神高速11号池田線と、歌島二丁目交差点(八丁大橋跡)からスタート


新歌島橋をくぐります。


立派な足の裏健康具


大水道記念碑


青が自転車道、右の茶が遊歩道


松林が増えてきました。終点が近いですね。


緑陰道路はここまでです。水路としては西川船溜りまで続きます。


西川船溜りで中島大水道は終わりです。
新淀川は当時は中津川で、船溜りはもう少し東にあったと思われます。



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中島大水道跡⑤十三元今里から八丁大橋跡

2024年02月06日 | 中島大水道跡を歩く
前回は十三公園からJR塚本駅を歩いたので、今回は中島大水道跡の正規
ルートを歩きました。(2020.02.18)
阪神高速池田線(歌島二丁目)は大野川緑陰道路の起点です。



十三駅から、もといまロード商店街を抜けました。


ダイヘンの前を歩きます。


JR東海道本線をくぐります。ここまで中島大水道跡を歩いたことになります。

阪神高速道路11号池田線手前、ここはかつての中島大水道八丁大橋跡


阪神高速道路11号池田線が見えてきました。


ずっと歩行者専用道と自転車専用道分かれています。



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中島大水道跡④十三から三国を周回

2024年02月05日 | 中島大水道跡を歩く
新大阪駅から十三まで、中島大水道跡をたどってきました。(2020.02.05)
十三バイパスは阪急神戸線と武田薬品の敷地を跨いでいます。


R171から東へ中島大水道跡をたどり、能勢街道に突きあたります。


能勢街道です。中央分離帯の緑地が中島大水道跡だと思います。


新幹線高架下の貨物線踏切に「能勢街道踏切道」とありました。


三国本町公園です。
この公園の北を、中島大水道が新大阪駅方向に向かって通じていました。


十三に戻り大水道の土手に上がる、数少ない遺構の階段を見てきました。
写真上の十三バイパスは、大水道のL字の上に設けられています。



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中島大水道跡③新大阪駅から淀川まで足を延ばす

2024年02月04日 | 中島大水道跡を歩く
三庄屋の一人、西尾家の墓所を見落としたので本日(2020.02.02)訪れました。
中島大水道は淀川とほぼ平行して、当時の中津川(現新淀川)河口まで続い
ていました。


新大阪駅から淀川方向にしばらく歩くと小さな西町霊園が


西町霊園にあった西尾家の墓


正通院の近くの木寺子安地蔵
今の地名「木川」は、木寺村と川口新家村が合併してついた名とか。


淀川の土手に上がると淀川河川敷の向こうに新淀川大橋が…


新淀川大橋の右手前(淀川左岸)に本庄水管橋(淀川の土木遺産??)
が見えます。スローペースながら着実に撤去作業が進んでいます。


阪神水道企業団の取水場


土手から新大阪駅方向を振り返ると、阪神水道企業団の施設が…
神戸市、尼崎市、西宮市、芦屋市、宝塚市に上水を供給しています。
今は、配管の取り換え工事のため内部は見えませんでした。



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中島大水道跡②新大阪駅界隈

2024年02月03日 | 中島大水道跡を歩く
上の見出し写真奥に見える十三病院を左に直角に曲がり、能勢街道を歩き
ます。中央分離帯の緑の植え込みが大水道跡のようです。

R176と十三バイパス交差点から阪急宝塚線を渡り木川方向に進みます。
(2020.01.30)



光用寺。源平屋島で戦った平家の武将の墓があります。
しかしここは中島大水道とは関係なさそうです。


三庄屋が合祀されている、さいの木神社がありました。


祭神  行者神変大菩薩
合祀  西尾六右衛門(山口村庄屋)
    澤田久左衛門(大道村庄屋)
    一柳太郎兵衛(新家村庄屋)
徳川四代将軍家綱の代低湿地の西成郡二十三ヶ村が淀川洪水のたびに荒
廃した。疲弊した農民を救うため封建の世に一介の庄屋の身を犠牲にし
京都郡代所の反対をおして延宝6年4月8日、中島大水道の堀さくを完成。
その責を負い当地にて自決され農民の神として当地の発展に寄与さる。
その遺徳を讃え当社に合祀


西に進むと立森瑞神(たつもりずいじん)がありました。


奥の祠には石の巳の神様(木に巻きついた蛇?)が祀られています。
巳→蛇→水の神様→中島大水道に縁がある?


阪急電車の踏切を超え、能勢街道を淀川に向けて進み左に曲がると
正通院がありました。


蔀関月(しとみ かんげつ)の墓がありました。
蔀関月は安永年間に、絵画と文章で各地の名所、史跡、名産などを紹介
する図会を著したそうです。
右の石柱「不許葷酒入門内」は、修業の妨げになるので葷(くん=匂い
のきついニラ・ニンニク等)と酒を持ち込んではいけない、という意味。



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中島大水道跡①中島大水道顕彰碑

2024年02月02日 | 中島大水道跡を歩く
表題の画像:顕彰碑から新大阪駅まで大水道の上に新幹線が建設されました。

阪急淡路駅西500m、新幹線高架下にある中島大水道顕彰碑を見てきました。
(2020.01.30)
中島とは、現新淀川(明治後期以前は中津川)と神崎川(古くは三国川)
に囲われた東淀川、淀川、西淀川の細長い地域のことです。
その細長い中島に江戸時代、排水路・中島大水道9.5kmが開削されました。
リーダー三庄屋により、農民の力で50日間・2000両(現在1両10万円とし
て2億円以上?)を工面して完成させました。
幕府が許可しないため、やむなく行った工事の責任をとり、三庄屋は自決
したそうです。(新大阪駅近くの、さいの木神社に合祀されています)
淀川流域は、利水でたくさんの恩恵を受けながら、絶えず水害や排水難の
苦難にあえぎ、それを克服してきた歴史に思いを馳せました。


Google My Map はここから 
(地図上の位置アイコンをクリックすると画像と記事が表示されます)
わずか50日で全長9.5kmの水路を開削したとは驚きです。
すでに部分的にあった水路を、つないでいったのでは?と想像しますが
それを成し遂げた農民の切迫した思いを知ることができます。


中島大水道の起点にある顕彰碑です。淀川三区を流れています。
現在ではほとんどが暗渠化され実態を見ることはできません。
新幹線や十三バイパスの一部は、水路の跡地を使用しています。



”中島大水道は、北中島地区の農民が、度重なる水害と水はけの悪さに
耐えかねて切り開き、東は西成郡増島村(現東淀川区淡路地区)から西は
申新田(現此花区伝法地区)に至る九.五キロメートルに及び大用排水路
であった。延宝二年(一六七四)から同四年にかけて三義人と言い伝え
られている北大同村の沢田久左衛門、山口村の西尾六右衛門、新家村の
一柳太郎衛門などを先頭に、二十二か村の庄屋や村民が幕府に公儀普請
による水道開さくの願いをくりかえしたが、莫大な工事費がかかるので、
幕府は百姓自前の普請として水道開さくを許可した。
庄屋たちは二十二か村の村民を説得し、資金約二千両を募って延宝六年の
春わずか五十日で水路を貫通させるという偉業をなしとげた。
以来、明治三十二年(一八九九)の淀川改修至るまで、たゆまぬ維持、
補修により二百二十余年にわたって、その機能を果たし続け、地域の人々
にはかりしれない恩恵をもたらした。
ここに、今日の東淀川区、淀川区及び西淀川区の発展の礎を築いた先覚者
の義挙を末永く顕彰するため、この碑を建立する。

昭和六十三年五月吉日 発起人 東淀川農協協同組合組合理事長 村上英世”


新太郎松樋跡
新太郎松とは地名のようですが、どこにつながっていたのかは不明です。


阪急淡路駅周辺では高架立体工事が進行していました。
次は、新大阪界隈を探訪します。



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