箕面里山のブログ part2

 里山歩きと山野草のことなど_猪名川町大日山よりみる北西の山やま

旧揖斐川橋梁(国指定重要文化財)を歩いて渡る

2024年07月15日 | 史跡・神社仏閣巡り
揖斐川を挟んで二つのねじりまんぽがあるので、旧揖斐川橋梁を渡りました。
(2022.05.08)
重文の旧揖斐川橋梁を渡ることができ、さらに北側の樽見鉄道揖斐川橋梁も
見ることができよい経験ができました。



旧揖斐川橋梁と樽見鉄道揖斐川橋梁は共に歴史のある、明治時代の遺産です。
(GoogleMapの航空写真より)

揖斐川左岸から見る旧揖斐川橋梁

旧揖斐川橋梁(初代揖斐川橋梁)
明治20年1月に供用された東海道線開通当時の橋梁として唯一、現位置に
現存する貴重な近代化遺産です 。(大垣市HPより)
今は舗装して歩行者・自転車専用道になっており、歩いて渡りました。

上流は樽見鉄道揖斐川橋梁(明治22年運用開始した国鉄御殿場線橋梁を移設)

揖斐川上流と5弦の曲弦トラス、左端のみ平行トラス、左奥は伊吹山かな?

東海道本線の三代目(平行弦ワーレントラスの)揖斐川橋梁を電車が通過
両橋梁の間にあった二代目橋梁は昭和60年に撤去、現在は両岸の橋台のみ。

旧揖斐川橋梁を渡り終えて、揖斐川右岸へ…


  旧揖斐川橋梁の説明板

右岸より見る手前が初代、下流側が三代目でかなり大きいです。

樽見鉄道揖斐川橋梁、重厚な5連ワーレントラス、左端のみ平行弦トラス



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上関寺跨線橋から旧逢坂山隧道東口

2024年07月06日 | 史跡・神社仏閣巡り
大津のねじりまんぽを見たついでに、近代化産業遺産「旧逢坂山隧道東口」
を見学してきました。(2022.05.14)


後半(別ブログ)は、小関越分岐から琵琶湖第一疏水取水口に行きました。


 大津駅西側にある、逢坂越えの車道(くるまみち)・車石


 重い荷物は、石道を牛車で越えていた!

京阪電車京津線を渡って明光寺に参拝

明光寺

上部は蝉丸跨線橋(京津線跨線橋) 右は複々線化により昭和45年(1970年)
に新設された跨線橋ですが、コンクリート製で何の変哲もありません。

大正10年(1921年)に完成した新東海道線の蝉丸(上関寺)跨線橋 
JR側から見れば上関寺跨線橋となります。

Google Map 航空写真より、白文字記入

跨線橋のすぐ西の新逢坂山トンネルと京都側の東山トンネルは、推奨土木遺産
に登録されています。(写真は土木学会HPより)

関蝉丸神社、京津線の線路を渡って参拝です。

左、京阪大津線の煉瓦の擁壁(旧東海道線が走っていた橋脚の跡)

安養寺

国道1号、上を横切る名神高速道路、そして山頂にはNTTドコモ音羽無線
中継所がこの先東海自然歩道が無線中継所を通って、その向こうの音羽山
に続きます。

旧逢坂山隧道東口、明治13年(1880年)に完成大正10年(1921年)迄使用


 説明板

平成20年近代化産業遺産に登録

内部、今もきれいな煉瓦積みが見事です。

右は、明治31年(1898年)複線化で建設された同隧道の旧東海道線
(上り線)

上り線側旧隧道は白木の板で封鎖されています。




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琵琶湖第一疏水・大津閘門と揚水機場

2024年07月05日 | 史跡・神社仏閣巡り
近代化産業遺産である旧逢坂山隧道東口を見学した後、近代化産業遺産であり
文化遺産でもある琵琶湖第一疏水取水口にやってきました。(2022.05.14)
大津閘門と大津揚水機場は周囲の木々が繁り見通しが利かなかったので
GoogleEarthの助けを借りて3D表示をしました。
Google My Maps「旧逢坂山隧道東口から琵琶湖第一疏水・大津閘門」は
こちらから 

GoogleEarthによる3D画像の大津閘門、左が上流琵琶湖側右が下流第一トンネル側
前扉・閘室・後扉がはっきり、前扉が開くのは疏水船が通る年一回とか


GoogleEarthによる3D画像の大津揚水機場
右上流側左下流側にそれぞれスイングゲート=片開き扉が建物の端に各一基
見えるのが分かりますか?(2個の黄色楕円です)
揚水機の稼働で下流の水位が上がり、扉は上流(琵琶湖側)に向かって閉じます。
揚水機場は琵琶湖が渇水で水位が下がった時、ポンプで湖水を下流に流し断水
を防ぎます。
瀬田の洗堰により琵琶湖の渇水はなくなり、現在揚水機場は稼働しません。
写真を見ると油圧か空圧のような配管が見えますが、当時はどうだったのか?
揚水機が稼働して生じた水位差を閘門で調整し、船の通行を可能としました。

国道1号線と京阪京津線の交差点から上栄町駅間のレールの姿
曲線半径40m、勾配61パーミルで国内有数の山岳鉄道、水蒸気の噴出に注目!

小関越えの分岐を過ぎると長等神社が


疏水に架かる鹿関(かせき)橋、親柱の字体は流暢すぎて"かせき"とは読めません。

琵琶湖疏水の説明板

第一トンネル東口、疏水船がトンネルに入るところ

第一トンネル東坑口、扉は常開


大津閘門、下流側扉は開いているが、閉じた上流側扉下に四角い穴が見えます。
前扉後扉左右合わせて4枚の扉にある、4角の穴(上の写真黄丸)は閘室への注排水用?

左は大津閘門・前扉、右は制水門で下流側の水位を1.5m低く調整しています。

びわこ疏水船入口、不思議なことに所要時間大津→蹴上55分、蹴上→大津35分

京阪電車三井寺駅北の踏切と、疎水に架かる歴史を感じる鉄橋

大津絵橋、昔ここを江若鉄道が走っていたとか

下流より見た揚水機場、右に青いスイングゲートが2基、「閘門」のような?

冒頭のGoogleEarth・3D画像の黄色の楕円部分の拡大、このスイングゲートは
前後2箇所にあるので閘門のよう、ポンプ稼働時に水位差がでたとき船が通行?

北側にある琵琶湖第二疏水取水口

突堤にある琵琶湖周航の歌碑(旧制三高・現京大・ボート部寮歌)
比良山に登るとなぜかこの歌をよく歌いました。
〽われは海の子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと~

歌碑の道突当り、旧三高(現京大)のボート部艇庫(Google Mapより)
ペンキの白文字は、旧三高の神楽岡(吉田山)にちなんだ「三高 神陵」 

水位観測所、この向こう岬の突端には旧三高の艇庫が…

赤いパドル(後部外輪船)の昔から名前の変わらない「ミシガン」の雄姿



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平田の渡しから江口の君④西行法師と江口の君

2024年06月11日 | 史跡・神社仏閣巡り
見出し画像、寂光院(江口の君堂)境内中央に、西行と江口の君妙の贈答歌碑
が左に、常磐津(ときわづ)塚が右にありました。(2020.02.03)
歌碑正面は南無妙法蓮華経のお題目、右に西行、左に遊女妙の歌が彫られています。
 世中を いとふまでこそ かたからめ 仮の宿りを おしむ君かな  西行
 世をいとふ 人としきけば 仮の宿に 心とむなと 思ふばかりぞ  遊女妙

記事①~④のルート Google My Mao はここ 


大桐五丁目を右に淀川方向に歩きます。
写真は三千樋から続くかつての水路に架かっていた橋の欄干、まっすぐ
行けば三千樋跡ですが、水路は埋め立てられて駐車場になっています。


淀川堤を行くと石柱"江口の里"がありました。


同じところから眺めた寂光院(江口の君堂)全景


 謡曲「江口」と贈答歌の説明板


江口の君堂


江口の君堂と彫られた常夜灯


 由緒書き


奥の左が西行塚、右が君塚



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平田の渡しから江口の君③せせらぎの遊歩道と乳牛牧

2024年06月10日 | 史跡・神社仏閣巡り
大桐三丁目から五丁目まで約600mの、用水路跡に沿った"せせらぎの遊歩道"
が続いています。(2020.02.03)
その間に乳牛牧、大隅神社、逆巻地蔵尊があります。


大桐三丁目から"せせらぎの遊歩道"に入ります。
用水路跡には、水の流れ、石畳の道、並木があり、市民の憩いの場に
なっています。


きれいな"せせらぎの遊歩道"


随所にレンガの道標があり助かります。


乳牛牧(ちゅうしまき)跡


 乳牛牧跡説明板


用水路にあった角頭橋の親柱(白いボックスの左)


"せせらぎの遊歩道"を離れ東に少し入ると大隅神社がありました。


参道の両側に、前掛けをした狛犬が迎えてくれました。


"せせらぎの遊歩道"に戻ると…逆巻地蔵尊が  以下大阪市のHPより
"豊里大橋付近の阪巻村(現在淀川河川敷)にあった。この付近は淀川でも
水流の激しいところで、船は帆を逆に巻かねば転覆するほとで、多くの
犠牲者が出たのでその冥福を祈って建立したという"


大桐五丁目に近づくと水路は落葉で埋まっていました。


大同5の交差点でせせらぎの遊歩道は終点です。この続きは江口の君へ…




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平田の渡しから江口の君②平田の渡しと豊里大橋

2024年06月09日 | 史跡・神社仏閣巡り
豊里大橋は大阪市で最初の斜張橋で、菅原城北大橋の上流側にあるシンプル
で剛直な感じのする橋梁です。 
平田(平太)(へいた)の渡し記念碑は、淀川両岸にあるため豊里大橋を往復
しました。(2020.02.03)


豊里大橋の手前に大宮神社がありました。


大宮神社の拝殿


右岸にある平の渡し碑 碑側面の文字は次のように…
"この地は丹波地方や大和地方への交通の要地で、淀川両岸は渡船で
結ばれていた。江戸期には淀川上下の川船改め番所があり、平田番所
の渡しともいった"
   

 豊里大橋全景


ワイヤーの本数が少なくシンプルな構造です。


淀川左岸太子橋側にも「平の渡し跡」がありました。(こちらは平


橋に銘板がありました。独特の字体で読みにくいので文字起こしをしました。

橋梁概要 (主橋梁)
型式   3径間連続斜張橋
スパン割  80.5mx21.6mx80.5m
幅員     車道7.5mx2 歩道1.5mx2
主桁     台形箱桁(下幅7m高さ3m)
塔の高さ 橋面上 32m
ケーブル プレハブパラレルワイヤーストランド(PPWS)
完工   昭和45年3月

”従来の撚り線に替えて、直径5mmの素線154本からなるストランド
16本を1本に束ねたプレハブパラレルワイヤーストランドが使われた”
(関西の公共事業・土木遺産深訪 豊里大橋より)



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平田の渡しから江口の君①くじら橋で有名な瑞光寺

2024年06月08日 | 史跡・神社仏閣巡り
見出し画像は鯨橋は有名な「雪鯨(せつげい)橋」の鯨の骨です。

阪急上新庄駅から東海道新幹線をくぐると鯨橋瑞光寺の看板が見えました。
(2020.02.03)


吹田市役所前からR479を上新庄に、神崎川に架かる吹田大橋を渡ります。


神崎川上流を見ると、斜張ハープの優雅な高浜橋が見えます。


この辺りは分かりやすいユニークな道標が要所にあります。


東海道新幹線の高架の手前に鯨橋瑞光寺を示す看板がありました。


手前が渡香橋、その奥には有名な「雪鯨(せつげい)橋」が見えます。


雪鯨橋、欄干は和歌山から送られた鯨の骨でできています。


真ん中でつないでいます。50年に一度かけ替えるそうです。


鯨橋の説明板



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東三国から中島を巡る③崇禅寺と中島総社

2024年02月15日 | 史跡・神社仏閣巡り
見出し写真の中島総社は、五穀豊饒を祈るために飛鳥時代に造られた神社
だそうです。芭蕉の句碑や日支事変戦捷記念碑があります。

崇禅寺は仇討ちの遠城兄弟の墓と、細川ガラシャと細川教の墓があります。
(2020.02.12)


東三国から中島を歩いた軌跡です。
Google My Maps はこちら 
(地図中の位置アイコンで写真と説明を表示します)


崇禅寺裏門(出入口はここだけです)、近くにある道標


崇禅寺本堂


9本程の映画になった、崇禅寺馬場の仇討ちで有名な遠城兄弟の墓です。
中央の墓石には、遠城治左衛門と安藤喜八郎の戒名が刻まれています。

  
隣には返り討ちにあった遠城兄弟の塚がありました。
左手前の石碑には、”崇禅寺馬場遠城兄弟終焉之地”とあります。


左端明智光秀の娘細川玉子之墓と、右6代将軍首塚がありました。


南山門にある摂津県改称豊崎県 県庁所在地跡(左の石碑)


西側にある中島惣社の拝殿


芭蕉の句碑がありました。 〽宮人よ わが名をちらせ 落葉川
落葉川(中島大水道の一部とか)は中島惣社の北を流れていたとか…


日支事変戦捷記念碑(国旗掲揚台)がありました。
日支事変(支那事変・日中戦争)……太平洋戦争へ。


帰路は、一の鳥居から新大阪駅に向かいました。



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東三国から中島を巡る②須賀森神社跡から永春寺

2024年02月14日 | 史跡・神社仏閣巡り
須賀森神社跡から永春寺に向かう途中、中島大水道始点にある顕彰碑に
立ち寄りました。(2020.02.12)


JR東淀川駅の西側にある大願寺

改修中で境内に入ることはできませんでした。


裏手に廻ると「長柄の人柱 巌氏碑」がありました。
物言じ 父は長柄の橋柱 鳴ずば雉子も 射られざらまし
巌氏の娘・照日が歌ったといわれます。


西側に歩いてゆくと酢賀森神社跡が…大楠のある公園です。


樟の由来書き、この土地はほんとうに楠が多いです。


中島大水道顕彰碑を南下して東に超えると永春寺が


来一族の由来が書かれていました。


境内には刀匠来一族が祀られています。



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東三国から中島を巡る①常光寺と蒲田神社

2024年02月13日 | 史跡・神社仏閣巡り
蒲田神社の主祭神は、宇賀御魂大神・別雷大神です。
新大阪駅から東三国の蒲田神社に向かう途中、常光寺に立ち寄りました。
(2020.02.12)


常光寺、大楠が眼を引きます。左には大阪メトロ東三国駅が見えます。


境内は狭いです。都市計画の影響らしいです。


蒲田神社表参道の鳥居

 神主さんによる自筆の由緒書き、丁寧に漢字のルビがあります。


手水舎、後ろには水神さまの祠があります。


拝殿


右手には白水社、千年楠が枯れた跡に祠(巳(み)さん)が祀られています。


左手奥に珍しい十二支方位


梅の花鉢(2020.02.12)、他にも花壇が多かったです。


南参道の鳥居です。右の御神木の奥、本殿の後ろには千年楠があります。


上写真の奥、本殿裏にある千年楠、幹周9.2m、樹高15mとか。





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