箕面里山のブログ part2

 里山歩きと山野草のことなど_猪名川町大日山よりみる北西の山やま

西国街道・池田市石橋の弁慶の泉

2020年06月28日 | 史跡・神社仏閣巡り
西国街道からは少し離れていますが、171号線沿いに弁慶の泉がありました。(2020.02.15)

左上は箕面川で、弁慶の泉はその伏流水だそうです。


箕面市瀬川の弁慶の鏡水と比べると、雲泥の差の立派さです。


ちょっとした公園になっています。


きれいな水面が見えました。現役でしょうか?


石碑があります。
義経主従が兄頼朝に追われ西国に落ちる際、この清水を飲んだという伝説です。

伝弁慶の泉由来記
この泉は、享保二十(1735)年の摂津志に
  在今在家村 其味冷甘 谷伝弁慶 止渇干此
としるされている
文治元(1185)年、追われる身となった源義経が西国街道を逃れて河尻(尼崎)
まで行く途中、多田蔵人行網や豊島冠者の武士団に前途をさえぎられたために、義経
とともに武蔵坊弁慶もよく奮戦し、この泉でのどの渇きを潤したとつたえれれている。
またこの泉は今在家村一帯の灌漑用水としても重要な役割を果たしてきた由緒ある泉である。
            池田市史跡名勝天然記念物 史跡第三号
            昭和五十三年十月三十一日指定 池田市教育委員会



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西国街道・箕面市瀬川にあった弁慶の鏡水

2020年06月27日 | 史跡・神社仏閣巡り
場所が分からなくて永らく放置していた、弁慶の鏡水に行ってきました。(2020.06.26)
分かりにくい奥まったところにありますが、入り口の案内板で助かりました。


まずは西国街道が通る、瀬川二丁目のの交差点に向かいます。


箕面川方向少し歩くと、よくわかる案内板がありました。


この奥にありました。


雑草に覆われて池はなくなっていました。(20年以上前から?)


説明板がありました。

弁慶の鏡水伝承地
「この地は平安時代の末期、一ノ谷での源平合戦に向かった武蔵坊弁慶が、
自分の姿を水面に映して戦況を占ったという池の伝承地です。
瀬川宿の成立と発展を背景にして生まれた話でしょうが、地区の歴史を探る
上で貴重な伝承史跡です。」            箕面市教育委員会



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西国街道・弁慶ゆかりの地

2020年06月25日 | 史跡・神社仏閣巡り
「坪」と称する一坪ほどの広さの湧き水がある、瀬川中公園に行ってきました。
(2020.02.15) 近くには十四箇所ほどの坪があったそうです。


湧き水から流れ出す水路と大楠がありました。


市民憩いの場になっています。


箕面市瀬川中公園にある通称「坪」です。


説明版です。
「坪の由来
坪とは、一坪ほどの地面から水が湧き出ている場所のことです。
瀬川地区には、鎌倉時代、武蔵坊弁慶が戦場へ行く前に自分の姿を水に
写し、鏡の代わりとして服装を整えてから戦場へ行ったと言い伝えのある
「弁慶の鏡水」の他、十四箇所の坪があったそうです」 


今でも農業用水として利用しているようです。




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