英会話教室でバイトしているころ、一番驚いたのが、日曜日になるとアメリカ人講師の多くが教会に行くことだった。カトリックもいたし、バプテストやルーテルもいた。なかにはSDAの人もいて、ここだけはほかの人の口調から、微妙にちがっているところらしいことがうかがえた。わたしから見れば、ベジタリアンでコーヒーも口にしない人ぐらいのちがいしかわからなかったのだけれど。
ネットもない時代だったが、英語の説教をしてくれる教会をみんなよく知っていて、食料品はどこで買うか、日用品の調達はどこでするか、などの情報と同じように、日本で生活するためには必須の情報だったらしい。
日本に留学に来ていたり、いったん帰国したのちに改めてやって来たような人たちだから、かならずしもアメリカ人の平均とはいえないのかもしれないのだが、日本の女の子とデートするのが大好き、といった感じの人まで、教会にだけはきちんと通っているのだった。この人たちにとって宗教というのは日々の生活の中で大きな位置を占めているのだなあと思ったものだ。
そんな講師のひとりと親しくなった。わたしより七歳ほど年長の女性で、とにかくよく勉強する人だった。わたしなどよりはるかに尾形光琳については詳しくて、この人にはずいぶん屏風絵の見方など教わった。よく中之島の府立図書館には一緒に行ったし、美術館にも行った。映画館にも行ったし、お互いの部屋でブロークンな日本語と英語でぐちゃぐちゃとだべることもあった。
彼女はアメリカにフィアンセがいるということだったが、日本でもつきあっているボーイフレンドがいて、さらには過去ややこしい仲だったという人物とも、ときおり会っているようだった。忙しい時間をやりくりしながら複数の彼氏とつきあっている彼女の話を聞いていると、なんとなく「手玉に取る」という日本語が頭に浮かんできたりした。“彼とはカジュアルな関係”とよく言っていて、casual という単語が、accidental という意味でもなく、無関心でもなく、ファッションの傾向を指すのでもない、"casual relationship"(ゆきずりの関係)として使われるのを、彼女の話を通じて覚えた。
彼女は日曜日といっても、教会に行くことがない。逆に、わたしが聖書の購読会に講師の一人から誘われたようなときに、“やめときなさいよ、つまらないわよ”と言ったり、“誰それの話を聞いていると、まるで原理主義ね”などと皮肉っぽい、鼻先でわらうような言い方をしているので、そういう信仰とは無縁の人なのだろうとばかり思っていたのだ。
それが、いったい何がきっかけだったか、ふたりで夜道を歩いているときのことだった。鴨川にかかる橋を渡りながら、どちらからともなく脚を止め、真っ黒い川面を見下ろした。ネオンが反射するところはきらきらとまぶしかったが、そうでないところは濃く淀んだ闇で、そこをのぞいていると、怖いような、そこから目が離せなくなってしまったような気がした。
わたしが何かそのようなことを言ったのだと思う。
彼女は「ときどき夜中なんかに恐ろしい気持がする」と言ったのだった。わたしは教会へ行かないの、十七歳のときから一度も行ってない、あんなところにはもう二度と行かないと決めたの、そうやってこんな生活をしている、わたしのことを知らない人のなかで、自分のやりたいことをやってる、でも、こうしたことをやっている報いが、わたしが死んだら、the posthumous life がどこに行くことになるかと思うと、恐ろしくてたまらなくなる、と言うのだった。
"the posthumous life" という単語を聞いたのが初めてだったので、わたしは聞き返した。
「死んだあとの命ということ」
それは soul(魂)ということか、いやちがう、といった噛みあわない会話を交わしたような気もする。そこから話がどうなったかあやふやになってしまっているのだが、信仰はアメリカ人にとってどれだけ重大な問題であるか、信仰がある、というのがどういうものなのか、わたしはそのとき漠然と知ったように思ったのだった。
ネットもない時代だったが、英語の説教をしてくれる教会をみんなよく知っていて、食料品はどこで買うか、日用品の調達はどこでするか、などの情報と同じように、日本で生活するためには必須の情報だったらしい。
日本に留学に来ていたり、いったん帰国したのちに改めてやって来たような人たちだから、かならずしもアメリカ人の平均とはいえないのかもしれないのだが、日本の女の子とデートするのが大好き、といった感じの人まで、教会にだけはきちんと通っているのだった。この人たちにとって宗教というのは日々の生活の中で大きな位置を占めているのだなあと思ったものだ。
そんな講師のひとりと親しくなった。わたしより七歳ほど年長の女性で、とにかくよく勉強する人だった。わたしなどよりはるかに尾形光琳については詳しくて、この人にはずいぶん屏風絵の見方など教わった。よく中之島の府立図書館には一緒に行ったし、美術館にも行った。映画館にも行ったし、お互いの部屋でブロークンな日本語と英語でぐちゃぐちゃとだべることもあった。
彼女はアメリカにフィアンセがいるということだったが、日本でもつきあっているボーイフレンドがいて、さらには過去ややこしい仲だったという人物とも、ときおり会っているようだった。忙しい時間をやりくりしながら複数の彼氏とつきあっている彼女の話を聞いていると、なんとなく「手玉に取る」という日本語が頭に浮かんできたりした。“彼とはカジュアルな関係”とよく言っていて、casual という単語が、accidental という意味でもなく、無関心でもなく、ファッションの傾向を指すのでもない、"casual relationship"(ゆきずりの関係)として使われるのを、彼女の話を通じて覚えた。
彼女は日曜日といっても、教会に行くことがない。逆に、わたしが聖書の購読会に講師の一人から誘われたようなときに、“やめときなさいよ、つまらないわよ”と言ったり、“誰それの話を聞いていると、まるで原理主義ね”などと皮肉っぽい、鼻先でわらうような言い方をしているので、そういう信仰とは無縁の人なのだろうとばかり思っていたのだ。
それが、いったい何がきっかけだったか、ふたりで夜道を歩いているときのことだった。鴨川にかかる橋を渡りながら、どちらからともなく脚を止め、真っ黒い川面を見下ろした。ネオンが反射するところはきらきらとまぶしかったが、そうでないところは濃く淀んだ闇で、そこをのぞいていると、怖いような、そこから目が離せなくなってしまったような気がした。
わたしが何かそのようなことを言ったのだと思う。
彼女は「ときどき夜中なんかに恐ろしい気持がする」と言ったのだった。わたしは教会へ行かないの、十七歳のときから一度も行ってない、あんなところにはもう二度と行かないと決めたの、そうやってこんな生活をしている、わたしのことを知らない人のなかで、自分のやりたいことをやってる、でも、こうしたことをやっている報いが、わたしが死んだら、the posthumous life がどこに行くことになるかと思うと、恐ろしくてたまらなくなる、と言うのだった。
"the posthumous life" という単語を聞いたのが初めてだったので、わたしは聞き返した。
「死んだあとの命ということ」
それは soul(魂)ということか、いやちがう、といった噛みあわない会話を交わしたような気もする。そこから話がどうなったかあやふやになってしまっているのだが、信仰はアメリカ人にとってどれだけ重大な問題であるか、信仰がある、というのがどういうものなのか、わたしはそのとき漠然と知ったように思ったのだった。