陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

成人式は過ぎたけれど

2010-01-16 22:57:06 | weblog
祝日は祝日で、いったい何の日かあまり考えることもない。ただ、月曜日は派手な色合いの振り袖に、ふかふかした毛皮のショールを巻いた若い女の子たちをたくさん目にしたので、ああ、成人式なんだな、と思った。

自分が成人式と無縁の過ごし方をしたので、未だに大勢の二十歳がわざわざ市役所などのような場所に集まってくる、というのが不思議だ。それでも地元にいれば、結局は一種の同窓会、日ごろ会うこともない高校や中学のときの同級生と顔を合わせる楽しみがあるのだろう。

わたしが二十歳になったときは、まだ成人の日というと一月十五日だった。
自分のところにも成人式の案内が届いていたのだろうが、そんな通知など見ることもないまま、三が日が開けると早々に京都に戻ったのだ。

誕生日が七月のわたしは、すでに成人して半年ほどが過ぎていた。かといって、煙草を吸うようになったわけでも、酒を飲むようになったわけでもなく、運転免許を取る計画を立てたわけでもない。大人になった実感などまるでなかった。

毎日何かしよう、と焦っていた。とりあえずは勉強をしなくては、と思ってはみたものの、何から手をつけていいかわからず、さしあたって語学でも、と開いたフランス語の文法書は、なんだかばからしく、明日から、明日から、と日延べして、まるで逃避するかのように小説ばかり読んでいたのがこの時期である。『ホテル・ニューハンプシャー』を持ってベッドに入り、ページの最後をめくるころにはスズメの声が聞こえてきたような生活だった。あとはバイトに明け暮れて。当時の生活というと、ほんとうに本を読むかバイトに行くかのどちらかだったのだ。

まだそのころは、コピー屋のバイトのほかに、単発のバイトをいくつも掛け持ちしてはいたが、実入りのいいバイトはなかなか見つからない時期だった。時給の高い塾・家庭教師の口は、大学の窓口にもアルバイトニュースにもほとんど載っていなかった。

そこへ上級生から学習塾の講師を募集している話を聞いたのである。なんでも採用試験があり、なかなかの難関であるらしい。実家から自分が小学生のころ、受験勉強に使っていた問題集を送ってもらい、バイトの行き帰り、バスの中で解いた。小学校の頃の自分の大きな子供らしい字に、成人したわたしの字がかぶさった。

みぞれまじりの道を、バスがのろのろと走っているときだった。おそらくわたしは膝の上に載せた問題集で、流水算だか方陣算だかを解いていたのだと思う。ふいに窓の外がぱっと明るくなって、思わず顔をあげた。窓の外に、あざやかな色の振り袖の一団がわらいさざめきながら歩いていた。陰鬱な空をものともしない、明るい声と姿だった。

ああ、今日は成人式だったのか、と思った。そんな格好をしている人をうらやましいとも、自分も出たかった、とも思わなかった。人は、自分に関係のないものをうらやましがったりはしないものだ。そのときのわたしにとって、時速の異なる電車がすれちがう時間や、食塩水の濃度の方がよほど問題だったのだ。採用試験に受かり、いまより倍の時給の職を得たいとだけ、考えていた。彼女たちとわたしの唯一のつながりは、同じ年に生まれたというだけだった。関係ないとすら感じなかった。

あれからずいぶんの年が過ぎて、いまになって振り返れば、当時のわたしとバスの外、きらびやかな格好で歩いていた女の子たちがどれほどもちがわなかったことを知っている。自分だけ、不安に負けまいと肩肘張って、必死で生きているつもりでいたが、彼女たちだってそれぞれに、不安や悩みを抱え、それぞれに懸命に生きていたのだろう。

自分を大切にする、ということが言われるようになって久しい。そういう言葉が頻繁に口にされる背景には、そう言わざるをえないような出来事であるとか、若い年代の人たちが、あまり自分を大切にしているようには見えないことがあるのかもしれない。

その人たちが、自分を大切にしているのか、いないのか、わたしにはよくわからない。けれども、自分で自分を支えなければいけない年代になったとき、だれもが自分が生きる意味を考えるはずだ。自分だけにしかない意味を考えると、どうにも曖昧で、そんなものはどこにもないような気がして、不安になってしまうかもしれない。だれも自分を認めてくれないことに、歯がみしたい思いをすることもあるかもしれない。

けれど、そう感じている自分と向き合い、自分を引き受け、進む方向を決めていくことが、自分を大切にするということではないのだろうか。自分と向きあうというのは、ひとり部屋にぶつかって自分の内側をのぞきこむことではない。いろいろな出来事に出くわし、人に会い、本を読み、とにかくぶつかりながら、それに反応する自分を知るということだ。できない自分、失敗する自分、認めてもらえない自分を引き受けることだ。それ以外にどういう大切に仕方があるのか、わたしはよくわからない。

不安な人に向かって、自信を持て、というのは、貧乏な人に、お金を持て、そうすれば貧乏ではなくなる、というアドバイスをするのと同じだ。お金を持つことができないから、その手段を現在は持っていないから、その人は貧乏なのだから。

同じように、不安な若い時代を過ごしたわたしは、そんなバカなことは言いたくない。その代わり、経験から知っていることなら言える。

心配はない。不安はなくならない。
だが、不安は変わっていく。いま抱えている不安は、自分が成長することによって、技術や知識を身につけることによって、あるいは、環境が変わることによって、もはや不安でも問題でもなくなっていく。
つぎの段階では、つぎの不安が待っている。
それでも、そのプロセスのなかで、学ぶことはかならずある。学んだあとの「わたし」は、学ぶ前の「わたし」とは同じではない。

そうやってわたしは大人になってきた。
自分がそれこそどれだけ賢くなったかと思うと、忸怩たるものはあるのだが。

社会全体に閉塞感がただよっているのは確かだ。それでも、そのことと自分は関係あるのだろうか。関係あるのだとしたら、いったいどういう関係の仕方をしているのか。なんとなく、誰かが言っていることや、時代の気分のようなものにまどわされず、自分を大切にしていってほしいと思う。