陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

鯉の季節

2009-10-03 23:21:08 | weblog
近所に小さな川が流れている。もちろん自然そのままの川ではなく、川底も壁面もコンクリートで整備された、川というより用水路に近いものだ。大雨が降ると、流れも速く、水位も高くなるが、普段は川底をかろうじて覆うほどしか水もない。

ところがその川に、鯉がいる。それも体長50センチは優にあろうかというほどの大きな鯉なのである。いずれもどす黒い、お金持ちの家の庭でばしゃばしゃはねているような錦鯉などとはほど遠い、何でこんなに汚い色なのだろう、と別の意味でほれぼれするほどの薄汚さである。一種の保護色でもあるのか、見るともなしに川を見ていると、目の隅をよぎる大きな姿を感じて、ぎょっとしながら目を凝らせば、どす黒い胸びれを緩く動かしながら、鯉が泳いでいるのだ。

以前、近所にスーパーが出来るというので、あたりを視察に来たらしい、いかにも管理職という中年男性が数人、川べりを歩いていたことがある。たまたま進行方向が一緒で、その数人の後ろを歩いていく頃になった胃cいだんのなかのひとりが、
「部長、鯉がいますよ、大きな鯉です」と声をかけたところ、
「まさか。水もろくに流れていないような川に」
と部長と呼ばれた男性は答えていた。
ところがその返事が聞こえたかのように、鯉がばしゃんと水をはねかした。部長も川をのぞきこみ、「えらい大きな鯉やな」と感心したように言っていたのだった。

川べりでパンをやっている人を見ることも多い。その上前をはねようと、近所のハトも集まっている。一度など、パン屋さんでもらってきたのパンの耳を、レジ袋いっぱいに詰めていて、それを大量にばらまいている人がいた。水面をのぞいてみると。川に住んでいる鯉が全部集まってきたのか、水面が真っ黒くなるほど大きな鯉が集まってきて、押し合いへしあいしながら、大きな口をぱくぱくとさせていた。

わたしが小学生の頃というのは、いまよりもっと川は汚かったような気がする。下水も完備されていなかったのだろう、ときおり洗剤の泡の混じった水も流れ込み、白い泡が川面を流れていったのも、よく見たものだった。そんな川を、年に何度かさらったあとに、小学生が鯉の稚魚の放流をするのだ。わたしも小学生の頃、一度、放流をやったことがある。キンギョのような大きさの稚魚が数匹入った洗面器を抱え、銀色の背びれを見ながら、こんな川でも鯉というものは生きていけるのだろうか、と、祈るような気持で放流したものだ。

しばらく川べりを通りかかる機会があるたびに、水面をのぞきこんだ。腹を上にして浮かんでいる稚魚の姿もない。そのうち鯉のことなども忘れてしまったころに、すっかりごつい体つきになった元幼魚たちが、十センチ近くにもなって、元気に泳ぎ回っている姿を目にして、鯉というものは意外と強いのだなあ、と思うのだった。

いま、近所の川の水底を悠然と泳いでいく鯉も、そうした放流の名残りなのだろうか。だんだん水温もさがってきたせいか、今朝見たときには何匹か寄り集まって、固まってじっとしていた。その姿はまるで、もうすぐ冬が来ますねえ、そうですねえ、寒いのはつらいですねえ、と頭を寄せて相談しているようにも見えたのだった。



意思と覚悟

2009-10-01 23:20:31 | 
昨日は、実は「意思」なんてものはどこにもない、という話を書いた。けれども実際には、そのどこにもないはずの「意思」が、問われることがある。

思い出してみてほしい。
子供の頃、失敗でも悪さでもいい、とにかく良くないことをやらかしてしまったあと、かならず聞かれるのが「わざとそれをやったのか」ということだった。教室の花瓶を割ったとき、黒板拭きを三階の窓から落としてしまったとき、友だちにぶつかって、その友だちがひどくけがをしたようなとき……。
言葉を換えれば、それをやる意思があったのか、ということを、何度もしつこいくらいに聞かれてきた。

試験で成績がふるわなかったとき。勉強しようという意思はあったのだ、でも、それが続かない自分は、意志薄弱なやつだなあ……。

ある人物に連絡すべきところをしなかった。うっかり忘れたのか、わざとだったのか。うっかり忘れたのだ……、いや、ほんとうにそうだろうか。自分はどこかであの人に電話をかけたくなくて、知らせたくないという思いがあったのではあるまいか。自分はもしかして、伝えまいとする意思があったのではなかったか……。

つまり「意思」の有無が問題になってくるのは、多くの場合、出来事が終わってから、そしてまた、その結果が芳しくないときなのである。

もちろん何ごとかを始める前にも、意思を問われることはある。
「どんなに苦しくても、がんばって最後までやるか」
「はいっ」
「弱音を吐かないか」
「はいっ」
「よし、おまえは今日からこの道場の一員だ」

未来のことに関して意思を問われるときというのは、自分がその行為を責任をもって最後まで遂行するつもりかどうかを問われているのだ。
そしてまた過去のことに関して意思を問われるときというのは、その行為の責任が自分にあるかどうかを問われているのである。

ここで少し前に書いた菊池寛の『下郎元右衛門―敵討天下茶屋』のことを思い出してほしい。

主人である林重治郎の金を奪い、誤って兄を殺し、さらには女にまでふられた元右衛門は、重治郎の仇に捕らえられ、三十両と引き換えに、彼らの手引きをすることになる。元右衛門は自分のこれまでを振り返る。
(どうして、俺はこんなひどい悪人になってしまったんだろう。別に、おれは特別悪人に生れついたとは思えないんだが、なぜ俺がこんた大それた男になったんだろう。敵討、貧乏、女、賭変、忠義、人情、そんなものが妙に、こんぐらがってしまったんだ。そして、俺がいつの間にか、こんな悪人になってしまっているんだ。俺は悪人じゃないが)

元右衛門は、自分が金を取ったことを十分承知しながら、それでもどうして自分がそういうことをしたのか、納得がいかない。「俺は悪人じゃないが」という言葉は、本来なら自分はそんなことをするような人間ではない、という思いから来ている。

元右衛門の、なぜこんなことになったのか、という自問は、金を取らないでいることも可能だった、これまで通り重治郎に仕えることも可能だった、それ以外の可能性を選択することなく、どうして自分は「金を取る」という行為を選んでしまったのだろう、という自責の念のあらわれである。

けれども、人がある行為をするときに、ほんとうに選択の自由があるのだろうか。
部屋が暑い。窓を開ける。すると、窓から風が吹きこんできて、机の上に置いていた書類が部屋中に飛び散ってしまった。そこであなたはこう考える。
「しまった、窓を開けなければよかった」
けれども、窓を開けた時点で、わたしにとって「窓を開けない選択」というのはあり得たのだろうか? 「窓を開けない自由」が、部屋が暑かった時点で、わたしにあったのだろうか? わたしが「窓を開けなければよかった」と後悔するのは、「それをしない自由もあった」という思いこみによるものではないのか。

おそらく、わたしたちは自分の行為の誤りを意識したとき、「それをしない自由もあったにもかかわらず、それをしてしまった」と自分を責めるのだ。

菊池寛は、歌舞伎では「悪役」として描かれた元右衛門に、「俺は悪人じゃないが」と言わせている。果たして彼は言い逃れとしてこの言葉を思い浮かべているのか。それとも、本来なら「悪人」であるのにもかかわらず、彼は間違ったセルフ・イメージを抱いているのか。

おそらくそのいずれでもないだろう。菊池寛はおそらく「悪人」でもなんでもないありふれた人間が何気なく、あるいはのっぴきならないところに追い込まれてした行為が、とんでもない結果を引き起こしてしまうことがあることを知っていた。そうしてさらに、人はそのとき「どうして自分はそういうことをしでかしてしまったのか」と腸のちぎれるような思いで振り返ることも理解していたのである。

わたしたちの行動は、ちょうど、上にも書いた窓を開けるようなものだ。暑ければ窓を開ける。これは意思による行為ではなく、反射のようなものだ。けれども、風が吹きこんできて、書類が部屋中に散らばって初めて「暑いから窓を開けたが失敗したな」という思考が生まれる。

わたしたちの思考は、行動に従う。逆ではない。反射によって行動したのち、初めて判断が生まれ、そうしない選択もあったのに、自分は愚かにもそちらを選んでしまった、と後悔するのだ。時間が巻き戻せるのなら。そこにもう一度戻れるのなら、と。

結局のところ意思というのは何なのだろうか。

わたしたちは自由に行動しているわけではない。それでも自分の行動が情況のなかで今後どのような意味を持っていこうと、自分が責任を取っていく、毀誉褒貶の一切合切を自分が引き受けていくのだ、という覚悟のことを言っているのではあるまいか。