近所に小さな川が流れている。もちろん自然そのままの川ではなく、川底も壁面もコンクリートで整備された、川というより用水路に近いものだ。大雨が降ると、流れも速く、水位も高くなるが、普段は川底をかろうじて覆うほどしか水もない。
ところがその川に、鯉がいる。それも体長50センチは優にあろうかというほどの大きな鯉なのである。いずれもどす黒い、お金持ちの家の庭でばしゃばしゃはねているような錦鯉などとはほど遠い、何でこんなに汚い色なのだろう、と別の意味でほれぼれするほどの薄汚さである。一種の保護色でもあるのか、見るともなしに川を見ていると、目の隅をよぎる大きな姿を感じて、ぎょっとしながら目を凝らせば、どす黒い胸びれを緩く動かしながら、鯉が泳いでいるのだ。
以前、近所にスーパーが出来るというので、あたりを視察に来たらしい、いかにも管理職という中年男性が数人、川べりを歩いていたことがある。たまたま進行方向が一緒で、その数人の後ろを歩いていく頃になった胃cいだんのなかのひとりが、
「部長、鯉がいますよ、大きな鯉です」と声をかけたところ、
「まさか。水もろくに流れていないような川に」
と部長と呼ばれた男性は答えていた。
ところがその返事が聞こえたかのように、鯉がばしゃんと水をはねかした。部長も川をのぞきこみ、「えらい大きな鯉やな」と感心したように言っていたのだった。
川べりでパンをやっている人を見ることも多い。その上前をはねようと、近所のハトも集まっている。一度など、パン屋さんでもらってきたのパンの耳を、レジ袋いっぱいに詰めていて、それを大量にばらまいている人がいた。水面をのぞいてみると。川に住んでいる鯉が全部集まってきたのか、水面が真っ黒くなるほど大きな鯉が集まってきて、押し合いへしあいしながら、大きな口をぱくぱくとさせていた。
わたしが小学生の頃というのは、いまよりもっと川は汚かったような気がする。下水も完備されていなかったのだろう、ときおり洗剤の泡の混じった水も流れ込み、白い泡が川面を流れていったのも、よく見たものだった。そんな川を、年に何度かさらったあとに、小学生が鯉の稚魚の放流をするのだ。わたしも小学生の頃、一度、放流をやったことがある。キンギョのような大きさの稚魚が数匹入った洗面器を抱え、銀色の背びれを見ながら、こんな川でも鯉というものは生きていけるのだろうか、と、祈るような気持で放流したものだ。
しばらく川べりを通りかかる機会があるたびに、水面をのぞきこんだ。腹を上にして浮かんでいる稚魚の姿もない。そのうち鯉のことなども忘れてしまったころに、すっかりごつい体つきになった元幼魚たちが、十センチ近くにもなって、元気に泳ぎ回っている姿を目にして、鯉というものは意外と強いのだなあ、と思うのだった。
いま、近所の川の水底を悠然と泳いでいく鯉も、そうした放流の名残りなのだろうか。だんだん水温もさがってきたせいか、今朝見たときには何匹か寄り集まって、固まってじっとしていた。その姿はまるで、もうすぐ冬が来ますねえ、そうですねえ、寒いのはつらいですねえ、と頭を寄せて相談しているようにも見えたのだった。
ところがその川に、鯉がいる。それも体長50センチは優にあろうかというほどの大きな鯉なのである。いずれもどす黒い、お金持ちの家の庭でばしゃばしゃはねているような錦鯉などとはほど遠い、何でこんなに汚い色なのだろう、と別の意味でほれぼれするほどの薄汚さである。一種の保護色でもあるのか、見るともなしに川を見ていると、目の隅をよぎる大きな姿を感じて、ぎょっとしながら目を凝らせば、どす黒い胸びれを緩く動かしながら、鯉が泳いでいるのだ。
以前、近所にスーパーが出来るというので、あたりを視察に来たらしい、いかにも管理職という中年男性が数人、川べりを歩いていたことがある。たまたま進行方向が一緒で、その数人の後ろを歩いていく頃になった胃cいだんのなかのひとりが、
「部長、鯉がいますよ、大きな鯉です」と声をかけたところ、
「まさか。水もろくに流れていないような川に」
と部長と呼ばれた男性は答えていた。
ところがその返事が聞こえたかのように、鯉がばしゃんと水をはねかした。部長も川をのぞきこみ、「えらい大きな鯉やな」と感心したように言っていたのだった。
川べりでパンをやっている人を見ることも多い。その上前をはねようと、近所のハトも集まっている。一度など、パン屋さんでもらってきたのパンの耳を、レジ袋いっぱいに詰めていて、それを大量にばらまいている人がいた。水面をのぞいてみると。川に住んでいる鯉が全部集まってきたのか、水面が真っ黒くなるほど大きな鯉が集まってきて、押し合いへしあいしながら、大きな口をぱくぱくとさせていた。
わたしが小学生の頃というのは、いまよりもっと川は汚かったような気がする。下水も完備されていなかったのだろう、ときおり洗剤の泡の混じった水も流れ込み、白い泡が川面を流れていったのも、よく見たものだった。そんな川を、年に何度かさらったあとに、小学生が鯉の稚魚の放流をするのだ。わたしも小学生の頃、一度、放流をやったことがある。キンギョのような大きさの稚魚が数匹入った洗面器を抱え、銀色の背びれを見ながら、こんな川でも鯉というものは生きていけるのだろうか、と、祈るような気持で放流したものだ。
しばらく川べりを通りかかる機会があるたびに、水面をのぞきこんだ。腹を上にして浮かんでいる稚魚の姿もない。そのうち鯉のことなども忘れてしまったころに、すっかりごつい体つきになった元幼魚たちが、十センチ近くにもなって、元気に泳ぎ回っている姿を目にして、鯉というものは意外と強いのだなあ、と思うのだった。
いま、近所の川の水底を悠然と泳いでいく鯉も、そうした放流の名残りなのだろうか。だんだん水温もさがってきたせいか、今朝見たときには何匹か寄り集まって、固まってじっとしていた。その姿はまるで、もうすぐ冬が来ますねえ、そうですねえ、寒いのはつらいですねえ、と頭を寄せて相談しているようにも見えたのだった。