「ゲゲゲの女房」を見ていて思い出したのだが、森鴎外の歴史短篇に、「安井夫人」という作品がある。
安井仲平は、もともと背が低かった上に、幼い頃にわずらった疱瘡がもとで片目を失い、非常に醜い外見となってしまった。そんな彼を、みんなは「猿」と誹る。それでも彼は昌平坂学問所に学び、懸命に学問を修めた結果、藩の学問所で講壇に立つまでになる。
ところが偉くなっても、その外見ゆえに、縁談もまとまらない。従姉妹に、豊(とよ)と佐代(さよ)という姉妹がいるが、妹の方は器量よしと評判で、まだ十六ではあるし、三十の仲平とは、年齢・容姿ともにはなはだしい隔たりがある。だが、豊の方は、年ももう二十歳だし、顔も十人並み、内気な妹とはちがって快活で素直で、なんのわだかまりもない性格で、これなら仲平の嫁に来てくれるかもしれない。そこで人を頼んで、縁談を持ちかける。ところが豊は「いやでございます」ととりつく島もなかった。
仲人が気落ちして引き返していると、その家の使いがやってきて、美人で聞こえた妹の方が、「安井さんへわたくしが参ることは出来ますまいか」と言ったというのである。
周囲の人のみならず仲平も、自分と相手の容姿の差を考えて、いぶかしく思う。それでも、ふたりは無事祝言をあげた。
いざ結婚してみると、佐代はきれいなだけのお人形さんではなかった。内気な態度を脱却し、「美しくて、しかもきっぱりした」学問所の若夫人となっていく。
結婚生活は、順風満帆とはいかない。長い、困難な日々が続いていく。それでも佐代は、無心に、一筋に、夫のために尽くす。
やがて佐代は五十一で亡くなるが、小町と称された美貌だったにもかかわらず、自らを飾ることもなく、贅沢とは無縁の一生だった。
鴎外は、「お佐代さんは何を望んだか。」と書く。
世間の人は、夫が出世することを望んだのだ、というかもしれない。けれども商人が、ゆくゆく大きな利益を得るために、その元手としていくばくかの金銭を投下するように、自分の日々の労苦と忍耐を夫に提供し、報酬を得る前に亡くなったのだ、というふうには「自分」は考えない、という。
この短篇を最初に読んだ十代の頃は、この部分がよくわからなかった。さらに、鴎外がなぜこの安井夫人について、わざわざ書きとめて置かなければならないと考えたのかも、よくわからなかったのである。それが、「ゲゲゲ…」を見ていたら、なんとなくわかるような気がしてきた。
井上陽水の歌、「人生が二度あれば」の中に、今年九月で六十四になる母は、「子供だけのために 年とった」という箇所がある。息子であるらしい語り手は、「そんな母を見てると 人生がだれのためにあるのかわからない」という。
自分が子供の頃は、なんとなく母親というのは、そんなものだろうと思っていた。事実、母親の口癖は、「あんたたちのために」であったし、それに続くのは、自分は何を犠牲にした、ということだった。だからその分、一生懸命勉強しなければならない、というのが結論に来る。「あんたはお母さんみたいに、家族のために自分を犠牲にするような生き方をしちゃだめよ、家なんかに入らずに、しっかり自分を活かせるよう、いまは勉強しなさいよ」というわけである。
現実には、親の言うことも聞かず、勉強するふりをしては部屋でも授業中も本ばかり読んでいるようなわたしだったが、心のどこかで、そんな犠牲を払っている母の言うことを聞かないで申し訳ない、と思っていたものだった。母親を悲しませてはいけない、という歯止めが、陰に陽にわたしの生活を縛っていたような気がする。
そんなわたしだったので、「安井夫人」のような一生の、いったいどこに価値があるのか、まるでわからなかったのだ。
ただ、自分が歳を取り、それなりに経験を重ねてみると、「誰かのため」に働くということは、かならずしも「自分を犠牲にする」ということではないことがわかってくる。むしろ、「自分のため」と言っているだけではあまりに漠然としすぎ、行動に指針も立てられないようなことが少なくないのに対し、「誰かのため」というふうに問題を立てていけば、つぎに何をすべきかも見えてくるし、自分を取り巻く状況も、一定の秩序の下に整理し直すこともできる。
家庭を営むということは、毎日おなじことを再現もなく繰りかえすことでもある。自分だけなら、省略も、さぼることもできるが、自分が面倒を見なければならない家族がいれば、そんなことはできない。鉄道ダイヤを時刻表通りに正確に運行させるように、「家族のために」仕事に行き、あるいは、洗い、片づけ、料理し、さらに洗い、掃除する日々は続く。これは、「家族のため」であると同時に、家族がいてくれるからこそ、そういうことが毎日続けていける、とも言えるのである。「子供のため」、「家族のため」、という言葉は、自分を奮い立たせ、怠け心に鞭を入れる呪文でもある。そういう意味で、家族の存在は、逆に「自分のため」でもあるのだ。
「~のため」という言い方を、わたしたちはよくする。あなたのため、子供のため、家族のため、あるいは、自分のため。けれども、昨日も書いたように、わたしたちはかならずしも自分の行為の理由を知っているわけではない。「子供のため」と言いながら、それがどこまでほんとうに「子供のため」なのか、「自分のため」はどのくらいあるのか、さらにはそれ以外の「~のため」があるのか、自分でもほんとうのところはわからないでいる。
自分でもよくわからないけれど、何かのために、おなじことを繰りかえす。雨が降っても、雪が降っても、霧が出ても、時刻表通りに正確に運行させるべく最大限の努力を払う鉄道会社のように、わたしたちは毎日おなじことを果てしもなく繰りかえしていく。「家族のため」「子供のため」と、折々に自分を納得させながら。
けれどもほんとうのところは、「~のため」の「~」には、いったい何が入るものやら、自分でもよくわからない。それでもその「~のため」という呪文のおかげで、わたしたちはどんなときもおなじことを繰りかえすことができる。そうして繰りかえす日々は、その人に蓄積され、きっと明日も大丈夫、という保障をしてくれる。
鴎外のいう「その望みの対象をば、あるいは何物ともしかと弁識していなかったのではあるまいか」というのは、そういうことなのではないだろうか。
安井仲平は、もともと背が低かった上に、幼い頃にわずらった疱瘡がもとで片目を失い、非常に醜い外見となってしまった。そんな彼を、みんなは「猿」と誹る。それでも彼は昌平坂学問所に学び、懸命に学問を修めた結果、藩の学問所で講壇に立つまでになる。
ところが偉くなっても、その外見ゆえに、縁談もまとまらない。従姉妹に、豊(とよ)と佐代(さよ)という姉妹がいるが、妹の方は器量よしと評判で、まだ十六ではあるし、三十の仲平とは、年齢・容姿ともにはなはだしい隔たりがある。だが、豊の方は、年ももう二十歳だし、顔も十人並み、内気な妹とはちがって快活で素直で、なんのわだかまりもない性格で、これなら仲平の嫁に来てくれるかもしれない。そこで人を頼んで、縁談を持ちかける。ところが豊は「いやでございます」ととりつく島もなかった。
仲人が気落ちして引き返していると、その家の使いがやってきて、美人で聞こえた妹の方が、「安井さんへわたくしが参ることは出来ますまいか」と言ったというのである。
周囲の人のみならず仲平も、自分と相手の容姿の差を考えて、いぶかしく思う。それでも、ふたりは無事祝言をあげた。
いざ結婚してみると、佐代はきれいなだけのお人形さんではなかった。内気な態度を脱却し、「美しくて、しかもきっぱりした」学問所の若夫人となっていく。
結婚生活は、順風満帆とはいかない。長い、困難な日々が続いていく。それでも佐代は、無心に、一筋に、夫のために尽くす。
やがて佐代は五十一で亡くなるが、小町と称された美貌だったにもかかわらず、自らを飾ることもなく、贅沢とは無縁の一生だった。
鴎外は、「お佐代さんは何を望んだか。」と書く。
世間の人は、夫が出世することを望んだのだ、というかもしれない。けれども商人が、ゆくゆく大きな利益を得るために、その元手としていくばくかの金銭を投下するように、自分の日々の労苦と忍耐を夫に提供し、報酬を得る前に亡くなったのだ、というふうには「自分」は考えない、という。
お佐代さんは必ずや未来に何物をか望んでいただろう。そして瞑目するまで、美しい目の視線は遠い、遠い所に注がれていて、あるいは自分の死を不幸だと感ずる余裕をも有せなかったのではあるまいか。その望みの対象をば、あるいは何物ともしかと弁識していなかったのではあるまいか。
この短篇を最初に読んだ十代の頃は、この部分がよくわからなかった。さらに、鴎外がなぜこの安井夫人について、わざわざ書きとめて置かなければならないと考えたのかも、よくわからなかったのである。それが、「ゲゲゲ…」を見ていたら、なんとなくわかるような気がしてきた。
井上陽水の歌、「人生が二度あれば」の中に、今年九月で六十四になる母は、「子供だけのために 年とった」という箇所がある。息子であるらしい語り手は、「そんな母を見てると 人生がだれのためにあるのかわからない」という。
自分が子供の頃は、なんとなく母親というのは、そんなものだろうと思っていた。事実、母親の口癖は、「あんたたちのために」であったし、それに続くのは、自分は何を犠牲にした、ということだった。だからその分、一生懸命勉強しなければならない、というのが結論に来る。「あんたはお母さんみたいに、家族のために自分を犠牲にするような生き方をしちゃだめよ、家なんかに入らずに、しっかり自分を活かせるよう、いまは勉強しなさいよ」というわけである。
現実には、親の言うことも聞かず、勉強するふりをしては部屋でも授業中も本ばかり読んでいるようなわたしだったが、心のどこかで、そんな犠牲を払っている母の言うことを聞かないで申し訳ない、と思っていたものだった。母親を悲しませてはいけない、という歯止めが、陰に陽にわたしの生活を縛っていたような気がする。
そんなわたしだったので、「安井夫人」のような一生の、いったいどこに価値があるのか、まるでわからなかったのだ。
ただ、自分が歳を取り、それなりに経験を重ねてみると、「誰かのため」に働くということは、かならずしも「自分を犠牲にする」ということではないことがわかってくる。むしろ、「自分のため」と言っているだけではあまりに漠然としすぎ、行動に指針も立てられないようなことが少なくないのに対し、「誰かのため」というふうに問題を立てていけば、つぎに何をすべきかも見えてくるし、自分を取り巻く状況も、一定の秩序の下に整理し直すこともできる。
家庭を営むということは、毎日おなじことを再現もなく繰りかえすことでもある。自分だけなら、省略も、さぼることもできるが、自分が面倒を見なければならない家族がいれば、そんなことはできない。鉄道ダイヤを時刻表通りに正確に運行させるように、「家族のために」仕事に行き、あるいは、洗い、片づけ、料理し、さらに洗い、掃除する日々は続く。これは、「家族のため」であると同時に、家族がいてくれるからこそ、そういうことが毎日続けていける、とも言えるのである。「子供のため」、「家族のため」、という言葉は、自分を奮い立たせ、怠け心に鞭を入れる呪文でもある。そういう意味で、家族の存在は、逆に「自分のため」でもあるのだ。
「~のため」という言い方を、わたしたちはよくする。あなたのため、子供のため、家族のため、あるいは、自分のため。けれども、昨日も書いたように、わたしたちはかならずしも自分の行為の理由を知っているわけではない。「子供のため」と言いながら、それがどこまでほんとうに「子供のため」なのか、「自分のため」はどのくらいあるのか、さらにはそれ以外の「~のため」があるのか、自分でもほんとうのところはわからないでいる。
自分でもよくわからないけれど、何かのために、おなじことを繰りかえす。雨が降っても、雪が降っても、霧が出ても、時刻表通りに正確に運行させるべく最大限の努力を払う鉄道会社のように、わたしたちは毎日おなじことを果てしもなく繰りかえしていく。「家族のため」「子供のため」と、折々に自分を納得させながら。
けれどもほんとうのところは、「~のため」の「~」には、いったい何が入るものやら、自分でもよくわからない。それでもその「~のため」という呪文のおかげで、わたしたちはどんなときもおなじことを繰りかえすことができる。そうして繰りかえす日々は、その人に蓄積され、きっと明日も大丈夫、という保障をしてくれる。
鴎外のいう「その望みの対象をば、あるいは何物ともしかと弁識していなかったのではあるまいか」というのは、そういうことなのではないだろうか。