陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

アーネスト・ヘミングウェイ 「キリマンジャロの雪」その4.

2010-09-02 23:15:53 | 翻訳
その4.

* * *

 日が暮れている。しばらく眠ったらしかった。太陽は丘の向こうに沈み、平原はすっぽりと闇におおわれている。小動物たちがキャンプのまわりで餌を漁っていた。頭を素早く上下させ、尻尾をシュッと振っている。そのようすを見ていると、けものたちがブッシュからしかるべき距離を保っていることがわかる。例の鳥は、いまは地面で待ちかまえるのは止めたらしく、一本の木に勢揃いして、重たげに留まっていた。数がずいぶん増えていた。身の回りの世話をする少年がベッドの横に腰を下ろしていた。

「メンサヒブ(※奥様)は狩りに行ってます」少年は言った。「ブワナ、何かしてほしいことはないですか」

「結構」

 肉を取りに出かけたのだ。彼が好んで狩りの獲物たちを眺めているものだから、彼の視界となる平原の小さな一画の平和だけは乱すまいと、遠くまで行ったのだろう。いつだってあいつは考え深いのだ、と思った。自分の知っていること、読んだり聞いたりしたこと、何にせよ考えなしにすませるような女じゃないんだ。

 あいつのせいじゃない。あいつに近づいたときには、おれはもう終わっていたんだ。男の言葉には何の意味もないってことが、どうして女にはわからないのだろう。しゃべっているのはただの習慣で、その場の気分を壊さないためでしかないのに。だが、彼の話が意味を失ってからは、女たちとは嘘のおかげでずいぶんうまくいくようになっていた。真実をしゃべっていたころよりもずっと。

 ほんとうは、嘘ばかりついてきたというより、話そうにも真実がなくなってしまったのだ。自分の人生をすっかり生ききったあげく、それが終わってしまい、別の連中相手に、もっと金を使って、とびきりうまくいった場所でそれを再現していただけだ。まあ、新しい場所でも少しはやってみたが。

 考えることをやめれば、万事、順調だった。元来、頭の中が丈夫にできているものだから、たいがいの連中がそうなったように、駄目になったりはしなかった。もう本物の仕事ができなくなってからは、あんなもの、知ったことか、という態度で通した。だが、腹の中ではこいつらのことを書いてやる、と考えていたのだ。大金持ちの連中を、おれはほんとうはこいつらの仲間なんじゃなくて、やつらの国に潜入しているスパイなんだ、そのうちここを出国して、書いてやるんだ、そうなれば、やつらのことを知悉した人間の手による、前代未聞の本となる。

だが、その本が書かれる日は、決してやってこない。書かずにいる日が、安逸をむさぼる日が、かつで自分が軽蔑していたものになってしまった日が過ぎるごとに、おれの能力は鈍り、仕事に向かう気迫は弱まり、とうとう仕事をしなくなってしまったからだ。いまつきあっている連中は、仕事をしていないおれの方が、はるかに気安くつきあえるらしい。

アフリカは、人生の絶頂期、最高の日々を過ごした場所だった。再出発にふさわしい場所だ。今回の狩猟旅行は、快適さは最小限にまで切り縮めた。難行苦行というわけではない。だが、贅沢は一切ぬきだ。それならコンディションを取り戻せる。自分の魂にこびりついた贅肉をそぎ落とすこともできるだろう。ちょうどボクサーが自分の体の贅肉を燃やし尽くすために、山ごもりしてトレーニングに励むように。

 女もここが気に入っていた。ここが大好きよ、と言いもした。刺激的なことや、場所が変わり、新しい連中に会い、楽しい出来事が待っているようなところなら、何だって夢中になる女だから。そのうち、自分でも仕事に向かう意思の強さが蘇ってきたような錯覚さえ味わった。それが、こんな終わりを迎えるとは。彼にはこれが終わりだとわかっていた。背骨が折れたといって自分の体に噛みつくヘビのように、後ろを向いてしまうんじゃない。あいつのせいなんかじゃないんだから。あいつがいなくても、何かほかのことがあったはずだ。嘘で生きてきた以上は、嘘のために死ぬことだ。
そのとき丘の向こうから銃声が聞こえた。

 あいつの射撃の腕はたいしたもんだ。なにしろリッチなビッチだから。おれの才能の心優しき保護者にして破壊者。バカバカしい。おれの才能をめちゃめちゃにしたのは、このおれじゃないか。あの女が自分に贅沢させてくれたからといって、責められる何のいわれがあるだろう。おれが駄目にしてしまったのは、それを使わなかったからだ。自分自身や自分の信じているものを裏切るような真似をしたからだ。飲み過ぎたせいで感受性の刃をすっかり鈍らせてしまったし、ほかにも怠けたり、無精に流されたりもした。理由は、俗物根性、高慢と偏見、売春婦と盗人……。これはいったい何だ? 昔の本のカタログか?

そもそもおれの才能ってのは、いったい何だったのだろう。確かに才能にはちがいなかったろう。だが、おれはそれを使うかわりに、売り物にしてしまったのだ。いつだって、自分が実際にやったことではなく、おれならできる、と言い張ることで、世間を渡ってきた。身すぎ世すぎの手だてにペンや鉛筆を頼るのではなく、ほかのものに頼ったのだ。

おかしな話じゃないか。恋に落ちる新しい相手は、きまって前の女より金持ちだったなんて。だが、そのときだってほんとうに愛してなどいなかった。嘘をついているだけだ、いまの女のように。あいつはこれまでの誰よりも金持ち、この世の金をかき集めたほどの大金持ちで、以前は亭主と子供たちがいたが、愛人をつぎからつぎへと作り、その誰にも満足できないでいた。そこへおれが現れたってわけだ。作家として、男として、自慢の所有物として。だが、もはや愛さえ失せて、ただ嘘をついているだけのいまの方が、ほんとうに愛していたときより、彼女の金に見合うお返しをしてやれるとは、ずいぶん奇妙な話だな。

 人は結局自分に向いた生き方をするしかないらしい。どうやって身を立てているか、そこに才能が現れている、というわけだ。おれはこれまで、自分の生命力を売ってきた。形こそ、そのたびにちがっていたが。愛なんてものにかかずらわないときの方が、相手の金に見合うものを与えてやれる。これもおれが見つけた真理だが、もう書くこともないだろう。確かに書くだけの値打ちはあるが、書くことはあるまい。



(この項つづく)