陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

論理的に話してみる

2010-09-23 22:39:36 | weblog
三段論法というと、わたしたちの日常とは無関係のようにも思えるけれど、昨日も話したように、人を説得しようとするようなときに、わたしたちは半ば無意識のうちに、この方法を使っている。

よくある「化学調味料無添加」という表示。

大前提:化学調味料は体に悪い。
小前提:この製品は化学調味料を使用していない。
結論:ゆえにこの製品は体によい。

このなかで、小前提だけを提示することによって、わたしたちに結論を導き出させようという寸法なのである。昨日の「ぼくはワセダを出た」というのと一緒だ。結論を自分から明らかにしてしまうと、押しつけがましい。結論の押しつけは、共感より反感を買う。だから、結論はわかるでしょう? 汲みとってね、と匂わせるだけに留めて、そこから先は省略してしまうのである。

だが、議論の正しさを支える大前提を見てみると、「化学調味料は体に悪い」は、どれだけの科学的データに基づいたものか、かならずしも判然としない。反面、わたしたちは「なんとなく」「気分で」そんなふうに感じている。省略されている箇所をわたしたちが共有しているから、あえて書く必要がない、と広告主は考えているわけだ。だから省略する。

だが、省略の理由はそれだけではない。むしろ、この大前提の部分をはっきりさせると、いろいろ問題が出てくるから、ともいえる。みんなが共有している「気分」や「何となく」、さらには「常識」や「慣習」がかならずしも正確なものではないことも、わたしたちは同時に知っている。だから、その部分を省略しないで明らかにすると、逆に批判を招くことになる。だから省略されているわけだ。

わたしたちが怪しげな説得にだまされまいと思うなら、まず、隠された前提を明らかにすることだ。

「この浄水器はトリハロメタンも除去してくれるんですよ」という宣伝文句が隠すのは、「水道水には危険なトリハロメタンが含まれている」という大前提である。だが、トリハロメタンとはいったい何なのか。トリハロメタンはほんとうに人体に危険なものなのか。水道水に含まれるトリハロメタンは、果たしてどのくらいの割合なのか。それを日常的に摂取し続けることの危険性はどれほどのものなのか。

相手の主張の中に省略されている部分を見つけるだけで、わたしたちが騙される確率は、ぐんと減ってくるはずだ。

一方、何を言っているのかわからない人もいる。
たとえばこんな感じ。

「わたしは女だけど、運転はずいぶんやってきた。運転には結構自信もある。もちろんA子はすごくいい子だけど、ペーパー・ドライバーの運転は恐い、っていうのは当然よ。でも、運転手がわたしひとりだと大変」

ね、こんな話し方をする人が、あなたの近くにもいるでしょう?

さて、これを整理してみよう。
大前提:ペーパー・ドライバーの運転は恐い。
小前提:A子はペーパー・ドライバーである。
結論:ゆえにA子に運転を任せるわけにはいかない。
   ゆえに自分ひとりが運転しなければならない。

となるわけだ。ところが
・自分は運転には自信がある
・A子は良い子
という、議論に関係のない文が含まれているために、一見すると、そもそもが結論を持っていない日常会話のように見えてしまう。
だが、これは目的のない日常会話ではない。この話者は明らかに伝えたいことがあるのだ。でも、これではなかなか伝わらない。

ときに「あんたの話は何が言いたいんだか、ちっともわからん」と言われる人がいる。
そういう人は、少々押しつけがましいと思われても、結論をはっきりさせた方が良い。その結論を証拠立てる大前提、小前提をきちんと明らかにしておけば、そうして、その大前提が間違っていなければ、「A子は良い子」といった「気遣い」の文言は、この流れの中では必要なくなるはずだ。

もうひとつ、昨日も言ったように、自慢話はバカに見えることだけ忘れずにいれば、これでもう大丈夫。
「何が言いたいんだかちっともわからん」話をしないですむ、と思うのですが。