森鴎外の『高瀬舟』というと、たいてい「安楽死」を扱った作品であるとされている。
だが、わたしが気にかかるのは、それとは少し違う箇所なのである。
高瀬舟に乗せられて幸せそうに見える罪人を、同心庄兵衛は不思議に思う。話を聞いてみると、確かに喜助は「二百文」をもらって喜んでいるのだ。
貨幣はもちろん容易に「力」に結びつく。より多く貨幣を持っている者は、より多く交換する力を持っているわけだから、それが「権力」ということにもなっていく。「銭を持ってみると、いくらあればよいという限界は見いだされないのである」ということは、すなわち、力への欲望というのは限りがない、ということだろう。
では、喜助はいったい何を「ありがたい」と思っているのか。「二百文分」の力を手に入れたことを喜んでいるのか。「島でする仕事の本手」というからには、やはり「二百文」でできる力を得た、と考えているともいえる。だが、喜助の言葉にはもっと額面にはよらない、所有そのものに対する根源的な喜びがあるように思うのだ。
社会で生活するためには、お金が必要欠くべからざるものとしてある。お金がなければ、人とやりとりすることができない。それは農村部はともかく、都市部では、江戸時代でも同じことだろう。
喜助の喜びは、社会の一員となれたことの喜びなのだろうか。確かに『高瀬舟』のなかにはこんな部分もある。
自分にとっての居場所がある、たとえ島流しにされた遠島であっても、社会の一員としての場所を与えられた、という喜びが語られる。
二百文は、人間の社会に入れてもらえる「パスポート」だったのだろうか。
だが、それとは別に、人間は何かを所有することに対する根源的な喜びがあるのではないか、という気がするのだ。それで何かができるから、ということではない。ちょうどカラスがキラキラ光るガラス玉を巣に集めるように、「自分だけの何か」を持つことは、ひとに喜びを、生きる力を与えるのだろうか。
喜助はまだ何も所有していない。けれども、二百文ではあれ、貨幣を手にした喜助は、それをもとに「何ものか」を所有できる可能性を手にしたわけだ。彼の喜びというのは、「何かを所有できる未来」を手に入れた喜びだったのだろうか。
それにしても、不況だの危機だの不景気だのという言葉が踊る新聞を見るたびに、わたしはやはり「足を知る」という言葉を思い出す。
だが、わたしが気にかかるのは、それとは少し違う箇所なのである。
高瀬舟に乗せられて幸せそうに見える罪人を、同心庄兵衛は不思議に思う。話を聞いてみると、確かに喜助は「二百文」をもらって喜んでいるのだ。
お恥ずかしい事を申し上げなくてはなりませぬが、わたくしは今日まで二百文というお足を、こうしてふところに入れて持っていたことはございませぬ。どこかで仕事に取りつきたいと思って、仕事を尋ねて歩きまして、それが見つかり次第、骨を惜しまずに働きました。そしてもらった銭は、いつも右から左へ人手に渡さなくてはなりませなんだ。それも現金で物が買って食べられる時は、わたくしの工面のいい時で、たいていは借りたものを返して、またあとを借りたのでございます。それがお牢にはいってからは、仕事をせずに食べさせていただきます。わたくしはそればかりでも、お上に対して済まない事をいたしているようでなりませぬ。それにお牢を出る時に、この二百文をいただきましたのでございます。こうして相変わらずお上の物を食べていて見ますれば、この二百文はわたくしが使わずに持っていることができます。お足を自分の物にして持っているということは、わたくしにとっては、これが始めでございます。島へ行ってみますまでは、どんな仕事ができるかわかりませんが、わたくしはこの二百文を島でする仕事の本手にしようと楽しんでおります。喜助の話を聞いた庄兵衛は考える。
庄兵衛は今喜助の話を聞いて、喜助の身の上をわが身の上に引き比べてみた。喜助は仕事をして給料を取っても、右から左へ人手に渡してなくしてしまうと言った。いかにも哀れな、気の毒な境界である。しかし一転してわが身の上を顧みれば、彼と我れとの間に、はたしてどれほどの差があるか。自分も上からもらう扶持米を、右から左へ人手に渡して暮らしているに過ぎぬではないか。彼と我れとの相違は、いわば十露盤の桁が違っているだけで、喜助のありがたがる二百文に相当する貯蓄だに、こっちはないのである。庄兵衛の考えはやがて「足るを知る」ということに向かい、それを知っている喜助と、知らない自分の比較に考えは及んでいくのだが、わたしはその手前に少し踏みとどまりたいのだ。鴎外は『高瀬舟』にも「縁起」を書いているのだが、そのなかでもこんなふうに言っている。
私はこれを読んで、その中に二つの大きい問題が含まれていると思った。一つは財産というものの観念である。銭を待ったことのない人の銭を持った喜びは、銭の多少には関せない。人の欲には限りがないから、銭を持ってみると、いくらあればよいという限界は見いだされないのである。二百文を財産として喜んだのがおもしろい。つまり、貨幣を所有するというのはどういうことなんだろう、という観点から、この部分を読むことができるのではないか。
貨幣はもちろん容易に「力」に結びつく。より多く貨幣を持っている者は、より多く交換する力を持っているわけだから、それが「権力」ということにもなっていく。「銭を持ってみると、いくらあればよいという限界は見いだされないのである」ということは、すなわち、力への欲望というのは限りがない、ということだろう。
では、喜助はいったい何を「ありがたい」と思っているのか。「二百文分」の力を手に入れたことを喜んでいるのか。「島でする仕事の本手」というからには、やはり「二百文」でできる力を得た、と考えているともいえる。だが、喜助の言葉にはもっと額面にはよらない、所有そのものに対する根源的な喜びがあるように思うのだ。
社会で生活するためには、お金が必要欠くべからざるものとしてある。お金がなければ、人とやりとりすることができない。それは農村部はともかく、都市部では、江戸時代でも同じことだろう。
喜助の喜びは、社会の一員となれたことの喜びなのだろうか。確かに『高瀬舟』のなかにはこんな部分もある。
わたくしはこれまで、どこといって自分のいていい所というものがございませんでした。こん度お上で島にいろとおっしゃってくださいます。そのいろとおっしゃる所に落ち着いていることができますのが、まず何よりもありがたい事でございます。
自分にとっての居場所がある、たとえ島流しにされた遠島であっても、社会の一員としての場所を与えられた、という喜びが語られる。
二百文は、人間の社会に入れてもらえる「パスポート」だったのだろうか。
だが、それとは別に、人間は何かを所有することに対する根源的な喜びがあるのではないか、という気がするのだ。それで何かができるから、ということではない。ちょうどカラスがキラキラ光るガラス玉を巣に集めるように、「自分だけの何か」を持つことは、ひとに喜びを、生きる力を与えるのだろうか。
喜助はまだ何も所有していない。けれども、二百文ではあれ、貨幣を手にした喜助は、それをもとに「何ものか」を所有できる可能性を手にしたわけだ。彼の喜びというのは、「何かを所有できる未来」を手に入れた喜びだったのだろうか。
それにしても、不況だの危機だの不景気だのという言葉が踊る新聞を見るたびに、わたしはやはり「足を知る」という言葉を思い出す。
庄兵衛はただ漠然と、人の一生というような事を思ってみた。人は身に病があると、この病がなかったらと思う。その日その日の食がないと、食ってゆかれたらと思う。万一の時に備えるたくわえがないと、少しでもたくわえがあったらと思う。たくわえがあっても、またそのたくわえがもっと多かったらと思う。かくのごとくに先から先へと考えてみれば、人はどこまで行って踏み止まることができるものやらわからない。それを今目の前で踏み止まって見せてくれるのがこの喜助だと、庄兵衛は気がついた。わたしたちがばくぜんとした不安を感じているのも、どこまで行っても踏みとどまれないがゆえの不安だろう。病気になってしまえば、病気を不安に思ったりはしないのだ。不安になるのは、健康だからなのだ。「この根底はもっと深いところにあるようだ」と庄兵衛は思う。喜助が「足を知」っているのは、その経験からだったのだろうか、それとも彼の資質のせいだったのか。このことと、安楽死の問題は、どこまで関係があるのだろうか。わたしはよくわからないままだ。